石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の歴史12 縄文晩期から弥生時代の墓料遺跡

2006年10月06日 | 会津の歴史

弥生時代中期の再葬墓 墓料遺跡

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市一箕町八幡字滝沢 市街地の北東部  磐越道会津若松ICから15分

060930_017 会津若松市街地の北東に位置する県立会津短期大学の北側の住宅地に囲まれた水田と畑の墓料遺跡(ぼりよういせき)。縄文時代晩期から弥生時代の中期にかけての再葬墓という墓跡。完形の土器を含め100個体がまとまって出土した遺跡で、縄文時代の土偶や弥生時代前期に属する土器も出土しています。周囲には、東日本の古墳時代前期を代表する会津大塚山古墳、堂ヶ作山古墳、飯盛山古墳などの一箕古墳群があります。地区名の墓料とこの遺跡とは関係無く、江戸時代に会津松平家が、墓所として市内東山町の院内御廟と定めた時、市内東山町の院内とともに墓を守るために充てた地区であることから墓料と名づけられました。

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