空飛ぶ円盤
スミス教授は、ルターの自慰への耽溺を見逃しませんでした。スミス教授はまた、ミスも犯しました。ルターも人の子、スミス教授も人の子、ということでしょうか?
大学教授、司祭、それに、精神科医が、スミス教授を「精神分析家」と呼ぶけれども、私自身は彼をそのように特色付けることは致しません。なぜなら、彼の非常に優れてはいても、データに基づく貢献が1人の男に対する、1つの孤高な実験であるように思われるからなのです。その男は、私が知る限りにおいては、体系的に、精神分析の視点から研究されたことは、実践においても、理論においても、一度もないのです。
ルターの様に、人類の歴史を語る上で、書くことができないほどの人物でも、必ずしも語りつくされているわけではないことが、エリクソンによって教えられますよね。精神分析の視点からルターを見とる、どのようなことが分かるのか? 今後のエリクソンの展開が楽しみですね。