石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史5 若松の熊野那智社旧地

2006年09月10日 | 会津の歴史

新宮熊野神社は元河東町熊野堂にあり、那智社の堂跡が残る

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市河東町堂島 駒形発電所向かい 日橋川南岸

060902_ 喜多方市新宮にある熊野神社は、元会津若松市河東町熊野堂にありました。熊野神社があったことから熊野堂といいます。平安時代後期、天喜3年(1055)紀州から熊野神社が伝播され、熊野堂に熊野神社が建てられます。この神社は、太平洋側をルートする信仰と商売拠点の確保をするため建てられたものです。会津では熊野堂に本宮と新宮が建てられ、堂島に那智社が建てられました。熊野神社の那智社は権現堂とよばれ、8間四方の堂跡が残っています。その堂があったことから堂島と呼ばれています。熊野神社は、康平5年(1062)喜多方市新宮へ新宮が、喜多方市岩沢へ本宮、喜多方市栗生沢へ那智が移りましたが、慶長16年(1611)の大地震で本宮は壊滅、新宮の長床も倒壊しています。

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