お祭り 歴史探索の旅   ~尾陽雑記抄~

活動拠点をやいと屋知足斎の日記に移しました

平成狸合戦ぽんぽこ

2006年11月11日 01時21分51秒 | 歴史探索
スタジオジブリ「平成狸合戦ぽんぽこ」この映画で四国から東京多摩へ来て様々な幻術を披露するも、壮絶な最期をとげた隠神刑部狸、彼には八百八の眷属(部下)が居たといわれています。さて彼は、しょ~しょ~しょじょうじの狸囃子、分福茶釜と共に日本三大狸話として親しまれました。さて彼は享保年間、松山藩悪家老の傍若無人ぶりに怒り、水戸黄門のように…とは行かず、幻術を駆使し悪代官と戦いますが、破れ、お家騒動のとばっちりを受けて神通力を封じられ、現在もほこらで暮らしているそうです。(別の説には大名家乗っ取りを企んだとする説もあります)

 資料によっては狸が立ち上がった年を享保17年とする資料もあり、尾張では徳川宗春が江戸に反旗を覆す年となります。享保18年名古屋では祭礼禁止令が出されているにもかかわらず、名古屋では東照宮祭が盛大に行われ、「猩々車」「二福神車」が姿を現します。変幻自在、カラクリの所作はタネも仕掛けもありますが、人によっては狸のしわざ?と考えていてもおかしくはありません。

 享保18年宗春は大規模な狩りを企てます。しかしその規模は1万人を越え、場合によっては中山道を越え、江戸へ進撃する構えだったかもしれません。その事態になれば、名古屋市東区界隈に住む下級武士「百人組」なども出陣したであろうと考えられます。
 場合によっては東区山車関係者のご先祖様が戦に加わったかもしれません。結果は未遂に終わり、戦が無くってよかったと思います。

 その時には四国から八百八の大軍を引き連れた総大将隠神刑部狸も馳せ参じていたかもしれません。

 平成狸合戦ぽんぽこをみると、徳川宗春に力を貸してくれたのかなあ~と複雑な心境です。


 さてさて宗春とライバル関係にある徳川吉宗は「暴れん坊将軍」腹心大岡越前忠相「大岡越前」特に大岡越前は出身が三河でもあり日本三大稲荷である豊川稲荷を信仰しました。
 江戸の屋敷に豊川稲荷を祭ったそうです。豊川稲荷、稲荷の化身鈴木平八郎は平八狐の別名で呼ばれ、三百八の眷属が居たそうです。

 尾張についた狸と大岡についた狐の戦いになったのでしょうか?はたまた尾張三河連合、狸と狐の連合軍が結成されたのでしょうか?

 豊川稲荷の三百八の眷属(数間違えていたらごめん)の供養は来る11月22日、23日、奥の院本殿で非公式で行われるそうです。もし行かれるのであれば拝殿でそっと眷属をねぎらって下さいそしてお参りでもしてあげてください。あなたに人徳があればきっと力を貸してくれるでしょう?

 もっとも狸や狐は受けた恩を返しますが、人間は恩を仇で返す生き物だそうで…タヌキやキツネにバカにされぬ人生を歩んでください。