エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

理想の役割と悪者の役割のバランス

2013-04-11 02:09:24 | エリクソンの発達臨床心理
 前回は、儀式化の筋立ての要素がどのように遊びに中に表現されるようになるのかをエリクソンは教えてくれました。それは、自分は「悪い子という感じ」が遊びに中に出てくることから始まるのでしたね。
  今日は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、幼児後期の部分の第5段落です。それでは翻訳します。






 子どもの頃の遊びは、自分に対するイメージと他者に対するイメージを調べる時に、精神分析が「自我理想」と呼ぶものを、最も明確に表します。「自我理想」とは、私どもが尊敬できる自分自身の一部分です。自我理想とは、少なくとも、理想的な筋立ての中で、私どもが理想的な演者として自分自身を想像できる範囲の中では、尊敬できる自分自身なのですが、それと同時に、理想的な役割をうまく演じられない人に対しては、適切に罰して、村八分にすることも伴います。このように、私どもは、理想的な役割と悪者の役割のヒエラルヒーを実験し、空想する場面でそのヒエラルヒーに対する心構えを整えます。もちろん、その理想の役割と悪者の役割のヒエラルヒーは、日常生活で私どもが実際に携わる範囲を超えています。それで、子どもが想像することは、儀式化された空想世界とのやり取りがいつもあります。その空想世界は、絵本や民話、神話やたとえ話の中に示され、子どものイメージの中で、最高なものと最低のもののバランスを取ってくれます。





 これで、幼児後期の第5段落の翻訳を終了します。
 今日はここまで。
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