4/18三春の滝桜を堪能したあと、東北道をさらに北上して一関ICで高速を降り平泉に入る。
中尊寺金色堂は以前から一度行ってみたいと思っていた。
藤原三代の栄華を誇る金色堂、義経が兄の頼朝に攻められて従者の弁慶とともに滅んだ衣川古戦場は憧れは
あっても山口からははるか遠く今までなかなか行けなかった。
国道から中尊寺方面に折れたすぐのところにある駐車場に入らずにさらに上の駐車場を目指す。あとから
判ったことだが、この駐車場に車を止めると参道を相当歩いて登ることになっていた。
家人は学生時代に友人と一度来ている。今から数十年前のこと、JRおよびバスを乗り継いで来ており、その時
は当然のことバス停から相当歩いたと言っている。
参道入口のこの駐車場入口に「この先700mで坂の上駐車場」の案内板がある。
上ってみると、バス旋回場のような広場で駐車場らしきものがあるものの入口にはチェーンが掛けられていて
中に入れない。
引き返そうとしてUターンしたところに運よくバスガイドさんのような制服の女性が通りかかったので聞いて
みたところもう少し奥に行くと駐車場があると教えてくれた。
おかげで往復1.4kmの道のりを歩かなくて済んだ。
金色堂はコンクリート造りの覆堂にすっぽりと収められている。全体が金箔で覆われた金色堂はもちろん壮観
だが、金色堂内に阿弥陀仏があってその須弥壇の細やかな螺鈿細工等々の装飾が何よりすばらしい。
内部は残念ながら写真撮影が禁止されているので納堂の外観からカメラに収める。
次は義経堂。一旦国道に出てすぐに左側の側道へ抜けると500mほどで行き着く。
義経堂は石段を10m位登ったところにあるが、登ってみると眼下に北上川の雄大な流れが一気に広がって
おり思わず息を飲む。正直なところ、金色堂より迫力がある。
【左手方向】
【右手方向】
義経が討たれた衣川は北上川の支流であり、義経堂から見ると左手前方にある。
(左手前方の鉄橋付近)
これはまさに一見の価値があった。
この日は更に北上して盛岡で宿をとる。
中尊寺金色堂は以前から一度行ってみたいと思っていた。
藤原三代の栄華を誇る金色堂、義経が兄の頼朝に攻められて従者の弁慶とともに滅んだ衣川古戦場は憧れは
あっても山口からははるか遠く今までなかなか行けなかった。
国道から中尊寺方面に折れたすぐのところにある駐車場に入らずにさらに上の駐車場を目指す。あとから
判ったことだが、この駐車場に車を止めると参道を相当歩いて登ることになっていた。
家人は学生時代に友人と一度来ている。今から数十年前のこと、JRおよびバスを乗り継いで来ており、その時
は当然のことバス停から相当歩いたと言っている。
参道入口のこの駐車場入口に「この先700mで坂の上駐車場」の案内板がある。
上ってみると、バス旋回場のような広場で駐車場らしきものがあるものの入口にはチェーンが掛けられていて
中に入れない。
引き返そうとしてUターンしたところに運よくバスガイドさんのような制服の女性が通りかかったので聞いて
みたところもう少し奥に行くと駐車場があると教えてくれた。
おかげで往復1.4kmの道のりを歩かなくて済んだ。
金色堂はコンクリート造りの覆堂にすっぽりと収められている。全体が金箔で覆われた金色堂はもちろん壮観
だが、金色堂内に阿弥陀仏があってその須弥壇の細やかな螺鈿細工等々の装飾が何よりすばらしい。
内部は残念ながら写真撮影が禁止されているので納堂の外観からカメラに収める。
次は義経堂。一旦国道に出てすぐに左側の側道へ抜けると500mほどで行き着く。
義経堂は石段を10m位登ったところにあるが、登ってみると眼下に北上川の雄大な流れが一気に広がって
おり思わず息を飲む。正直なところ、金色堂より迫力がある。
【左手方向】
【右手方向】
義経が討たれた衣川は北上川の支流であり、義経堂から見ると左手前方にある。
(左手前方の鉄橋付近)
これはまさに一見の価値があった。
この日は更に北上して盛岡で宿をとる。
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