エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

壊しちゃっても、いいんです 無視や搾取も仕方がない?

2013-04-16 06:25:23 | エリクソンの発達臨床心理
 前回から学童期に入りました。
 今日は、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、学童期の部分の第2段落です。それでは翻訳します。






 私どもがここでいったん立ち止まって考えなくてはならないのは、経済的な理想、様々な形の競争、それから、建設の仕事を伴うならどのような破壊(素材、獲物、競争相手など)でも、それらを是認するのが、学校の流儀であることです。私どもが短い事例で分かったことは、ユーロック族の人々がいかに考え、祈りを込めて、サケに語るかということです。実際ユーロック族の人々はサケに対して、「あなたの仲間が、我々に必要な分だけ捕られ、食べられさえすれば、あなたたちは種族としては不滅です」と約束します。現に、サケの遡上がピークになった時に、大がかりな儀式をしては、歓喜しながら、毎年クラマス川にダムを作って、ユーロック族の人々は、有り余る漁獲を得ています。他方、十分な大人のサケが上流の産卵場まで遡上することを許し、だからこそ、十分な子孫が川を下り、予定した回帰のために大洋に消えていくことをも許すのです。このような不思議な自信に裏打ちされた行為は、土を耕す耕作者にも必要です。なぜなら、自然が、毎年の実りをすっかり取られても、それを受け容れ、しかも、慈悲深いままで、いや、十分に慈悲深いままでいてもらわなければならないからです。重商主義の頃までは、重商主義は財を集めて、人間を素材に商品を作る時に、奴隷というわけではないけれども、市場の道具か操り人形として、人間を利用します。産業革命が進展するにつれて、太古の罪の意識に起きたことはなんだったのか、というきわめて複雑な問いに私どもは直面しています。というのも、人間は機械に奉仕するためには自分が機械にならなければならないからです。しかも、他者を機械にしなければならないし、大事な決定を機械に譲り渡さなければならないからです。しかしながら、至る所で、太古の罪の意識が弱くなるのは、世界が搾取されてバラバラになっているのに、そのバラバラになった世界に応じて技術が完成されているためなのです。予定されたいっそう高度な完成度に貢献した人は、成功と報酬と称賛を得る「資格がある」のです。しかも、その過程で、誰を、何を搾取し、無視してきたかについては、自分自身が無視した自分の潜在能力も含めて、(ある程度は)忘れても仕方がありません。





 ここは、小林秀夫並みに飛躍が多く、論旨についていくのが難しいと思います。
 ただ、学校が経済のために、様々な競争や破壊(搾取や無視も)を是認する点と、産業革命以降、人間の「原罪」さえ意識せずにはおれない社会情勢があるにもかかわらず、技術が断片化された世界にのみ対応して精緻化しているために、トータルに人間や世界を見る視点を失って、自分や社会の課題さえ忘れてしまう、という指摘が重要でしょう。ユーロック族の人々や農耕をする人たちが、祈りをもって考え、話をしているとしたら、産業革命以降の社会に生きている私どもは、何を祈っているのでしょうか?あるいは、どのような「不思議な自信」を持っているのでしょうか?
 そのことを考えされられる箇所でした。
 本日これまで。
コメント
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