闘うルターのイメージは、強烈ですね。今日はその続きです。
Kriegsdienst (ドイツ語で「兵役」の意味)は、兵役に対する金属的なドイツ語ですし、この大学教授は、(旧約)聖書で神を呼ぶ時にはたいていEl Zabaoth(「万軍の主」の意)、すなわち、天使の軍隊の司令官と呼んでいます。彼は、神を、皇帝の肩書きであるKriegsherr(ドイツ語で「最高司令官」の意味)とさえ呼んでいます。それで、あらゆる異常なことがルターに起こると、それは、befohlen、つまり、天から命令されましたが、それ以上の注解や説明がある訳でもなく、ルターの側に意図や動機があるといったことも全くありませんでした。結局は、動機に関する、あらゆる心理学的な憶測は、全くverboten、禁じられたも同然です。全く不思議ではないことは、ルターの「人格」が、まともな人間に等なるはずのない伝統的なイメージのかけらを寄せ集めているように見えたことです。ルターの両親もルター自身も共にに亡くなっています。彼らの素材は、普通の小さな町にいるドイツ人の性質です。簡素で、手仕事に勤しみ、真面目で、率直で、義理堅い(bieder, tuechtig、gehorsam, wacker )人たちです。もちろん、創造神話は、このような人々を神がお選びになり、何の前触れもない「破局的な」決断に陥らせるのです。
ルターの人格の元になるものは、田舎町の人々にはありがちなものでした。つまり、ルターの人格は、いわば、ガラクタからできていた、とこの大学教授は言うのですね。しかし、その人物を神が選んで、考えてもみなかった「破局的」決断へと導くことになります。しかし、その「破局」は「再生」「新生」のための出発点にもなる「破局」になるはずです。