石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

会津の城30  「会津路 武士の世の裏磐梯」

2007年09月11日 | 会津の城

 裏磐梯に残る戦国時代の風景  山城と金山を賭けた戦いの内容    

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県耶麻郡北塩原村 磐越道猪苗代磐梯高原ICから30分 裏磐梯

             ページをめくるだけで分かる戦国時代の裏磐梯
  裏磐梯の北塩原村には、東日本を代表する戦国時代の山城が多数現存。全体の編集、航空写真以外の写真、イラスト、実測、トレース、文献の解説については、考古学の専門を生かして石田明夫が担当。金山の説明は山師で鉱山専門の佐藤一男が担当。 東北初、伝説や逸話、道順、見易さ、専門性を追求し、専門的なガイドブックともなる新しいスタイルの地域の歴史報告書です。税抜き1,800円です。申し込みは、石田まで。 100ページの内容、
特徴は次のとおりです。
①築城年代が明確。②使用期間も明確。③200㍍を越す大規模な城で保存がよい。
④境目の城の特徴がある。⑤葦名氏と伊達政宗の城がある。⑥石積石垣の城がある。
Photo_31 1.「戸山城」 山城
 永禄7年(1564)穴沢氏築城
 全国最高位置(標高1037メートル)
2.「柏木城」 山城
 天正12年(1584)葦名氏築城
 戦国時代で東北最大の石垣を持つ城
 若松城の2倍の面積を有する大規模さ
3.「桧原城」 山城
 天正13年(1585)に伊達政宗築城
 外堀(郷構)が現存。
 二重虎口で土造りの城
4.政宗、穴沢一族を皆殺しの「岩山城」
5.長さ163メートルの防塁「鹿垣」
6.政宗の侵攻には、1000戸を有した大金 山の「桧原金山」が原因の一つ
 今でも砂金が採れる。それらについて、詳しく解説。 

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