石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の城14 大里城

2006年11月10日 | 会津の城

伊達政宗に攻められ落城しなかった城「大里城」 天栄村大里

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県岩瀬郡天栄村大里

060930_047天正18年(1590)8月、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻め滅ぼしたあと、奥羽仕置きのため秀吉は会津へ入ります。その時、伊達政宗勢は、大里城に立て籠もっていた須賀川の二階堂氏の家臣、矢多野氏約500人にてこずります。約2ヶ月籠城し、約5000から10000人で伊達勢に攻められましたが、ついに落城することはありませんでした。それは、秀吉が会津に入るため、この城の脇を通る会津街道へ近づいたためで、伊達勢は退却し、ついに落城は免れています。そんなに大きな城ではないものの、なべ底状の地形と、巧みなゲリラ戦により敗北しなかった幸運な城です。その後や矢田野氏は、葦名氏最後の義広に付いて秋田県の角館へ行き、今でも二階堂を名乗り、武家屋敷が残っています。

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