エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)の、インチキ療法 乱暴な抱っこ法

2016-10-21 07:13:36 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
ドイツ農民戦争の小作人たちは、井上ひさしさんに似ている
 意地悪な気持ちからでも、そうでなくても、人を攻撃すると、結局は自分が攻撃されることになります。ですから、「剣を打ち返して、鋤となせ」なのでしょう。 Young Man L......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p162、最後から。

 

 

 

 

 

養子に出された子ども達、アメリカ式養子に出されたことも達には、よく試されることですが、このインチキ療法は、子どもと家族の間に絆を作ろうと考えたんです。ひとつは、1970年代初めに、カリフォルニア州の心理学者、ロバート・ザスローによって、開発されたものですが、いろんな「抱っこ」を含みます。1つは、子どもの頭が動かないように抑えつけるものですし、別のは、手足を引っ張って、拳を子どもの胸に当てて、乱暴に突っ込んだり引っ込めたりするものです。

 

 

 

 

 どうしてこんなインチキ療法が起きたのか。一見もっともな理屈があるからかもしれません。でも、それよりも、人びとが、子どもにどう接して良いのか分からない、解らないから不安であることに、付け込まれているからでしょう。

 でなければ、子どもの頭を動かないように抑えつけたり、子どもの胸を乱暴に打つ真似をすることが、許される訳がありません

 

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デタラメな診断だらけ、インチキ療法だらけ、ニッポン!

2016-10-21 06:26:48 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
思春期の知的に物事を捉えがちなこと
   内村鑑三のことばと中村修二さん  今日から「道をひらく 内村鑑三のことば」の再放送が始まりました。第一回目の今日のタイトルは「迷いと慰め」でしたね......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.139。第2パラグラフから。発達トラウマ障害(DTD)の診断しないと、いかに、でたらめな診断がまかり通って来たのか、いまも、まかり通っているのか、お気づきでしょう。

 

 

 

 

 

 精神科は、薬の専門分野として、心の病を正確に定義することを大事にしています。それは、膵臓ガン、連鎖球菌性肺炎を正確に定義するのが大事なのと同じです。ところがです。心、頭、人間の愛着関係が複雑ですから、私どもは、心の病を正確に定義するところに、遠く及ばないのが現実です人々がいま、何処が「悪いのか」を理解することは、いろんな客観的な事実よりも、臨床家の物の見方次第、という訳です。

 

 

 

 

 心の病は、なかなか正確には定義できません。ですから、こころの病の診断マニュアルが、何年かごとに、時には、大幅に改定されるわけですね。

 発達トラウマ障害(DTD)も、その視点がないので特にニッポンは、デタラメな診断だらけ、インチキ療法だらけ、なんです。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智: 心病む人が子どもっぽい訳

2016-10-21 04:40:26 | 間奏曲

 

 

 
発達トラウマを抱えたままでは、「何のために生まれて」に応えられません
  発達トラウマがありますと、その愛着障害の子どもは、自分の意識ではコントロールすることができない、身体反応に苦しんでいます。一番よく見かけると申し上げている「表情が乏しい......
 

 

  Chilhood and Socirty から。p.61から。

 

 

 

 

 

 これらの心病む人たちは全て、依存症でも、うつ病でも、抑制タイプの人でも、子どもの頃の舞台を、1つか2つ、どこかでやり損ねてんですよね。ですから、こういう人たちは、子どものころのパターンから自分を守ろうとして、負けるもんかと思って、無駄骨とも知らずにやるんですが、結局、うまくやれずにいるんです

 

 

 

 

 

 赤ちゃんや幼子の頃の舞台でやるべきことをやらずに来ている人は、心の病気になることが、実に多い。今どきのニッポンで、子どもから大人まで、心病む人ばかりなのは、子どもが心豊かに生きられる社会ではないから、親が子どもと一緒にいる時間が、極端に少ない社会だから。逆に言えば、親が過労死するほど会社にいる時間が長く、賃金が安すぎるから、長時間労働になりがちだからです

 子どもの頃のパターンから自分を守ろうとしても、無意識にある感情色の体験に気付かない限り、無意識の慣性の猛烈な暴力に負けるのが落ちです。ですから、意識的に子どもの頃のパターンから自らを守ろうとしても、結局失敗するわけです。

 

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インターメッツォ: アダムが教えてくれたこと :  一緒のいる時間>何かをして挙げる時間

2016-10-21 03:59:58 | 間奏曲

 

 

 
上手い料理が喰いたい!   台所から遠ざかる時代 家庭料理没落の日本
 内村鑑三のことばと中村修二さん  今日から「道をひらく 内村鑑三のことば」の再放送が始まりました。第一回目の今日のタイトルは「迷いと慰め」でしたね。 冒頭で司......
 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、p.42。ナウェンさんのお話の続き。話すことも、歩くこともできない、身の回りのこともできない、重たい知的障害の青年、アダムとの暮らしについて、語ります。ナウェンさんはそのアダムの「支援員」のような暮らしを始めました。

 

 

 

 

 

 アダムは、静かに、神様のこと、神様の友情について、具体的な形で、私に教えてくれたんです。

 まず、アダムが私に教えてくれたことは、「一緒にいることは、何かをして挙げることより、大事だ」ということですし、神様は私がアダムと一緒にいることをお望みで、自分が価値ある人間であることを証明するために、いろいろ立ち回ることではない、ということです。私の人生は、それまでは、これでもか、これでもか、とやることばかりでした。私はやる気満々の人間ですから、何千、何百のことをしたいと思います。そして、「自分には価値がある」ということを、最後には、何とか示したいと思っているんです。

 

 

 

 

 

 何もこれは、重たい知的障害の青年、アダムに限ったことではありません。子どもに日々、サイコセラピーをしてますとね、親が子どもと一緒にいる時間が、極端に少ないことが解かります。子どもと遊んでいますでしょ、親が子どもと一緒にいる時間が、極端に少ないことが解かります。

 日本の親や教員の、子どもとの関わりは、基本がネグレクトです。(ですから、不登校や心の病気な子どもが多いんです)

 

 

 

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