石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原19  兼続・景勝も通った米沢街道

2008年05月15日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続19兼続・景勝も通った若松・米沢間の米沢街道 

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県耶麻郡北塩原村 会津若松ICより30分

2080509_055_2080509_011_2 慶長3年(1598)に会津に入った上杉景勝。直江兼続は会津若松の若松城大手口に最も近いところに屋敷をもらいます。そして、支配地として米沢6万石をもらいます。会津若松と米沢との間で、唯一の街道が米沢街道です。米沢では会津街道と呼びます。街道は、村道となり、真冬でも通行が可能で、松の古木があります。会津と米沢の境には、高さ3mと4mの境壇(塚)が東西に広場を挟んであります。車では鷹ノ巣ミズバョウの場所までで、それからは徒歩で30分。道の形はありますが、笹藪で歩けません。

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