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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

礼拝はドッコイ生きる “陽気で楽しい”があるから

2013-08-04 01:49:20 | エリクソンの発達臨床心理

 

 エリクソンに対する、心無い疑いに対して、エリクソンは、自分の役割をハッキリと明確に示すことで応えます。私は想像しています。エリクソンは、子どもとの臨床をたくさんやった人です。エリクソンはその子どもとの関わりにおいて、積み木遊びなどを通して、陽気で楽しい関わりをしながら、毎日、礼拝を行っていたはずです。その礼拝によって、その子どもが、新たな見当識、新たなヴィジョンを感じ取って行った時の、溢れるようにキラキラした笑顔、その笑顔に繰り返し出合うことができたことでしょう。それは臨床家としては、またとない喜びですから、そこに手ごたえを得ていたのでしょう。実際6月24日に翻訳した「遊びの治癒力」のところで、エリクソンは「子ども達が、独創性と完成度を備えて、ものを見、話し、遊び、活動するのを見ると、心の根っこから湧き上がるような喜びを隠そうと思っても隠し切れないものです」と記していましたね。

 今日は、そんな疑いがあっても、礼拝はドッコイ生き残れます、というお話です。

 

 

 

 

 ところで、旧来のいくつもの礼拝は、新しい世界が登場する時には、簡単に捨て去られてしまうかもしれません。この新しい世界は、科学技術的な精神が、マスコミを使って、あるいは、「神が定めた」権威の代わりに、お互いに正し合い、補い合う、果てしなく細分化された専門家たちを使って、(何とか)まとまりを付けているのです。しかし、現代の科学技術が、現代の科学技術特有の礼拝を、家庭や職場で、礼拝せずにはおれない気持ちと、礼拝ができる機会に結びつければ結びつけるほど、世界中の人々が情報をやり取りすることによって、新しい、いっそう世界的な議会を作り出せば作り出すほど、新しい(偽物の)預言者たちが、礼拝が廃れたことによってできた隙間を埋めようと、ドット現れることでしょう個人がゆっくり発達する法則を図表にし続けることが、私の仕事として残ります。個人がゆっくり発達する法則を、「天国のようなところ」の住人になったと、あまりにも不用意に錯覚している時代に、人間が「そんな法則なんざぁ、ありゃしない」と否定するのは、まさに大きな危機に瀕した時だけなのです。なぜなら、ひとりびとりの赤ちゃんが生まれるたびに、新しいのに、とっても古い可能性が頭をもたげてくるからです。その新しいのに、とっても古い可能性が実現していくためには、世の中に対する新しい物の見方がハッキリ求められます。それは、私どもが「共に見る」ヴィジョンの働きと運命を峻別する仕事に取り掛かる時に、心に留めておかなくてはならない事実です。

 しかしながら、結論として私が認めなくてはならないことは、今の時代にあっては、毎日の生活をもう一度、礼拝にしたい、と求めるいくつかの印が、伝統的な礼拝にかなった行動がバラバラになっている只中にたくさんある、と私が信じている、ということですし、そのいくつかの印がここにあると、そのイキイキ、ピチピチした生気そのものによって気付くことができる、と私が信じている、ということです。そのイキイキ、ピチピチした生気そのものとは、まさに、陽気で楽しい(関わり・暮らし)です。

 

 

 

 

 ここも、現在の日本のことを言っているように感じませんでしょうか? 「現代の科学技術特有の礼拝が、家庭や職場で、礼拝せずにはおれない気持ちと結びつくとき」とエリクソンが言う時、子どもの遊びと、大人の働きを思います。いまどきの子どもの遊びと言えば、3DSやWii等のゲームでしょう。しかし、これを子どもたちが遊んでいても、子ども達同士で絆を深めている、という感じはしませんね。むしろ、一緒にその場にいても、それぞれの子どもがバラバラに遊んでバラバラを確認している感じがします。職場でも、機械化が一層進んだことは確かですが、非正規労働者が増加し、「モダンタイムス」でチャップリンが描いたときよりも、はるかに、人間が部品となり、ガラクタみたいに簡単に捨て去られていますよね。職場の方もバラバラです。

 エリクソンの確信は実に深いものがあります。それは、全ての人間が、信頼関係に支えられた孤独(ソリチュード)の中で、他でもない自分自身を、自分の心の奥底にある時間・空間・世間(人間)の中に位置づけると同時に、どういう方向を希望して生きていくのかを方向付けなくてはならないことに、エリクソンは確信があるのです。しかし、それだけではありません。エリクソンは、その孤独な作業に関わり、信頼関係を培い、心の中の位置づけと方向づけ(オリエンテーション 見当識)を支援することに、ミッションも感じていたのです。

 エリクソンはその仕事をする時には、必ず、陽気で楽しい関わりと、日頃からエリクソン自身が陽気で楽しい暮らしを実感していることとが必要であったのです。

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