天地人直江兼続5、白河市街地南(まほろんの南)、関ヶ原の「石阿弥陀(皮籠原)防塁」
会津古城研究会長 石田 明夫福島県白河市 県文化財センター白河館「まほろん」の南側にある防塁
慶長5年(1600)に上杉景勝は、徳川家康の会津進攻に備え、領国の南側の主要街道に防塁を築いています。白河の南にあるものもその一つ。まほろんのすぐ南の石阿弥陀地区に現在300メートルほど空堀と土塁が残されています。勢至堂峠や馬入峠、母成峠などの防塁と構造は同じで、幅7メートルの空掘、高さ2メートルから4メートルの土塁で直線を基本とした織豊的な土塁と堀になっています。
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