石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津戦争7 戸ノ口原の塹壕跡

2006年12月15日 | 戊辰・会津戦争

会津藩白虎隊が戦った「戸ノ口原」 会津若松市湊町・河東町

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津若松市湊町笹山原 会津若松市の市街地から30分

1659_009 戊辰戦争で白虎隊が戦った戸ノ口原は、会津若松市湊町の、猪苗代湖北西岸に位置しています。この写真の凹地が白虎隊が隠れていたざんごうです。「会津戊辰戦史」「会津戊辰戦争」「戊辰役戦史」には、「胸墻」(きょうしょう)と書かれ、明治時代に入ると「胸壁」と書かれます。現在では塹壕(ざんごう)と呼ぶものです。当時の8月23日は、現在の新暦でいうと10月8日にあたります。白虎隊は、最前列のざんごうに陣取り、夜明け前に西軍まで200メートル近くの場所に近づきますが、暗くなったので、後退し夜明け前から戸ノ口原の戦いが開始されます。結果は、圧倒的な火力と人数でまたたく間に会津藩の敗北で決着が付き、怒涛のように会津盆地へ西軍がなだれ込み、午前8時には盆地東側の滝沢に到達し、9時には若松城下へ入ります。

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