4/18は三春町の滝桜、中尊寺を訪ねた後、再び東北道で一路盛岡へ。
盛岡に入って、カーナビは盛岡ICを出るように示しているが広域MAPで見ると一つ前の盛岡南IC
の方が近そうに見える。盛岡南ICを出たあとのルートをチェックしてみようと盛岡南ICの出口付近
で本線との分岐スペースに車を止めてカーナビを操作していると、突然、運転席のウインドガラス
をノックする人が・・・。
何事かと窓を開けると合羽を着た警官がそこに立っている。停車場所は白線の縞々模様で駐停車
禁止の箇所。こちらが何事かと驚く場合ではなく、警官の方が何事かと驚いたに違いない。
ルートを確認していることを告げると南で出てもすぐ行けると教えてくれた。あとはカーナビが
示すとおりに行けばいいとのこと。すぐICから出るようにと告げた後、パトカーの方に無線で
「応援は居らない」と連絡して立ち去った。
分岐部分にある緩衝バッグに近寄りすぎていたのでこれにぶつかったと見えたのかもしれない。
小雨ではあったが雨の中、この警官にはたいへん迷惑をかけた。
4/18は盛岡泊まり。
翌4/19はホテル最上階の展望レストランで盛岡市街を眺望しながらビュッフェスタイルの朝食を摂る。
これがなかなか豪華で美味であった。ツインの朝食付きで7,600円足らず、シーズン直前の格安価格
かも知れないが本当に頭が下がる。
朝食のあと、有名な石割桜と啄木新婚の家を回ることにする。
石割桜は残念ながらまだ開花が始まったばかりで殆ど蕾みの状態であったが、石割りの名前どおり
花崗岩の割れ目に生える姿が猛々しい。
グリーンのベレー帽とネッカチーフをしたボランティアガイドさんの懇切親切な説明を聞きながら一周
する。朴訥とした岩手訛りが柔らかく響く。
続いて700mほど車で移動して啄木新婚の家を訪ねる。
今は住宅街となった一角にひっそりと建っている。我々のほかに観光客はいない。
ここに、渋民村の住職を追われた両親と間借りして住んだとのこと。家人はどうも啄木は自尊心が強く
被害者意識が出すぎて余り好きではないようだが、当方は小学校時代に教科書で読んだいく編かの短歌が
頭をよぎる。
ーその昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠 いかにかなりけむ
ー石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
ーやはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
ーかにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
ーふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
ーそのかみの 神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
ーたはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
ーふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
ーはたらけど はたらけど猶わが暮らし楽にならざり じっと手をみる
ー東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
等々・・・・
赤貧の中、不遇のまま夭逝した啄木が偲ばれる。それにしてもこの時代の生活の貧しさに
胸が痛む。それに比べて、今は生活程度は上がったがなんと心の貧しいことか。
ふるさとの山、川を振り返る余裕さえないように見える。世の中不満、要求だらけである。
正面玄関の裏側のこちら側が石川家の玄関。こちらは締め切りとなっている。
そんなことを思い馳せながら、次の目的地の田沢湖、角館へ向かう。
盛岡に入って、カーナビは盛岡ICを出るように示しているが広域MAPで見ると一つ前の盛岡南IC
の方が近そうに見える。盛岡南ICを出たあとのルートをチェックしてみようと盛岡南ICの出口付近
で本線との分岐スペースに車を止めてカーナビを操作していると、突然、運転席のウインドガラス
をノックする人が・・・。
何事かと窓を開けると合羽を着た警官がそこに立っている。停車場所は白線の縞々模様で駐停車
禁止の箇所。こちらが何事かと驚く場合ではなく、警官の方が何事かと驚いたに違いない。
ルートを確認していることを告げると南で出てもすぐ行けると教えてくれた。あとはカーナビが
示すとおりに行けばいいとのこと。すぐICから出るようにと告げた後、パトカーの方に無線で
「応援は居らない」と連絡して立ち去った。
分岐部分にある緩衝バッグに近寄りすぎていたのでこれにぶつかったと見えたのかもしれない。
小雨ではあったが雨の中、この警官にはたいへん迷惑をかけた。
4/18は盛岡泊まり。
翌4/19はホテル最上階の展望レストランで盛岡市街を眺望しながらビュッフェスタイルの朝食を摂る。
これがなかなか豪華で美味であった。ツインの朝食付きで7,600円足らず、シーズン直前の格安価格
かも知れないが本当に頭が下がる。
朝食のあと、有名な石割桜と啄木新婚の家を回ることにする。
石割桜は残念ながらまだ開花が始まったばかりで殆ど蕾みの状態であったが、石割りの名前どおり
花崗岩の割れ目に生える姿が猛々しい。
グリーンのベレー帽とネッカチーフをしたボランティアガイドさんの懇切親切な説明を聞きながら一周
する。朴訥とした岩手訛りが柔らかく響く。
続いて700mほど車で移動して啄木新婚の家を訪ねる。
今は住宅街となった一角にひっそりと建っている。我々のほかに観光客はいない。
ここに、渋民村の住職を追われた両親と間借りして住んだとのこと。家人はどうも啄木は自尊心が強く
被害者意識が出すぎて余り好きではないようだが、当方は小学校時代に教科書で読んだいく編かの短歌が
頭をよぎる。
ーその昔 小学校の柾屋根に 我が投げし鞠 いかにかなりけむ
ー石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし
ーやはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに
ーかにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川
ーふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな
ーそのかみの 神童の名のかなしさよ ふるさとに来て泣くはそのこと
ーたはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
ーふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく
ーはたらけど はたらけど猶わが暮らし楽にならざり じっと手をみる
ー東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
等々・・・・
赤貧の中、不遇のまま夭逝した啄木が偲ばれる。それにしてもこの時代の生活の貧しさに
胸が痛む。それに比べて、今は生活程度は上がったがなんと心の貧しいことか。
ふるさとの山、川を振り返る余裕さえないように見える。世の中不満、要求だらけである。
正面玄関の裏側のこちら側が石川家の玄関。こちらは締め切りとなっている。
そんなことを思い馳せながら、次の目的地の田沢湖、角館へ向かう。
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