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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

通過儀礼としての精神分析

2013-08-20 02:41:03 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ほんの短い夢でも、鮮やかにクライアントのコンプレックスを示すことがある、そういうケースをエリクソンは紹介してくれました。それは実に見事なくらい、ハッキリとコンプレックスになったクライアントの経験と、その経験にべったりとまとわりつく恥と激しい怒りをも示すものでした。ただ、夢は自由連想によって、連想に躓く声を、これまではあまり触れられていませんが、拾われていることは確かでしょう。その躓きと夢を関連から、これだけのことをエリクソンは理解できたのだと考えられます。

 

 

 

 

 

  この夢は、結局のところ、患者の赤ちゃんの頃の神経症と、パーソナリティーの発達を明確にすることを支援する際に、戦略上必要であることを証明しました。しかし、ここで、この初回夢がどのようにして「精神分析的状況」について、くどくど話したのか、と私どもが問うならば、私どもは、この医療処置の「通過儀礼」の側面に注目しなくてはなりません。彼女が初回面接に来た時、私が彼女に申し上げたことは、「あなたはカウチに横になってください。ただし顔は私と反対の方に向けてください。それから、自分の考えを自由に思い浮かべて、その思いをありのままに言葉にしてください。その思いが、どんなに苦痛でも、恥ずかしくっても、そうしてください」ということです。さて、私にその夢を言う段になって、彼女はまるで私とゲームで遊ぶ準備ができました、と言わんばかりに、私に挑戦している感じがしました。この夢の根源的テーマが、子どもの頃のキリストの苦境と自分自身の苦境を、臨床上の儀式と比べていることは明らかでした。その臨床上の儀式によって、彼女は仰向けになるように命令されるのですが、仰向けになれば、彼女は私を見ることはできませんし、私どもの仕事では、実際に、声の連想の「自由な流れ」と呼んでいることを、彼女が気まずく思っていることが分かる、無意識の考え方を私が見付けるまでやれるのです。とにかく、考えの流れが、川のイメージと結びつくのは、彼女の記憶がおしっこに焦点付けされている点と彼女の治療が根源的に必要としている点です。

 

 

 

 

 

 

 精神分析の場が、通過儀礼の側面があることをエリクソンは語ります。それはどうやら、キリストのように、この女性が自分の苦境を捉え返すチャンスのようです。しかし、その苦境を捉え返すためには、自由連想によって、無意識のコンプレックスをちゃんとよく見ることが必要です

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