エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

空き巣よりも、テッツェルにご用心!

2015-09-15 08:51:57 | アイデンティティの根源

 

 

 カトリック教会の身勝手な振る舞いは、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの身勝手な振る舞いに似ています。嘘八百を並べて、金を集めるだけ集めて、その金を飲み食い遊びに使ったり、自分の意見を何が何でも押し付けようとしますでしょ。おかしいことを私どもは、ホッタラカシにしてはいけません。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.226の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルター自身の管区の大司教、ブランデンブルクのアルブレヒトは、1500年の記念祭で集めた免罪符の売り上げを、自分の借金の支払いに使っちゃいました。それに伴って、ローマ法王の許可まで持ち出したんですね。ブランデンブルク伯爵は、第三の大司教の聖職位を買うために、教皇におさなめなくちゃいけない金を、アウグスブルグのフッガー家から借りてたんですね。ローマ教皇は、フッガー家に、免罪符の賽銭箱から、まだ入れたばかりの生暖かい金を抜き取ることを許していたんです。そのお金は、人々が、自分自身の罪の告白のための貯めた金でしたし、何百年もの間、煉獄で苦しむ大事な人を救うために貯めた金でした。ある免罪符売りの一団、金もうけのためには手段を択ばないことで悪名高いテッツェルが、ザクセン選帝侯の領地に近づいた時に、ルターも選帝侯も、耳をそばだてて、警戒しました。

 

 

 

 

 テッツェルは、当時は特別な存在だったかもしれません。でも今の日本では、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちや、ワタミも東電も東芝も、皆テッツェルみたいなもんでしょう。金もうけのためには、手段を択ばない輩です。

 空き巣よりも、テッツェルにご用心、ご用心。

 

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自分の感じをきちんとした形にして出せるかどうか?

2015-09-15 08:06:20 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 私どもも、人生を賭けることが出来るヴィジョンをハッキリと意識したいものですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p75の10行目から。

 

 

 

 

 

このようにして、未来のパートナーや親となる人は、その社会で提供される教育の仕方はどんなものでも、経験することになるかもしれませんし、働く場で最低限必要なことを、技術の面でも、人間関係の面でも、学ぶかも知れません。私どもがこの時期に宛がってきたは、この時期特有の人間関係の心理的危機です。すなわち、industry インダストリー 「自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ」に傾くのか、それとも、inferiority インフェリオリティー 「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」に傾くのか、ということです。すなわち、道具の世界の掟にも、皆で共同してやる時のルールにも、計画し、あらかじめ日程が決められた手続きの中で、上手に自分の感じを合わせて活動できる、という根源的な感じの始まりです。

 

 

 

 

 エリクソンのライフサイクルは、臨床から生まれたものですから、いかに実践的で臨床的か分かりますでしょ。小学生から、いい大人やお年寄りまで、自分の感じをきちんと出せるし、そのことを悦びにできることって、大事でしょう。その時には、自由に話してもいいし、その話はみんなで話し合うためにあるはずですね。日本軍や東芝、東電、大川小学校、西武学園…のように、自由にものが言えない、と感じていたら、もう「インダストリーのある人」ではありません。インダストリーは、「勤勉であること」ではないんですね。ですから、そういう人は、年恰好や身なりが「いい大人」であっても、小学生の発達危機である、industry インダストリー 「自分の感じをきちんとした形にして出しても良い感じ」に傾くのか、それとも、inferiority インフェリオリティー 「自分の感じをきちんとした形で出せないし、出してもダメな感じ」に傾くのか、で、後者の方に傾いてしまったことです。すなわち、小学生の危機をうまく乗り切ってない人、ということになります。

 

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改訂版 セラピー、ないしは、心と心が響くこと

2015-09-15 07:26:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪約束≫
 巨大な遊び場 自主独立の人になる場2013-09-14 04:11:40 | エリクソンの発達臨床心理ア...
 

 
 今晩は、セラピーについて考えます。同じことだと私は感じているのですが、心と心が響くことも考えたいと思います。

 セラピー。カタカナ言葉。英語では、therapy。研究社の『リーダーズ英和辞典 第2版』には、「療法、治療」とあります。もともとは、ギリシア語の名詞θεραπεια セラペイア 「①奉仕、世話(中でも特に医者による)、治療の奉仕、治療、手当て」、「②仕える人々、召使いたち、家の者」などとあります。また、このθεραπειαは、さらには、動詞のθεραπευω セラペウオー「①奉仕する、仕える、②(医者が)治療する、手当てする、看病する、(治療を行った結果)癒す、健康を回復させる」と出てきます(いずれも、織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』から)。つまり、セラピーとは、「仕えることで、健康を回復させることだ」と言えそうですね。

 健康、ヘルス healthが、もともと、全体 all, wholeと同じ言葉であったことを考え併せますとね、自分を全体に向けで、広げることでしょう。全体というのは、内的に言えば、≪本当の自分≫のことですね。あるいは、外的に言えば、全人類、ないしは、神羅万象全て、ということでしょう。内的に言えば、今まで意識したり、受容したりすることができなかった自分を、意識し、受容することですね。それは、別の言葉で言えば、カッコ悪い自分であったり、みっともない自分であったりする場合がほとんどですね。渡辺和子さんの言葉で言えば、「ふがいない自分」になります。「ふがいない自分」も大事に、いとおしい存在として、受け止めることです。外的に言えば、今まで気に入らなかった人とも、イジメていた相手も、仲間として認めること。考えもしなかった、自然のこと、地球のこと、宇宙のことまでも意識して、暮らしていくことです。

 セラピーは、それをたった一人でするのではありません。セラピーは一人ではできないからですね。必ず相手が必要です。エリクソン Erikson, E.H.は、そのセラピーの関係を≪礼拝≫ritualization リチュアライゼーションと呼びました。そして、その関係は、心と心が響き合う関係 syntonic シントニックな関係と呼びました。これは自分と≪本当の自分≫の関係であると同時に、セラピーをする人同士、礼拝をする者同士の関係でもあるんですね。

 つまり、礼拝をする者が、セラピーを司るものが、自分の全体性、健康を回復したいと願う人に、仕えて、心と心を響き合う関係が出来ると、その相手の人も、≪本当の自分≫を、今の自分を≪超越≫する者として大事にすることで、心と心が響く関係を保つことができる訳です。礼拝するものが、セラピストが、相手を自分を≪超越≫するものとして大事にして、心と心が響き合う時はじめて、その相手も、自分と、自分を≪超越≫する≪本当の自分≫と、心と心が響くあって、≪本当の自分≫になれる、という訳です。

 ですから、≪本当の自分≫といつでも何度でも、響き合う関係でいることが、いつでも何度でも、大事になります。

 

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