1年の夏の合宿は7日間。信濃学寮で行われた。
ここは明大の施設で、1泊2日3食ついて、実に1500円という安さで利用できた。
場所はJR中央線で山梨県の小淵沢駅まで行き、さらにバスに揺られていくという山の上。
この当時は今から30年前。
パソコンや携帯電話もない時代である。
今の人にはピンと来ないかもしれないが、ワードプロセッサーさえなかったのだ!
電話はダイアル式の黒電話が各家庭に1台という時代。
テレビにもリモコンなんてついてなかった。
何が言いたいかというと、つまりそこは陸の孤島。
テレビは管理人の部屋に1台あるが我々は見れない。
当時プロ野球は人気があり、ほぼ毎日のように巨人戦を試合終了までやっていた。(ちなみに、「地上波」という言葉もなかった。テレビにはUHFとVHFの区別しかなかった)
だから7月の下旬に行われるプロ野球オールスター戦(3日間行われた)も、当然人気があった。
しかし、合宿の時期がよくオールスター戦と重なるのだ。
勿論見れない。
…どころか新聞も見れない。
いったん車などで下界に下りないと、世の中のニュースも何も入らなくなってしまうという、恐ろしい環境だった。
そんな中で、われらは毎日将棋を指していた。
勿論、盤・駒やチェスクロックは1年が分担して持っていくのである。
昼も夜も将棋。
しかしいかに将棋好きとは言え、そんな生活は3日も続くと飽きる。
なので、昼は広いグラウンドで野球をやったり(道具は寮にそろっている)、夜ともなれば麻雀(大体、ノーレートとそうでないので2卓立った)、トランプ(大富豪)、UNO、チンチロリン、飲み、などが限度なく繰り返された。
夜遅くまで、あるいは明け方までそんなことをしている連中が続出するとどうなるか?
まず、他所の団体から、深夜までうるさくて寝られないと苦情が来る。
さらに、部員が朝飯を食べに起きてこなくなる。
他の部が、食堂の決められた席に全員着席し、きちんと点呼を取って「いただきます!」と叫んでいるというのに、我々将研はというと、勝手に着席して自由に食い始め勝手に帰って行くという有様。しかもそのうちの半分ぐらいは手付かずのまま残飯になってしまう。
美味しい朝食を苦労して作ってくれた寮の人たちにしてみれば、一体何という学生だ、と腹がたつのも当たり前というものだ。
そうゆうわけで、合宿も4日目くらいになると、幹事長が菓子折りを持って事務室に謝罪に向かう、というのが毎年の恒例行事だった。
せめて朝飯だけは起きて食べろ、という通達が来たりもした。
A,B,Cと、実力に合わせて分けられた総当りのリーグ戦。
公式戦の合間に行われる練習将棋。
一人3手指して交代する3人1組のリレー将棋の大会は必ず盛り上がった。
朝から晩まで将棋だらけの日々……。
そしていよいよあの、恐怖の「地獄名人戦」がやってくることとなる。
(つづく)
ここは明大の施設で、1泊2日3食ついて、実に1500円という安さで利用できた。
場所はJR中央線で山梨県の小淵沢駅まで行き、さらにバスに揺られていくという山の上。
この当時は今から30年前。
パソコンや携帯電話もない時代である。
今の人にはピンと来ないかもしれないが、ワードプロセッサーさえなかったのだ!
電話はダイアル式の黒電話が各家庭に1台という時代。
テレビにもリモコンなんてついてなかった。
何が言いたいかというと、つまりそこは陸の孤島。
テレビは管理人の部屋に1台あるが我々は見れない。
当時プロ野球は人気があり、ほぼ毎日のように巨人戦を試合終了までやっていた。(ちなみに、「地上波」という言葉もなかった。テレビにはUHFとVHFの区別しかなかった)
だから7月の下旬に行われるプロ野球オールスター戦(3日間行われた)も、当然人気があった。
しかし、合宿の時期がよくオールスター戦と重なるのだ。
勿論見れない。
…どころか新聞も見れない。
いったん車などで下界に下りないと、世の中のニュースも何も入らなくなってしまうという、恐ろしい環境だった。
そんな中で、われらは毎日将棋を指していた。
勿論、盤・駒やチェスクロックは1年が分担して持っていくのである。
昼も夜も将棋。
しかしいかに将棋好きとは言え、そんな生活は3日も続くと飽きる。
なので、昼は広いグラウンドで野球をやったり(道具は寮にそろっている)、夜ともなれば麻雀(大体、ノーレートとそうでないので2卓立った)、トランプ(大富豪)、UNO、チンチロリン、飲み、などが限度なく繰り返された。
夜遅くまで、あるいは明け方までそんなことをしている連中が続出するとどうなるか?
まず、他所の団体から、深夜までうるさくて寝られないと苦情が来る。
さらに、部員が朝飯を食べに起きてこなくなる。
他の部が、食堂の決められた席に全員着席し、きちんと点呼を取って「いただきます!」と叫んでいるというのに、我々将研はというと、勝手に着席して自由に食い始め勝手に帰って行くという有様。しかもそのうちの半分ぐらいは手付かずのまま残飯になってしまう。
美味しい朝食を苦労して作ってくれた寮の人たちにしてみれば、一体何という学生だ、と腹がたつのも当たり前というものだ。
そうゆうわけで、合宿も4日目くらいになると、幹事長が菓子折りを持って事務室に謝罪に向かう、というのが毎年の恒例行事だった。
せめて朝飯だけは起きて食べろ、という通達が来たりもした。
A,B,Cと、実力に合わせて分けられた総当りのリーグ戦。
公式戦の合間に行われる練習将棋。
一人3手指して交代する3人1組のリレー将棋の大会は必ず盛り上がった。
朝から晩まで将棋だらけの日々……。
そしていよいよあの、恐怖の「地獄名人戦」がやってくることとなる。
(つづく)