前回は、「信ずべき本物(authenticity)」について、考えました。
今日からは、小学生になります。Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、学童期の部分の第1段落です。それでは、タイトルを含めて、翻訳します。
学童期ときちんとやること
きちんとしたやり方とその余裕
小学生になると、「きちんとやる」という儀式化のもう一つの要素が付け加わります。もしもこの「きちんとやる」儀式化の要素がなかったら、いままで述べてきた儀式化の要素は、それぞれの要素を、十分な活動からなる綿密な手続きと、熟練や円熟レベルの総合的な品質にまで、まとめていく統合原理をなくしてしまうでしょう。素材になる物や事実を見れば、新しくて長持ちするきちんとしたものにするために、何ができるかが分かる という心理的情緒的な熱意が、小学生になる頃にようやく成熟します。むしろ、その熱意が知的にも成長する準備ができるからこそ、子どもたちは学校にやられるのです。そこではいきなり、遊びが仕事へと一変し、ゲームが試合と共同作業に、気ままに空想していたのが、技術に目いっぱいの注意を払ってしなくてはならない義務へと、一変します。その技術のおかげで、空想していたことが人に伝えられるもの、説明できるもの、決まった仕事に応用可能なものになります。儀式化が学校と言う場で本当に協調して働くようになるのは、すなわち、生徒と教員とクラスの仲間の間でやり取りがある時なのです。その文化世界の言語性と身体性に従って作られた、以前述べた一連の課題の中で教えられるのは、経済体制や技術体制に参加する上で不可欠な基礎技術です。その基礎技術が、捕食のものでも、農業のものでも、商業のものでも、産業のものでも、文学のものでも、科学のものでも、変わりません。この基礎技術がそれぞれ示しているのは、一つ一つはこまごまとした「きちんとやる儀式化」です。一つ一つはこまごました「きちんとやる儀式化」は(これこそ、狩猟漁労生活をする部族の、子どもの時期の生活様式に対して、最初に行った洞察を報告した際の要点です)、人生を卒なく営む生き方との繋がりを、理想を持った生き方との繋がりに加えて、保たなくてはなりません。
以上が、学童期の部分の第1段落の翻訳です。
学童期、小学生の時期の儀式化が「きちんとやる儀式化」であることが示されました。ひとりひどりの人が、社会の中で、社会が求める技術を使いつつ、生活費を稼いでいけるようになるために、とても大事な儀式化だと言えるでしょう。
今日はここまで。
今日からは、小学生になります。Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、学童期の部分の第1段落です。それでは、タイトルを含めて、翻訳します。
学童期ときちんとやること
きちんとしたやり方とその余裕
小学生になると、「きちんとやる」という儀式化のもう一つの要素が付け加わります。もしもこの「きちんとやる」儀式化の要素がなかったら、いままで述べてきた儀式化の要素は、それぞれの要素を、十分な活動からなる綿密な手続きと、熟練や円熟レベルの総合的な品質にまで、まとめていく統合原理をなくしてしまうでしょう。素材になる物や事実を見れば、新しくて長持ちするきちんとしたものにするために、何ができるかが分かる という心理的情緒的な熱意が、小学生になる頃にようやく成熟します。むしろ、その熱意が知的にも成長する準備ができるからこそ、子どもたちは学校にやられるのです。そこではいきなり、遊びが仕事へと一変し、ゲームが試合と共同作業に、気ままに空想していたのが、技術に目いっぱいの注意を払ってしなくてはならない義務へと、一変します。その技術のおかげで、空想していたことが人に伝えられるもの、説明できるもの、決まった仕事に応用可能なものになります。儀式化が学校と言う場で本当に協調して働くようになるのは、すなわち、生徒と教員とクラスの仲間の間でやり取りがある時なのです。その文化世界の言語性と身体性に従って作られた、以前述べた一連の課題の中で教えられるのは、経済体制や技術体制に参加する上で不可欠な基礎技術です。その基礎技術が、捕食のものでも、農業のものでも、商業のものでも、産業のものでも、文学のものでも、科学のものでも、変わりません。この基礎技術がそれぞれ示しているのは、一つ一つはこまごまとした「きちんとやる儀式化」です。一つ一つはこまごました「きちんとやる儀式化」は(これこそ、狩猟漁労生活をする部族の、子どもの時期の生活様式に対して、最初に行った洞察を報告した際の要点です)、人生を卒なく営む生き方との繋がりを、理想を持った生き方との繋がりに加えて、保たなくてはなりません。
以上が、学童期の部分の第1段落の翻訳です。
学童期、小学生の時期の儀式化が「きちんとやる儀式化」であることが示されました。ひとりひどりの人が、社会の中で、社会が求める技術を使いつつ、生活費を稼いでいけるようになるために、とても大事な儀式化だと言えるでしょう。
今日はここまで。