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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ダニフル先生の見方

2013-11-29 03:31:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターの父親の厳格さに対する見方にも、別々の見方がありました。しかし、それだけではありません。歴史そのものに対する見方そのものにも、普遍主義と歴史哲学では違いがあるようですね。今日はまた別の視点が紹介されます。

 

 

 

 

 

 ドミニコ修道会の聖職者、ダニフル先生も、著名な学者であると同時に、中世後期の教育施設に関する権威です(彼が亡くなったのは、ケンブリッジ大学から名誉学位を叙せられる数日前のことでした)し、非常に強力なルター研究者で、神学的教義に対してかなり自由な引用や再解釈をすることが多いのですが、ルターに対するもう一つ別のイメージを創り出さずにはおれない気持ちでいます。ダニフル先生にとってルターは、umsturzmensch、すなわち、自分自身には計画が全くないままに、この世をひっくり返したいと願っている種類の人物です。ダニフル先生にとってルターのプロテスタントの態度によって、世界にあっては危険な、革命を成し遂げようとする精神をもたらしたのでした。ルターの類まれな才能も、この聖職者は否定するわけではありませんが、デマゴークであると同時に、偽預言でもありました。この「偽」とは、単に神学が怪しいというだけではなく、根っからわざと間違う、ということです。こういったことすべてが当然の結果となったのは、この聖職者にはごく当たり前の提言があったればこそ、でした。それは、天与の戦争が、この大学教授は、こういったことはルターの仕業だと決めてかかっていましたが、ウソがないものになるのは、戦争が、神の封印やサイン、すなわち、目印と奇跡を示す時だけです。ルターが、奇跡を起こさないでほしいと神に祈った時、それは、ルターは自慢することもなければ、サタンによってみ言葉から外れることもないためですが、彼が捨てた唯一ものは、天国そのものと同じくらいの高みにあるブドウだけでした。なぜなら、このような印を受け止めた者が教会から閉め出されたままでいる可能性なんぞ、イエスのことを、この世に遣わされたたった一人の使者として認めることになれば、永遠に、露ほどもなくなるからです。

 

 

 

 

 

 宗教改革を始めた人でも、大ウソつき(デマゴーグ)とか、偽物と呼ばれたこともあったのです。他人の評価で一喜一憂しないことが、どれだけ大事かが分かります。

^_^

 

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