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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

仕事でアイデンティティは確立できるのか?

2015-04-19 20:33:24 | アイデンティティの根源

 

 ロッテルダムのエラスムスと、ルターとは、水と油、仲が悪かった。

 Young Man Luther 『青年ルター』p194の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ところが、あるいは、マルティンは、エアフルトに歩いて帰る時でさえ、ルネッサンスの汚れた仕事をする準備があった、という人がいてもおかしくないんですね。それは、ルネッサンスに元々あった個人主義的な原理を、キリスト教が非常に強化した本拠地、すなわち、市井の人の良心に当てはめることによってです。ルネッサンスは、芸術、科学の人々に、広大無辺な自由をもたらしましたが、この人たちは、その果実、すなわち、美的、論理的、数学的な立証によって、自分らの作品を確かにしたのでした。

 

 

 

 

 人は仕事ができると、それで人生も充実した感じを持つ場合がありますよね。それはそれで、尊いことでしょう。しかし、仕事ができることが、人として自分を確かにするものでしたら、その仕事を失ったら、どうですか? 自分を確かにする課題、それこそ、アイデンティティの課題そのものです。

 

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自慰の空想と、理想の空想

2015-04-19 18:54:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 エリクソンは、一人の人を人間関係の中で見たいと願ったのですね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p30の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ここでは、ついでに、人間の手の働きを一つ考えることのしましょうね。つまり、自慰と自慰の昇華の仲を取ろうという訳です。両腕(アームズ、「武力」という意味にもなる)は、守りの働きもあれば、攻めの働きもありますが、両腕が「ある」のは、両手が性的興奮を引き起こす敏感な道具として役立つためですし、それはちょうど、人が特別に目と手の協応ができることによっても、非常に複雑なことを器用にできるのと同じです。こういうことはみんな、遊びの時期には、とてつもなく大事なんですね。自分の感じに従って大丈夫という、自律した感じと、自分の感じに従ってはがダメだという、罪深い感じの間にある、心理社会的な葛藤は、その自慰のせいなんですね。もちろん、罪深さは、いつも自慰してちゃダメ、となりますし、自慰がもたらす空想もダメ、ということにもなります。かたや、自分の感じに従って大丈夫という、自律した感じがあれば、器用な遊びの時や、仕事や人とのやり取りの時に、いろんな理想に繋がる道が開けます。

 

 

 

 

 

 自慰はダメ、というのと、いろんな理想を思いつくことは、そんなに離れているものではないんだなぁ、って感じですね。

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狂気の安倍政権 改訂版

2015-04-19 17:23:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

  昭和記念公園ゲート脇の花々

 
学校が猛毒になった時
   学校の形式主義と教員の「仕事バカ」 前回は、学校が、経済活動の負の側面を是認することや、現代...
 

  一国の首相に対して「狂気」などと呼ぶのは、失礼ではないのか? という向きもおありでしょう。私もできればそんなことはしたくないのです。精神科の患者の皆さんに失礼だ、と感じるからです。

 内村鑑三の1923年の短い文書に「狂気と正気」があります。関東大震災が9月1日ですが、この文書はその直前に書かれた文書です。この文書で「狂人」と内村が言う者の特色は「自分は他(ひと)の説を聴く必要がない」というのですね。聴く耳のない人です。また内村はその特色を「人が自分を如何に思うとも、自分は世界のアウトクラツト(絶対君主)であると」勘違いしている人だとします。私はこれを読んで、安倍晋三首相のことだと感じたわけです。

 安倍晋三政権は、人の話は聞かないで、他者に自分の意見を押し付けるのが常套手段だからですね。辺野古移設に対する沖縄の人々との関係、原発反対の人々との関係、国会議員の議員定数の違憲判決を出した司法との関係、東京のキー局はじめ、マスコミとの関係…。自民党・公明党が衆議院と参議院で多数派を形成していることを笠に着て、人の話を聴かずに、自分を意見をゴリ押しする姿勢が非常に目立つ。

 また、安倍晋三首相の答弁や演説を聴いていて、目立つ言葉が「確信しています」という言葉ですね。これも内村に言わせれば、「自分を信じるの厚きをもって、最上の性格なりと信じ」ている姿勢の表れだと、私は確信しています。自分を信じる程度には、他者を信じていない、という訳ですね。これも非常に危険です。

 いずれにしても、内村の分類では、安倍晋三首相は、間違いなく、「狂気」です。「狂気」の政権をいただく我々は、一刻も早くこの「狂気」の政権を葬り去らなくてはなりません。

 では、内村の言う「正気」とはどういうことでしょうか? それは次のような人です。「自分は真理の一部分を示されて、神に感謝する。自分は日に日に少しづゝ(ママ)、真理を教えらる」という謙虚な姿勢の人です。ですから、人の話を耳を傾ける姿勢がいつでもあります。ですから、話し合いがいつでも大事になります。

 私どもは、話し合いを大事に、人の話を大事に、特に弱い立場の人の、声にならない声に真摯に、謙虚に耳を傾けるようなリーダーを選びましょう。

 

 

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