宇宙航空MBAブログ

Aerospace MBA(フランス・トゥールーズ)が考える宇宙航空マネジメントの進化系ブログ

MBA卒業式(その後)

2007年10月31日 | MBA
 
今回卒業するフルタイムMBAとパートタイムMBAの全学生に学位が授与された後、僕達は全員でステージに上がった。どこが本家本元かは知らないが、かぶっていた帽子を上に向けて高く放り投げる恒例のセレモニーをするためだ。ステージの上はMBAの学生で隙間もないほど埋め尽くされている。僕は皆に押されてステージの中央に立つことになった。

いよいよ卒業式もフィナーレだ。MBAに入学してから、僕たちフルタイムの学生は1年間、そして、パートタイムの学生は2年以上の月日をトゥールーズ・ビジネススクールで過ごしている。変わったもの、そして、変わらずに持ち続けているもの、様々な変化がこの長い時間の間に僕達の中に起こったはずだ。今はまだ漠然としているけれど、「MBAは後から効いてくる」という言葉を信じて、僕達は前へと進んで行くのだ。

ワン・ツー・スリーの掛け声を合図に、僕達は被っていた帽子を会場の天井まで届くくらいの勢いで力強く放り投げた。天井をバックに紺碧の帽子がいくつも宙を舞っているのが僕の目に映った。これでMBAとしてのミッションは全て達成だ。僕達は晴れてMBA同窓生の仲間入りをすることができる。

僕はステージ上でクラスメートと抱き合いながら喜びを分かち合った。人生の中で最高の瞬間を僕は今まさに体験しているのだ。長く険しい道のりだったけれど、クラスメートと協力し、時には競い合い、共にいくつもの困難な障害を乗り越えてきた。その汗と努力の結晶がまさにこの瞬間なのだ。今この場所にいる全てのAerospace MBAの学生に対して、僕は声を大にしてこう言いたい。

“Your are the best of the best!”(キミたちは最高の中の最高だ!)

ステージ上では、まだ興奮冷めやらぬ学生達がMBAの思い出を懐かしく語り合ったりしている。僕は何名かのクラスメートと抱き合った後で、素早くステージを降りてある人物を探した。もちろん、わざわざ僕の卒業式に駆けつけてくれたATR社のGianni Tritto副社長だ。まさか卒業式にまで来てくれるとは思ってもみなかったので、スピーチの時にGianni副社長の顔が目に入ったときは本当にびっくりした。リスクを承知で日本人の僕を採用し、様々な面でビジネスの手ほどきをしてくださったことに、僕は心から感謝しなければならない。Formica副社長と並び、彼は僕にとって将来のお手本とすべき企業エグゼクティブだ。

Ginani副社長も僕を見つけるやいなや、大きく両手を広げ「Congratulation!」と言って握手を求めてきてくれた。僕は心の底からお礼を言うつもりで「Grazie Mille!」(イタリア語)と言い、深々と頭を下げた。どんなに感謝しても感謝しきれないくらい、今の僕はATR社と2人の副社長に感謝している。もしMBA最後の5ヶ月弱のインターン勤務がなかったならば、僕のMBA留学はこれほどまで充実したものにはならなかったと断言できる。それくらい多くのことを、僕はこの短期間に凝縮して学ぶことができた。Grazie ATR!

卒業式を無事終えた僕達は、トゥールーズ・ビジネススクールが用意してくれたカクテル・パーティーへと移動した。やっとシャンパンでクラスメートと乾杯ができる。この後にはレストランを借り切っての盛大な卒業パーティーが予定されているのだけど、明日の早朝フライトでもう祖国に帰国してしまうクラスメートもいるので、今この瞬間を大切に語り合いたいことはすべて語っておかねばならない。

僕はクラスメートと一緒にMBAの思い出話に花を咲かせながら、もう一人のお礼を言うべき人物を探していた。僕の修士論文に関してスーパーバイザーを務めてくれた経営戦略のSveinn教授だ。アイスランド出身の彼は背がとても高いので、すぐに見つかった。僕はシャンパンを持って彼の元へと歩いていった。

Sveinn教授も僕を見つけるなり、「Congratulation, Nobu! I am so proud of you!」と言って握手を求めてきてくれた。経営戦略の著名な研究者でもある彼から誉められるのは、正直に言って僕にとっては何よりも嬉しい。Sveinn教授からは、いかにして競争に勝ち、そして、勝ち続けるための本質を教わった気がする。もちろん、勝つことだけが全てではないと理解した上で、どうすれば「競争」と「協力」とのベストな関係を構築できるのか、そんな僕が追及する経営哲学に大きな影響を与えてくれた。彼にも感謝しきれないくらい感謝している。Merci beaucoup!

全てを終えた後、僕達は自ら主催する謝恩会のようなパーティーへとなだれ込んだ。その様子は、、、ブログでは表現できないので、皆さんの想像にお任せしたいと思います。

いよいよ明日はフランスMBA留学の最終日。最後の最後までヨーロッパを思い切り満喫したい。
 

MBA卒業式

2007年10月30日 | MBA
 
ついにAerospace MBAの卒業式当日の朝がやってきた。最近サマータイムが終わってまた冬時間に戻ったのだけど、それでも外はまだ暗い。僕はいつもと同じように起き、いつもと同じようにシャワーを浴び、いつもと同じように服を着替えた。特別な日だからといって、何か特別なことをするわけではない。今日は僕がプレゼンをするわけではないし、その意味ではMBAやATRでの最終プレゼン当日の朝のほうがずっと緊張感があった気がする。

僕は午前中に郵便局で日本へと送る荷物の手続きをした後、今年度のMBA学生との昼食会へと向かった。IASキャンパスに住む今年の奨学生達には何度も会ったことはあるが、ヨーロッパやアメリカから直接MBAに参加している学生に会うのは今日が初めてだ。

昼食会はほぼ質問会だった。どうすればMBAでうまく泳ぎきれるか、テスト対策はどのようにするのか、リーディングの量はどのくらいか、クラスでの発言はどの程度評価されるのか、などなど。とにかく、僕達が一年前に感じていたのと全く同じような不安を彼らも今感じているのだ。この傾向はおそらく普遍的なものなのだろう。僕は自分に答えられる限りの情報を彼らに提供したつもりだ。

昼食会の後は一旦自宅のあるIASキャンパスへと戻り、時間になるまで部屋の片付けと掃除をしていた。荷物がまだ全然片付いていない。このままでは日本に帰れなくなるし、明日の朝にはIASキャンパスの管理人さんが部屋のチェックにくることになっている。明日の朝までにはなんとかせねばならない。

僕は時間ギリギリまで部屋で作業した後、スーツに着替えて卒業式の会場へと向かった。会場は僕の自宅から車で15分の距離にあるEntiorという場所だ。まだまだ実感は沸かないのだけど、僕のMBAプログラムがいよいよフィナーレを迎えつつあることだけは確かだ。

会場に到着した僕は、さっそくMBA学生の控え室に入り、紺色のガウンと帽子を試着した。MBA卒業生がこの日だけ着ることを許される特別な衣装だ。皆でこの衣装に身を包むと、やはり気分も高まってくる。僕達はいよいよ卒業するのだ。

卒業式は約15分遅れて5時45分に始まった。既に会場には来賓ゲストや卒業生の家族、トゥールーズ・ビジネススクールの教授陣、ヨーロッパ宇宙航空企業の方々などで席は埋めつくされている。その中を僕達Aerospace MBA卒業生達が1列になって入場していく。

まず最初のプログラムは、来賓によるスピーチ。トゥールーズ・ビジネススクールのDean(校長)の挨拶に引き続き、トゥールーズ商工会議所会頭による祝辞、僕が奨学金を貰いお世話になったIASディレクターの祝辞、そして最後に今日の特別ゲストであるGE Aviation社のCEOによるスピーチと続いた。GE Aviation社のCEOによるスピーチについては、機会があればまたブログに詳しく書きたいと思う。

いよいよ次はMBA授与式だ。一人一人が名前を呼ばれて壇上に上がり、来賓からMBA証書を受け取る。しかし、その前に一つだけ行われる恒例行事がある。今年度のMBAで最も高いパフォーマンスを発揮した学生、すなわち、首席卒業生の発表とスピーチが行われるのだ。

Aerospace MBAディレクターのJacquesが、会場正面の大画面にパワーポイントを使ってその首席卒業生の写真を映し出した。と、同時に僕の目に飛び込んできたのは、なんと僕の写真だった。僕の名前を読みあげるJacquesの声を聞き、僕はようやく自分が首席になったという事実に気付いた。信じられないがどうやら本当のようだ。僕の顔写真と名前がしっかりとスクリーンに映し出されている。

僕は席から立ち上がると、それまで照明が落とされて暗くなっていた客席の中で僕だけにスポットライトが当たっているのを感じた。そして、会場の中から溢れんばかりの拍手と僕の名前を叫ぶ声が所々から聞こえた。なんともいえない嬉しさが、体の奥のほうからじわじわとこみ上げてきた。僕は本当にMBAをトップの成績で修了したようだ。無事MBAを取得できるだけでも嬉しいのに、これ以上の喜びはない。

壇上に上がった僕は、GE Aviation社のDonnelly CEOからMBA証書と首席卒業の記念品を受け取り、続いてトゥールーズ・ビジネススクールのPasseron校長からメダルを受け取った。「Congratulation!」という言葉が、何よりも僕の胸に響いた。心の中が達成感に似た心地よさでどんどん満ちていくのを感じた。そして、司会を務めていたJacquesから促され、僕は壇上でスピーチをすることになった。

僕はまず、このAerospace MBAという貴重な機会を与えてくれたヨーロッパ航空宇宙産業会とフランスの航空宇宙工業会GIFAS、そして、奨学金を与えてくれたFASIAプログラムとIASにお礼を述べた。世界トップレベルのマネージメント教育を提供してくれたトゥールーズ・ビジネススクールへの感謝も忘れずに述べた。特に、僕の修士論文の指導をしてくれたStrategy(経営戦略)のSveinn教授には、壇上から直接お礼を述べた。Sveinn教授は手を振って僕の感謝の言葉に応えてくれた。

さらに驚いたのは、僕がインターンとして勤務させてもらったATR社に対するお礼を述べていた時だ。会場の中に親指を立てたまま両手を突き上げた人がいたのでよく見てみると、あのGianni Tritto副社長だった。会社帰りの忙しい時間を割いて、わざわざ僕の卒業式に駆けつけてくれていたのだ。僕は思わず涙が出そうになってしまった。もちろん、Gianni副社長にも壇上から直接お礼の言葉を述べた。僕は家族も親戚も誰も卒業式に参加していなかったので、本当に心の底から嬉しかった。Merci, Gianni副社長!

今日だけは素直に自分の努力を誉めてあげようと思う。我ながら良く頑張った!と思う。

(写真は既にワインで酔っ払ったクラスメートに撮ってもらった一枚。ブレてる。。。)
 

ローマ風呂

2007年10月29日 | フランス
 
フランスMBA留学生活最後の日曜日は、ちょっと車で遠出してローマ風呂へ行くことにした。ローマ風呂といってもイタリアにあるわけではなく、フランスにある温泉スパのことだ。内装が古代ローマ時代の公衆浴場のようになっているので、ローマ風呂と呼ばれている。

今回の目的は、ATR社での勤務を無事終えて日本に帰る前に、一度心身をリフレッシュさせることにある。噂によると屋外の温泉も併設されているとのことなので、「おっ!露天風呂かぁ!」という感じの軽いノリで昨日行くことを決めた。温泉なんて日本に帰ればいくらでも行けるのだけど、ヨーロッパの温泉を体験してみるのも悪くない。

受付で入場料を支払った後、早速僕は水着に着替えた。ここは日本ではないので、温泉に入るのにも水着着用が必須になる。裸で入ったら、たぶん警察行きになるだろう。日本に帰る3日前になってそんな事態だけは避けなければならない。

期待に胸を膨らませながら中へ進むと、係りの人が2名ほど待機していて、まず足を洗えという。足湯でもあるのかなと思ったのだけど、そんな素敵なものはなく、ただの温水シャワーを足にかけるだけだった。ちょっと期待はずれだ。

さらに中に進むと、次のコーナーは全身への温水シャワー。通路を通り抜ける間ずっと全身に温水が降り注ぐ感じだ。これは意外と気持ちいい。しかし、よく考えたら普通に家でシャワーを浴びるのと大して違いはない。こんなもので満足していては30ユーロの価値はない。

全身にシャワーを浴び終わったので先へ進むと、最後のコーナーとして消毒液のような小さなプールがあった。ここを通り抜ければいよいよ温泉に入れるらしい。でも、なんか小学校のプールに来た感じがしないでもない。シャワー+消毒液のコーナーが続いているのだ。

理由はすぐに分かった。ここは温泉というよりも、温泉のようなプールなのだ。ガラス張りの天井から降り注ぐ太陽の下、ぬるま湯に長時間浸かりながらゆっくりと時間を過ごすための施設だ。体を洗うスペースもなければ、湯船もない。あるのは派手なプールとその中を水着を着てプカプカ浮いているヨーロピアン達だ。

面白いのは、この温泉プールの中には流れがあって、これにうまく乗っていくと屋外の温泉へとそのまま行けることだ。つまり、屋内温泉プールと屋外温泉プールが繋がっているのだ。一度も水から上がることなく、出たり入ったりすることができる。

屋外の温泉プールがまた気持ちいい。仰向けになって寝転がると、ちょうど太陽が正面に見え、目を閉じても光が目の奥底にまで届いてくる感じだ。風は少し冷たいのだけど、太陽の光の温かさと交じり合って、なんとも言えない心地よさを僕に提供してくれている。とてもぜいたくな時間と空間だ。これなら30ユーロ払ってでも体験する価値はある。

しかし、僕の本来の目的はローマ風呂を体験すること。屋外は気持ちがよいのだけど普通の温泉プールであって、ローマな雰囲気は一切ない。周りを見回すと、「ローマ風呂はこちら」(フランス語)という看板を早速発見。僕はすぐに水から上がってローマ風呂へと直行した。

ローマ風呂は思ったよりも小さくて、大人が10人も入ればいっぱいになるくらいの広さだ。古代ローマ人が本当にどんなお風呂に入っていたのかは僕は知らないけど、これがローマ風呂だとするならば、彼らはギリシアのパルテノン神殿のような空間で入浴を楽しんでいたことになる。しかも、変なエレファントの置物があって、その象の鼻からお湯が出ている。古代ローマで像は人気者だったのだろうか。ライオンの口からお湯が出る姿はイメージしやすいが、像の鼻からお湯がでるのは僕的にどうもしっくりこない。

上のほうを見ると、サルなのか、それとも、ゴリラなのか、よく分からない熱帯雨林系の生き物が座っている。もちろん石像なのだけど、なぜかあぐらをかいて瞑想に耽っている。修行中の身なのだろうか。あまり愛想のいい空間とは言えない。

ローマ風呂、日本にはない世界を見た感じがして、なかなか良かったです。

(写真は本物のローマ風呂のイメージ。僕が行ったのはフェイクだったようです。)
  

ATR最終プレゼン(その2)

2007年10月28日 | インターンシップ
 
ATR社での最終プレゼンを無事終えた僕は、待っていてくれた同僚達と一緒にカフェテリアへと向かった。最後のメニューはラビオリとパスタ。最初から最後まで僕のATRライフはイタリアンなもので埋め尽くされているようだ。フランスなのによりイタリアンな環境に身を置いていたここ数ヶ月間だった。

ランチタイムはゆっくりできるかなあ~と思っていたのだけど、同僚達からまた質問の嵐を受けることになってしまった。最後の晩餐ということで、トゥールーズでNo.1と言われているATR社のカフェテリアの雰囲気を味わいながら食事をしたかったのだけど、それは甘かったようだ。ランチタイムでも約1時間半、僕は話しっぱなしだった気がする。もう喉が痛くなるくらい今日はしゃべった。

ランチが終わった後は、“ポー”と呼ばれる軽いお別れ会を開催することにした。これはフランスの習慣らしく、会社を去る者が自分で料理や飲み物を用意して、同僚達に感謝の意を示すのが一般的なのだそうだ。外国人の場合、本来ならばその国の名物料理を持参するのが望ましいのだけど、僕にそんな料理の腕前はないので、とりあえず軽いスナック(日本製のおかき)と飲み物だけを用意することにした。

僕は皆のグラスにワインを注ぎながら、一人一人に感謝の言葉を言ってまわった。ATR社の同僚達は、本当にやさしく航空機ビジネスのイロハを僕に教えてくれた。分からないことはいつでも自由に聞けたし、アポイントを申し込めば他の部門の職員にもじっくりと話を聞くことができた。一部のトップシークレットを除いてほとんどの情報に自由にアクセスできたし、僕が職場環境に慣れたとみるや、矢のような仕事をふって僕を“鍛えて”くれた。僕が今日この日を最後にATR社を去り、数日後には日本に帰国するんだと言った時は、皆本当に残念そうな表情をしてくれたのがとても印象深い。

正直、スタートする前は期待よりも不安のほうが多かった。しかし、今インターンを終わってみれば、僕がこのATR社勤務から得たものの大きさに自分でもびっくりしてしまう。ヨーロッパ多国籍企業のMarketing&Commercial部門で、マーケット・ストラテジスト(市場戦略担当者)の一人として、突発的な業務も責任を持って任されるまでに信頼されるようになった。この事実が僕の自信となり、今後の僕の成長の糧となってくれるはずだ。目には見えないけれど、本当に大きなものを手にすることができたと思う。マスターカードでも買えない、Pricelessな宝物だ。

しかし、様々なヨーロッパ言語が飛び交う未知の職場に身を置くことは、新たな専門知識やマネジメントスキルを必要とするということ以上に、僕にとって気力も体力も精神力も要求されることだった。正直、最初は自分が5ヵ月後にこんなに充実した形でATR社を去れることになるとは思ってもみなかった。不安要素だらけの僕を、可能性だけを信じて採用してくれたATR社に心から感謝をしたいと思う。Merci beaucoup!

この会社で勤務をすることができて本当に良かった。今、心の底からそう思う。

Au revoir, ATR! Merci, ATR!

(写真は僕が勤務していたATR社の本社の夜の姿。僕の部屋は3階の一番はしっこ。)
 

ATR最終プレゼン(その1)

2007年10月27日 | インターンシップ
 
今日はATRにおける僕の最終プレゼンの日。この日のために5月下旬からずっとあるプロジェクトを進めてきて、その最終的な成果発表をするという位置づけだ。Formica副社長の配慮により、ATR社のMarketing&Commerical部門だけではなく、Finance(財務)部門やCustomer Support(カスタマーサポート)部門の責任者など、複数のATR社幹部を前にして発表をすることになった。

ビジネススクールでのプレゼンは成績評価がされるという意味で緊張感があったが、ATR社でのプレゼンは、本物のその道のプロフェッショナルを前にして意見を主張しなければならないという点で、プレッシャーのレベルは比べものにならない。しかし、相手にとって不足はない。MBAで学んだこと、僕がこの5ヶ月間で一生懸命に情報収集し、必死になって分析した結果を、自信を持って堂々と発表しようと心に決めていた。

僕のプレゼンは11時ちょうどからスタートした。会場は、ATR社の本社最上階に位置するサンテグジュペリと名の付けられた多目的ホールだ。『星の王子様』の作者サンテグジュペリにちなんで名づけられたのは、彼が実はパイロットだったからだ。ヨーロッパの航空機製造メーカーとして、世界的に有名なパイロットに敬意を表している。

僕はまず、ATR社の幹部とスタッフに対する感謝を述べることからプレゼンをスタートさせた。航空機ビジネスの経験もない、日本人でフランス語もイタリア語も流暢には話せず、かつ、Marketing部門でもCommercial部門でも勤務したことがない僕を、ATR社はリスクを承知の上であえて勇気を持って受け入れてくれた。まず、僕はそのことに対して心から感謝をしなければならないと思う。彼らにとっては一種の“賭け”だったと思う。

今回のプレゼンは、ベースとなる内容はビジネススクールでの最終プレゼンと同じなのだけど、やはり聴衆がプロフェッショナルということで、よりビジネスの実行面にフォーカスして話をすることに決めた。つまり、アカデミックな戦略分析はやや薄めにして、ではどうすればより高い確率でその戦略を成功裏に遂行することができるかにより多くの時間を割いたのだ。現場で実際にビジネスを遂行するATR社の幹部にとって、一番重要なのはビジネスのImplementation(実行)だ。実行面での実現可能性なくしては、あらゆる戦略はただの絵に描いた餅でしかない。

前回のビジネススクールでの最終プレゼンを終えた後、Gianni副社長から僕の修士論文とプレゼンを全てConfidential(極秘扱い)にしたいという要請があった。つまり、僕の修士論文もプレゼンも、ビジネススクールにも図書館にも提出できなくなってしまったのだ。今回の成果は100%ATR社の中で保持され、より深い詳細な実行レベルの計画を検討することにしたらしい。成果を高く評価して認めてくれたことは嬉しい反面、ビジネススクール側への貢献があまりできなさそうで少し残念だ。僕に経営知識とマネジメントスキルを与えてくれたお礼に、そして、まもなくスタートする新しい世代のMBA学生のために、僕としてできるかぎりの貢献をしたいと思っていた。とても残念だ。

僕のプレゼンはその後1時間半にわたって続き、結局質疑応答も含めて全てが終わった時には、午後1時近くになっていた。こんなに長い時間一人で舞台に立ち、英語でしゃべり続けたのは、僕としても初めての経験だ。一つ一つの質問に分析データを添えながら丁寧に答えていたら、こんなに長くなってしまった。というよりも、質問の数がビジネススクールの時の比ではなくらい多かった。皆さん、本当に興味深々といった感じで、どんどん僕に深く鋭い質問をしてきた。中には手持ちのデータで応えられない質問もいくつかあり、改めて僕の分析もまだまだ不完全だなあ~と感じてしまった。

全てのプレゼンと質疑応答が終わった後、Formica副社長から僕に対してねぎらいの言葉があった。ATR社で唯一の日本人として大変なこともたくさんあっただろうけれど、キミは我々の期待をはるかに上回るレベルの成果を残してくれた。キミを採用したことはATR社としても本当に正解だったと思うし、特にキミの仕事の進め方や分析の仕方、Out of Boxな思考の仕方など、ATR社の職員も大いにキミから影響を受けたようだ。ATR社を代表してキミに感謝をしたいと思う。グラーツィエ!そんな、とてもとても嬉しいFormica副社長からのねぎらいの言葉だった。

全てを終えてプレゼン会場を去ろうとした僕は、再びFormica副社長に呼び止められた。後で15分程度二人きりで大事な話がしたいので、午後の空いている時間にオフィスまで来てほしいという。なんだろう、またまたイタリアンなごほうびでもくれるのだろうか。先日はGianni副社長からイタリアンなチューインガムを貰った。今度は一体何だろう。

とりあえず、お腹が空いたのでカフェテリアへ行こう。今日が最後なのだ。

(写真はATR-42とATR-72のフォーメーションフライト。ATR社のHPより。)
 

新しい住居

2007年10月26日 | その他

日本に帰国する6日前になって、ようやく日本での新しい住居が決まった。今度は柏という街に住む。フランスに来る前は南柏という隣町に住んでいたので、駅一個ぶんだけ移動した感じだ。とはいえ、新しい街に住むのはとても新鮮で大好きなので、今から楽しみだ。

今回の新しい住居探しには3つの候補があった。いずれも僕が日本で所属する機関の人事の方から候補として提示されたものだ。この中から好きな場所を選んで連絡してほしいとのことだった。

一つ目の候補は南柏のアパート。僕がフランスに来る前に住んでいた町だ。新入職員の時から何年も住んでいたので、町の隅々まで様子は分かっている。最近大きなスーパーやスポーツジムも出来て、住みやすさで言えばナンバー1だ。部屋も1DKで一番広いのだけど、駅から徒歩7分と少し遠いのと、少し古そうな感じがするのが気になる。常磐線の各駅停車しか停まらないのも少し不便だ。

二つ目の候補は柏駅から徒歩10分のアパート。駅からは遠いが常磐線の普通や快速電車が停まるので、上野や日暮里まで30分以内にアクセスできる点が最大の魅力だ。それに最近東急ハンズもオープンしたらしく、どんどん便利になっているとのこと。部屋は南柏より広くはないが、古くもなくそれなりにキレイらしい。

三つ目の候補は、北柏駅から徒歩5分の距離にあるマンション。駅からは一番近く、建物もキレイらしいのだけど、一番の難点は周りにお店があまりないこと。日本に帰れば仕事が忙しくなってほぼ100%外食になることは目に見えている。自炊なんてまずムリだと思うので、周りに夜遅くまでオープンしている飲食店がないのはちょっとキツイ。コンビニ弁当だけで生きていけるとは思えない。

という感じで、日本に住む後輩達にいろんな情報をもらいながら候補を検討していった。すると、なんと2番目の柏のアパートにはまだ僕の後輩が実際に住んでいるらしく、いつ退去するかまだ決めかねているらしい。もし僕がココを選んだとすると、彼は早急にこのアパートを追い出されることになってしまう。それはあまりにも可哀想だ。人事の方にも念のため確認したところ、やはりこのアパートは候補からはずしてほしいということになった。

その代わりに、同じく柏で別のマンションが候補として追加されることになった。駅から徒歩3分とロケーション的には最高だ。ただ、部屋が候補の中で一番狭いのと、周りが繁華街なのでやや騒々しいらしい。ビルの8階らしいのでそれほど気にはならないと思うのだけど。

結局、新たに追加された柏のマンションを含む3つの候補の中から、僕は今後住む新しい住居を選択することになった。小さい頃から引越を何度も繰り返してきたし、一人暮らし歴も10年以上と長いので、もうどこに住んでも生きていく自信はある。なので、最後はダーツで決めることにした。あれこれ考えるのが面倒になったというのもある。

1投目。僕が選択すべき住居は柏のマンションになった。しかし、こういうことは幸運の女神である女性にやってもらうのがよいかもしれない。そこで、ATR社の同僚のインド人女性Pallaviを呼んできて、何も説明せずにとりあえずダーツをやってもらった。結果、またまた柏のマンションに住むべきというお告げが出た。

ということで、僕の日本での新しい住居は柏のマンションになりました。

柏在住の皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

(写真は夜の柏駅)

フランス語検定

2007年10月25日 | フランス

MBAに関する課題やプレゼンを全て終了し、このまま何事もなく卒業式を迎えたいなあ~と思っていた矢先、今回の僕のフランスMBA留学に対し奨学金を支給してくれたFASIAプログラムのMarcから連絡を受けた。MarcはFASIA奨学金プログラムの中で教育に関するカリキュラム編成などを担当していて、僕がフランスに到着して直後の3ヶ月間、フランス文化やフランス語、フランスの宇宙航空産業などに関する授業をアレンジしてくれた人だ。

日本に帰るまであと10日を切ったこの段階になって何事だろうと思っていたら、なんと来週の月曜日にフランス語の試験をやるので受けてほしいとのこと。しかも、ただのフランス語の試験ではなくて、TFI(Test de Française International)という外国人を対象とした公式なフランス語検定らしい。

そんなの聞いてないよ~と心の中で思いながら詳しい話を聞くと、何でもFASIAプログラム本部に今年度の教育成果を報告するに際し、フランス語力ゼロの外国人が1年間でどれだけフランス語力を伸ばしたかを測定したいらしい。そして、先日のFASIA卒業式においてちゃんとフランス語でスピーチをやってのけたということで、なぜか僕が選ばれてしまったらしい。検定料金は全てFASIA側が負担するので、ぜひ受験してほしいとの依頼だった。

しかし、依頼というよりも、これはもう決定に近い。あれだけの奨学金をもらい、かつ、これだけお世話になったMarcからの頼みを僕が断れるわけがない。それを分かっていて、既にフランス語検定の受検申し込みを僕の名前で済ませておいいたのだけど、どう?受けてくれない?のこと。やはり、依頼ではなく決定だったようだ。

ということで、僕は来週10月29日(月)のフランス語検定に向けて、またフランス語の猛勉強をするハメになってしまった。ATR社での勤務が少し落ち着いてきたからまだ何とかなるものの、これがMBA最終プレゼン前だったら完全にオーバーヒートしていたと思う。今回のフランス留学は、どうやら最後の最後まで僕を休ませてはくれないようだ。帰国する2日前にまたまた一大イベントが入ってくるとは思わなかった。

フランス語検定まであと5日。なんとか最大限レベルアップを図っておこう。

(写真は先日の二つ星レストランで出されたチーズ)


卒業式の招待状

2007年10月24日 | MBA

今日、僕の手元にトゥールーズ・ビジネススクールから一通の招待状が届いた。10月30日の夜に予定されているAerospace MBAの卒業式への招待状だ。前から日程については知らされていたものの、こうしてオフィシャルに卒業式への出席を認められたことをまずは素直に喜びたいと思う。少なくとも、MBAに落第するという最悪の事態は避けられたようだ。

僕の聞いていた話では、毎年1名~2名の学生がMBAの学位を取得できないのが普通らしい。今年どうなったかはまだ知らないのだけど、もし僕がMBAの学位を授与されなかった場合、代わりにCBAという証書が授与されるのだそうだ。Certificate of Business Administrationの略で、経営管理学修了証書とでも訳すのだろうか。これをもっていると学部卒や修士卒より扱いは上になるが、MBAよりははるかに劣るらしい。

今年の卒業式には、来賓としてGE Aviation社のCEOが出席し、僕達にMBA証書を授与してくださるらしい。GE Aviationといえば、ロールスロイス社などと並び世界を代表する航空機エンジンメーカーだ。エアバス社やボーイング社を初めとして、世界中の航空機メーカーにエンジンを納入している。昨年はエアバス・フランスのCEOが出席してくださったのだけど、今年はより世界規模でのプレゼンスを意識したのかもしれない。

卒業式当日は、お昼の12時にビジネススクール集合ということになっている。まず、今年のMBAの生徒達と一緒にランチを食べながら彼らにMBAを生き抜く上でのアドバイスを送るのだ。これが僕達のMBA学生としての最後の勤めになる。学び得たものは次の世代に伝えていかなければならない。それが先へ進む者の義務だと僕も思う。

午後3時半からは、Aerospace MBAの同窓会とのミーティングがセットされている。MBAの学位を授与されれば、晴れて僕達も彼らの仲間入りが許されるのだ。どんなミーティングになるのかは分からないけど、少し楽しみだ。

そして、いよいよ午後5時30分からMBAの卒業式がスタートする。来賓のスピーチに引き続き、僕達一人一人が壇上に上がってMBA証書を受け取ることになる。思えば、昨年も同じこの場所で、1学年上のMBAの卒業式に出席した。達成感に満ちた最高の笑顔をした卒業生達を見て、僕も一年後にはああなっていたいなあ~と強く心に思ったのを覚えている。その場所に今自分が立とうとしているのだ。とても不思議な感じだ。

卒業式が終わると、その後は夜9時までずっとカクテルパーティーが続く。フランス流なのでかなり長い。僕の経験ではなかなか終わらないのが普通だ。中締めなんて気の効いたシステムは存在しないのだ。そんなに立って飲み続けるなんて、日本の立ち飲み居酒屋でもやらないぞと思いつつも、この日だけは気持ちよくシャンパンを飲みたいと思っている。

オフィシャルなパーティーが終わっても、僕達MBA学生達の祝いの宴は終わらない。夜明けまでオールナイトパーティーが予定されている。フランス人のChristosは子供達をどうするかまで計画していて、ベビーシッターを雇うか何かすると言っていた。そこまで気合を入れて楽しもうとしているあたりがスゴイ。

ちゃんと覚えていたら、卒業式の様子をブログに書こうと思います。

トゥールーズ弾丸ツアー(最終章)

2007年10月23日 | MBA
 
Aerospace MBA Tours社(仮称)が主催するトゥールーズ弾丸ツアーも、当初目標のツアー客10人まであと2人のところまで来ていた。そこへ今日は2人のお客さんが日本からやって来たので、これを半強制的にカウントして目標の10人達成ということにする。今日トゥールーズを案内したお二人は気付いていなかったかもしれないが、僕の中では完全にトゥールーズ弾丸ツアー(最終章)が遂行されていたのだ。

今回のお客さんは、なんと新婚旅行中のカップルのお二人だ。ハネムーンでフランス語圏のある国を巡った後、最後の訪問地としてトゥールーズを選び、その最後のイベントとしてAerospace MBAを訪問してみたいということだった。数日前にE-mailで訪問希望のメールが届いたときは、正直びっくりした。一生に一度しかないハネムーンの大切な時間、果たして僕なんかがお邪魔虫となってよいものだろうか。しかし、顧客の要望には最大限の努力で対応するのがAerospace MBA Tours社のモットー。あまり難しいことを考えず快く引き受けることにした。

まず、ご本人達の希望によりトゥールーズ・ビジネススクールのAerospace MBAを見学。今回もプログラムマネージャーのAudeにお願いして、カリキュラムなどの説明をしてもらった。もちろん、僕も参加して適宜実体験に基づいたコメントをする。二人とも、キャンパス内に設置されているベンチが気に入ったようだ。航空機のファーストクラスとビジネスクラスの座席をそのまま取り外してきて、ビジネススクールの中に設置してあるのだ。

今日はラッキーなことに、僕のMBAクラスメートもたくさんキャンパスに来ていた。ロシアのYuri、コロンビア空軍のAlvaro中佐など、実際にAerospace MBAの授業を経験した第三者と会話できたことで、より客観的なビジネススクールの雰囲気を掴んでもらえたのではないかと思う。少しでも将来のビジネススクール選びの参考になったのであれば、僕はそれだけで嬉しい。

ビジネススクール訪問を終えた後、僕達はエアバス社の工場へと向かった。残念ながら予約をしていなかったので工場の中は見学できなかったのだけど、併設されたショップでAirbus(エアバス)グッズを購入。センスの良い航空機のイラストパネルを購入されたようだ。航空機の全体像やコックピットなどの、いわゆる人気のある図柄には目もくれず、あえて航空機の後姿のイラストを購入されていたあたりにセンスの良さを感じてしまう。こう人達を僕は「通」(つう)と呼びたい。

エアバス社の次は、そろそろお昼ごはんの時間ということでランチを食べることに。航空機大好きというリクエストに応えて、トゥールーズ空港内にある展望レストランへ行くことにした。優雅に離着陸する航空機をガラス越しに眺めながら、ゆっくりと3人で食事をしながらいろんな話をした。僕にとっても本当に楽しい時間だった。お二人に会うのは本当にこれが初めてなのだけど、よくよく話を聞くと共通の知り合いもたくさんいた。世界とは、本当に狭い。懐かしい名前がどんどん出てくる。

楽しいランチタイムを終えた後、僕はお二人をトゥールーズ市内のキャピトル広場まで送迎し、トゥールーズ弾丸ツアー(最終章)は無事終了となった。これで、僕の中で目標としていた10人の顧客獲得が見事に達成されたことになる!Viva Aerospace MBA Tours社!いい仕事ができ、顧客の皆様にご満足していただけたことを、心の底から願っている。

なお、本日開催のツアーを持ちまして、Aerospace MBA Tours社のトゥールーズ弾丸ツアーは営業終了とさせていただきます。長い間ご愛顧いただき、本当にどうもありがとうございました。

またいつの日か皆様にお会いできる日を楽しみにしています。

Aerospace MBA Tours社 CEO兼ツアーコンダクター NOBU

(写真は真正面から見たエアバスA380)
 
 

片道航空券

2007年10月22日 | 宇宙航空産業
 
僕のフランスMBA留学生活もあと10日となり、そろそろ本気で帰国の準備をしなければならない。フランスに来るときは最後の最後までバタバタしたので、帰る時くらいは余裕を持って早くから準備しようと思っていた。しかし、現実はこのとおりだ。まだ帰国フライトも確定していないし、帰っててから東京でどこで住むかも全く決まっていない。

帰国する航空券の手配については、本当に悩まされた。僕はフランスに1年以上滞在する予定だったので往復の航空券を買うことができなかった。なぜだか理由は分からないが、往復航空券は1年が限度らしい。そのため、僕は片道だけの航空券を買ってフランスにやって来た。

よく分からないのは、往復航空券よりも片道航空券のほうが金額的に高いという事実だ。こんなシステムがまかり通っているのは、航空ビジネスくらいではないだろうか。船を利用しても、鉄道を利用しても、タクシーを利用しても、往復のチケットを購入する場合は片道×2から少し割引がしてある程度のことが多い。しかし、航空券を購入する場合、往復で買うと10万円もしないフライトが片道だと20万円以上する。

サービスの提供にかかるコストを考えれば、往復のチケットのほうがコスト高になるのは明白だ。片道を運行する倍のコストがかかる。にもかかわらず、片道の航空券のほうが高い。本当に不思議で、かつ、ロジックの通らない現象だ。

しかし、Economics(経済学)で使うPrice Elasticity(価格弾力性)の考え方を応用すれば、この現象をうまく説明できると僕は思う。すなわち、往復航空券の価格弾力性は極めて高いが、片道航空券の価格弾力性は極めて低いのだ。

価格弾力性とは、価格を少し上げたり下げたりした場合に、その反動として商品やサービスに対する需要がどの程度上下するかという指標のひとつだ。値段を少し上げたら需要がかなり減ってしまうような商品については価格弾力性が高いといい、逆に値段をかなり上げても需要がほとんど変わらないような商品を価格弾力性が低いという。

一般的には、エンターティンメントや嗜好品の価格弾力性は高く、素材原料や日常必需品の価格弾力性は低いと言われている。なぜなら、素材原料や日常必需品というのは、どんな価格であろうとある一定量が世の中で必要とされる性質のものだからだ。逆に、エンターティンメントや嗜好品というのは、生活を営んでいくためにそれが絶対に必要というわけではなく、個人の好みの変化や流行、あるいは、景気の変動といった外部要因に大きく影響を受ける。

ここで僕が購入しようとしている片道航空券の性質を考えてみてほしい。誰が海外への片道航空券を求めるだろうか。間違いなく一般の旅行者は片道の航空券なんて必要としない。なぜなら、彼らは母国に帰ることを前提としているからだ。ビジネス客も同じだ。彼らもしばらく滞在した後に母国へ帰ることを前提に航空券を手配する。

すなわち、片道航空券を必要とするのは、僕のように特殊な事情でどうしても海外に長期間滞在しなければならない人だけなのだ。言い換えるならば、海外に何が何でも行かなければならない人だ。もう分かったと思うけれども、これらの人は少しくらいチケットの値段が高かろうと、どうしても海外に行かなければならないのだから、値段に関係なく航空券を求め続ける。少しくらい値上げしようと、往復のチケット代よりも高かろうと、その高い片道航空券を買うしか術はないのだ。

これが、片道航空券が往復航空券より高い理由の本質だ。高くしてもそれを求める人が間違いなく存在する。それが分かっているから、航空会社も決して片道航空券の値段を下げない。結果として、往復チケットよりも片道チケットのほうが高いという、航空輸送ビジネスに特異な現象が生み出されるのだ。

そんな経済学的な分析をする前に、僕は早く帰りの片道航空券をゲットしなければ!日本に帰れなくなってしまう。。。