石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の城31  若松城の本丸跡1

2008年05月14日 | 会津の城

若松城1 若松城本丸「本丸跡1」

会津古城研究会長 石田 明夫

1502_5本丸跡は、昭和25年3月に会津若松市が戦後復興のため県営競輪場を誘致し、南北方向に長い楕円形のバンクが建設したことから掘り返されています。そのため現在の地表から1メートル以上深く掘られたため本丸御殿跡などの建物跡の遺構は、ほとんど残されていません。わずかに、茶室などの周辺部の遺構が残されているだけだす。建物跡については、戊辰戦争後にすべて取り壊され、一部は移転されています。現在では、茶室麟閣に関する床柱や御三階の建物が残され、茶室は茶室のあった場所に平成2年復元されています。写真は昭和40年にコンクリートで復元された5層の天守閣です。

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