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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

思春期の知的に物事を捉えがちなこと

2015-10-20 07:12:34 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
内村鑑三のことばと中村修二さん
  今日から「道をひらく 内村鑑三のことば」の再放送が始まりました。第一回目の今日のタイトルは「迷いと慰め」でしたね。 冒頭で司会の石澤典夫アナウンサーが「今...
 

 

 外側で改革をしていくためには、まず心の中を改革していく必要があります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p84の、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

これは、疑う余地がないほど、物事の「関係を性的に見た」側面です。しかし、知的な防衛機制は、この舞台で得た知的な成長としても、今どきの特色である、知的な品性をやり取りする礼拝を適応的に用いたものとしても、思春期に見られますし、思春期に共通するものであると考えられます。実際、その社会化の過程は、このような思春期の発達過程を勘定に入れなくてはなりませんし、認めなくてはなりません。社会化の過程は、思春期は、えてしてやりすぎになるものだということも含みますし、そのやりすぎは、変化する人品に再度適応しようとするためだ、ということも含みます。

 

 

 

 

 

 知的なことは、思春期に獲得する知的な成長でもある訳です。人生経験がまだまだですから、物事を実感のある体験を通して理解するよりも、知的な操作で理解する方がやりやすいからでしょう。社会も、そのあたりの事情を斟酌して、社会科の過程に組み込んでいくことが大事ですね。

 ところで、この知性的な側面を、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちには感じない点が、何を意味しているのか、もう皆さんはお分かりですね。すなわち、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちは、それだけ幼稚だ、ということです。

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