
昭和記念公園ゲート脇の花々
学校が猛毒になった時

学校の形式主義と教員の「仕事バカ」 前回は、学校が、経済活動の負の側面を是認することや、現代...
一国の首相に対して「狂気」などと呼ぶのは、失礼ではないのか? という向きもおありでしょう。私もできればそんなことはしたくないのです。精神科の患者の皆さんに失礼だ、と感じるからです。
内村鑑三の1923年の短い文書に「狂気と正気」があります。関東大震災が9月1日ですが、この文書はその直前に書かれた文書です。この文書で「狂人」と内村が言う者の特色は「自分は他(ひと)の説を聴く必要がない」というのですね。聴く耳のない人です。また内村はその特色を「人が自分を如何に思うとも、自分は世界のアウトクラツト(絶対君主)であると」勘違いしている人だとします。私はこれを読んで、安倍晋三首相のことだと感じたわけです。
安倍晋三政権は、人の話は聞かないで、他者に自分の意見を押し付けるのが常套手段だからですね。辺野古移設に対する沖縄の人々との関係、原発反対の人々との関係、国会議員の議員定数の違憲判決を出した司法との関係、東京のキー局はじめ、マスコミとの関係…。自民党・公明党が衆議院と参議院で多数派を形成していることを笠に着て、人の話を聴かずに、自分を意見をゴリ押しする姿勢が非常に目立つ。
また、安倍晋三首相の答弁や演説を聴いていて、目立つ言葉が「確信しています」という言葉ですね。これも内村に言わせれば、「自分を信じるの厚きをもって、最上の性格なりと信じ」ている姿勢の表れだと、私は確信しています。自分を信じる程度には、他者を信じていない、という訳ですね。これも非常に危険です。
いずれにしても、内村の分類では、安倍晋三首相は、間違いなく、「狂気」です。「狂気」の政権をいただく我々は、一刻も早くこの「狂気」の政権を葬り去らなくてはなりません。
では、内村の言う「正気」とはどういうことでしょうか? それは次のような人です。「自分は真理の一部分を示されて、神に感謝する。自分は日に日に少しづゝ(ママ)、真理を教えらる」という謙虚な姿勢の人です。ですから、人の話を耳を傾ける姿勢がいつでもあります。ですから、話し合いがいつでも大事になります。
私どもは、話し合いを大事に、人の話を大事に、特に弱い立場の人の、声にならない声に真摯に、謙虚に耳を傾けるようなリーダーを選びましょう。
