お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

土御門久脩(阿倍晴明の子孫)

2008年11月10日 20時50分48秒 | 歴史探索
8月ごろであろうか、テレビに懐かしい名前が出てきた「土御門久脩」伝説の大陰陽師 阿倍晴明の子孫。戦国時代尾張三英傑、信長らと同時期に生きた人物である。
僕のブログでも数回書いた。だから懐かしい。信長が本能寺で討たれる前呼び出され、「天正の改暦問題」暦で相談された人物。秀吉の時代、京都から流罪にされる。

 阿倍晴明の子孫とはいえ、天文観測の機器等は京都先の大戦「応仁の乱」でことごとく焼失し、この時、それだけの実力は無かったように思える。奈良 あべ文殊院には阿倍(土御門)一族の天文観測所があったといわれ、その寺の住職は我が母校の教師の兄弟ときいている。

 平安時代は日本は天文観測技術は本家中国をも凌ぎ、獅子座流星群を世界で一番始めに観測したのは、平安時代の日本人とも。

 阿倍晴明が雨乞いをして雨を降らせたという伝説があるが、それだけの観測技術があれば、雨が降る時間帯まで観測できたと思えるし、あらかじめ雨が降る日時から逆算して祈祷した事も考えられる。

 阿倍家と加茂家のそれぞれの専門分野の区割りが正確にされていたのだが、一般的には曖昧。

 桑名にあった「御師」を江戸時代支配したのは、土御門家、その地に土地を払う「シシクロマ」(後にしんぐるま)これは調べようとしたが、もう調べる機会は無いだろう。

 東芝の創始者田中久重に天文学を教えたのは、当時の土御門家。

 湯取車の大将人形が「阿倍晴明」ということで、祭礼と民俗学、郷土史研究、随分今まで調べたが、もうこういう人間は湯取から輩出されないだろう。これだけ頭でっかちな人間、出て欲しくない。