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宇宙航空MBAブログ

Aerospace MBA(フランス・トゥールーズ)が考える宇宙航空マネジメントの進化系ブログ

MBA認証審査

2007年10月19日 | MBA
 
先日、MBAプログラムマネージャーのAudeから僕の携帯に電話がかかってきた。僕はATR社のオフィスで仕事中だったのだけど、お世話になったAudeからの電話に出ないわけにはいかない。それに、オフィスの電話番号ではなく、わざわざ携帯の電話番号にかけてきたのだ。急用に違いない。

僕は通話ボタンを押してAudeと話し始めた。Audeは仕事中なのに本当にごめんなさいね、と断った上で、どうしても僕に頼みたい大事な大事な用件があるという。なんだ、日本語の通訳か翻訳だろうかと思って話を聞くと、どうやら違うらしい。5年に一度のMBA認証審査が今年行われる予定になっているのだけど、その認証審査の場で審査員の前で受け答えをしてほしいとのことだった。なぜ僕なのかは今は言えないのだけど、とにかくMBAディレクターのJacquesの意向でもあるので、なんとかスケジュールを空けて認証審査当日にスーツを着て会場まで来てほしい、それがAudeの頼みだった。

お世話になったJacquesやAudeに頼まれては、僕としても断るわけにはいかない。僕はなんとか都合をつけて行けるようにします、と答え、詳細な日時と場所だけを聞いて電話を切った。具体的に何をすればよいか全く分からない。しかし、Audeが困って僕を頼ってきた雰囲気だけは十分に汲み取ることができた。

MBA認証審査というのは、MBAを名乗る世界中のビジネススクールに対して行われる品質チェックのようなものだ。カリキュラムの内容や教授陣の質、学生のレベルなどを見て、MBAと呼ぶに値するかどうかが審査される。決して強制ではないのだけど、この審査に合格することなくして世界的MBAとして認知されることは難しい。その意味で、ビジネススクール側にとっては今後の生存をかけた死活問題でもある。なにが何でもこのMBA認証審査にだけは合格しなくてはならない。

そして、MBA認証審査が今日行われた。僕はATR社で午前中の勤務を終えた後、急いで車に乗って認証審査が行われているToulouse郊外の会場へと向かった。ここは昨年、僕の一世代前のMBAが学位を受け取った場所でもある。そして、運が良ければ僕も2週間後にこの会場でMBA学位を受け取ることになる。

MBA認証審査は、まず審査員を囲んでのAperitif(アペリティフ)から始まった。皆でシャンパンやキールを飲みながら、お互いの自己紹介を交えて軽く談笑するのだ。驚いたことに、この認証審査には過去のMBA卒業生も各世代から1名づつ呼ばれていた。5年間に1度の認証ということで、過去に遡って高いレベルでマネジメント教育が行われてきたかどうかを審査するらしい。

この日お会いした先輩方の面々がまたすごかった。世界No.1ヘリコプターメーカーであるユーロコプター社で既に子会社のCEOを務めている先輩、ボーイング社でB777プログラムのバイス・プレジデントを務めている先輩など、各世代からそうそうたるメンバーが集められていた。この認証審査のためだけにアメリカのシアトルから呼ばれて来た先輩もいた。Audeがあんなに苦労していたのも、何か分かるような気がした。

和やかなムードのランチタイムが過ぎ、いよいよMBA認証審査の時間になった。審査員は、AMBAと呼ばれるイギリスにあるMBA認証機関から派遣されているイギリス人とスペイン人だ。皆、イギリスやスペインの権威あるビジネススクールで代表を務める人達ばかりだ。目は真剣そのもので、あの和やかな空気は既にどこかに消え去っていた。

どんな認証審査だったかをブログで公にしていいかどうか分からないので、あえて今回は内容を紹介しない。学校側に迷惑がかかってはいけないと思うからだ。しかし、明らかに言えるのは、僕がこれまでに経験した中で最も厳しく、かつ、突っ込んだ面接だったということだ。面接であんなに追い込まれたのは久しぶりの経験だった。僕の持つ全エネルギーを注ぎ、全神経を集中させて、なんとか乗り切ったという感じだった。終わった瞬間、疲れがどっと体の中を走りぬけていったのを感じた。

審査はこの後もまだまだ続くらしい。そして、結果がでるのは明後日だそうだ。それまで気長に待つしかない。

僕の変な回答のせいで、ビジネススクールの評価が悪い方向に進んでいないことを心から祈っている。

(写真はAMBAの認証マーク)
 

MBA最終プレゼン終了

2007年10月16日 | MBA
 
ついにやってきたMBA最終プレゼン当日の朝。いつもより若干早めに起きて、僕はATR社に出勤する準備をした。外はまだ真っ暗だ。サマータイム制を導入しているせいなのか、フランスの秋にはもう爽やかな朝日はない。皆真っ暗な中を起きて、それぞれ身支度をするのだ。

いつもより早く起きたのには理由がある。今日の僕のプレゼンは午後3時30分から5時までの1時間半なのだけど、その前にATR社のプリンターで僕の修士論文を印刷しなければならない。カラー印刷3部、白黒2部と決められている。学校で印刷する場合は3日前に予約しなければならないルールがあるらしく、僕に残された選択肢はATR社で自分で仕上げるしかなかった。

しかし、そのおかげで直前の直前まで手直しをすることができた。細部のチェックや数字の整合性確認、スペルミスや冗長な表現は可能な限り修正した。ここまできたら後悔はしたくない。自分が納得するまで、時間の許す限り完成度を高めたかった。

結局、僕の修正はお昼過ぎまで続いた。同僚と軽くランチをとった後、僕は早速印刷にかかった。5部といっても、1部が125ページもある。計算上は全部で625ページを印刷し、専用のパンチで穴を開け、これまた専用のバインダーで閉じなければならない。よく考えたら結構な時間がかかりそうだ。

1時間近くかけて印刷と製本を終えた後、僕はプレゼン資料の最後の確認をしてプレゼン会場に向かった。僕の発表までにはまだ時間がある。しかし、僕の前に発表するクラスメートのプレゼンを聴いて、会場の雰囲気や教授陣からの質問などをある程度見極めておきたい。

僕のプレゼンは、少し遅れて3時40分に始まった。ここから約45分間、僕は一人で英語で話し続けなければならない。そして、その後、約20分間の質疑応答に耐えなければならない。短いように聞こえるかもしれないけど、やる側の本人にしてみれば、かなり長い時間に感じてしまう。

僕はまず、ATR社の幹部への謝辞とトゥールーズ・ビジネススクールの教授陣への謝辞を述べることからプレゼンをスタートさせた。日本人の、しかも、航空ビジネスの経験に乏しい僕を勇気を持って受け入れてくれたATR社、そして、それに耐えうるだけのスキルと知識を僕に与えてくれたMBA。どちらにも最大限の感謝を示さねばならない。Merci beaucoup!

続いて僕は今回のプロジェクトの背景をイントロダクションとして説明し、さらに、今僕が一番の問題だと考えているテーマを「解決課題」として特定した。これから先の僕のプレゼンは、全てこの解決課題をいかにしてATR社が解決できるかにフォーカスしたものだ。

内容についてはATR社の企業戦略に関わることなので、この場で大々的に発表することができないのがとても残念だ。ただ、結果だけを言うと、ATR社からもビジネススクールからも、かなりポジティブな評価をいただくことができた。特に、僕のマーケット全体を俯瞰するレベルの戦略的な分析と、実行レベルの詳細なアクション・プランを絶妙なコンビネーションでミックスできていた点がかなり評価されたらしい。頭でっかちにもならず、かといって、仔細に入りすぎることもない、ちょうど良いバランス感覚でプロジェクトは遂行され、その成果が簡潔にまとめられていた、とのことだった。

ただ、Academic Supervisor(アカデミック・スーパーバイザー)を務めてくれたSveinn教授からは、僕が説明の中でCost Leadership(コスト・リーダーシップ)とPrice Leadership(プライス・リーダーシップ)を混同して使っているという指摘があった。確かにその通りだった。僕は似て非なる存在の2つの戦略を、同じレベルで話してしまっていた。僕が冒してしまった唯一のミスだ。さすが経営戦略の大家Sveinn教授だ。指摘が鋭い。彼から直接の個人指導を受けられたことも、今回の僕の大きな成果の一つだ。

とにかく、僕のMBA留学最後の集大成となるプレゼンが無事終了した。改めて、これまで僕を支えてくれたあらゆる人に感謝したい。

本当にどうもありがとうございました。
 

いよいよ明日

2007年10月15日 | MBA
 
いよいよ明日10月15日が、僕のMBA生活最後の集大成となるプレゼン発表の日だ。この日のために、ATR社へのプロポーザル作成から始まり、ATR社の幹部へのプレゼンと面接を経て、正式にインターンとして採用され、それから約5ヶ月のプロジェクトを遂行してきた。その成果発表を、ATR社の幹部とトゥールーズ・ビジネススクールの教授陣の前で発表し、MBA(経営学修士)に値する実力があるかどうかの審査が行われるのだ。

修士論文としての僕のレポートは、既に125ページにも達している。英語でここまで大量に文章を書いたのは、人生の中で始めての経験だ。終わってみれば大変だっという印象は一切なく、マーケット分析と戦略立案がこんなに楽しい仕事だとは思ってもみなかった、というのが正直な感想だ。僕はこの仕事が好きだと思う。

確かに、これまでに取り組んだことのない未知のテーマだったので、正直僕の中に不安がなかったといえばウソになる。実際、Gianni副社長は僕の航空機ビジネス業界での経験の無さを一番に心配し、面接の中でそれをしっかり確かめようとしたのをよく覚えている。あの厳しい面接によく通ったなあと今は思うが、人づてに聞いた話によると、Gianni副社長は今の僕の仕事ぶりに大変満足してくれているらしい。もちろん、軽いリップサービスも入っていると思うのだけど、とりあえずは途中でクビになることもなく、無事5ヶ月弱のインターン勤務を終えることができそうだ。

僕のMBAとしてのプレゼン発表は明日10月15日が最後になるのだけど、ATR社の職員の皆さんに対して、別途勤務最終日に大々的にプレゼンをするのがここATR社の慣例らしい。ということで、僕は10月26日(金)にもまたプレゼンをしなければならない。しかも、今度はATR社の職員全体に対して参加のお誘いがいくようだ。話をするターゲットが変わるので、当然プレゼンの内容もそれに合わせて変えなければならない。

顧客が誰かを見極め、その顧客にベストフィットな内容を、ベストなタイミングで提供する。これも僕がMBAで習った鉄則中の鉄則だ。

いよいよ明日が最終プレゼン。自分としてベストを尽くす。ただ、それだけだ。

Wish me luck!
  

ナターシャと食事

2007年10月05日 | MBA
 
今日の夕食はパリでインターン勤務をしているMBAのクラスメート、Natashaと一緒に食事をする約束をしていた。彼女に会うのはFASIA卒業式以来なのでそれほど久しぶりという訳ではない。しかし、トゥールーズ以外でMBAのクラスメートと一緒に食事ができるということ自体が、僕にとって大きな財産だ。この人的ネットワークは一生続けていきたいと思うし、同時に、続けていくべきだと思っている。

ナターシャは名前のとおりロシア出身の女の子だ。クルニチェフ・スペースセンターから派遣されてきたロケットガールでもある。ロシアの工学系大学院を卒業し、小さい頃からの夢だったという宇宙分野で働く道を選択した。現在はロケット打上げに関するセーフティ管理の専門家だ。

彼女がインターン勤務をしているのは、ヨーロッパ最大にして唯一の大型ロケット企業Arian Space(アリアン・スペース)社だ。トゥールーズには事務所がないので、仕方なくパリでの勤務を選択せざるを得なかった。最初はとまどっていたものの、MBAのクラスメートに励まされ、彼女も最終的にパリでの一人暮らしを決意した。

実はナターシャのインターン探しには僕も微力ながら協力している。6月中旬に開催されたパリ航空ショーにおいて、僕はナターシャと一緒に各ブースを回ってMBAインターンのポジションはないかと営業活動をしていたのだ。当時僕はすでにATR社での採用が決まっていたので、ナターシャから頼まれて喜んでインターンのポジション探しを手伝った。結果的にアリアン・スペース社というヨーロッパ最大のロケット企業に採用されたのは、もちろん彼女の実力があってのことだ。

僕達はレストランに入り、お互いの近況をじっくりと報告し合った。実はナターシャとはMBAの授業でも何度もチームを組んでいて、気心の知れた中だ。当然、会社に対する不平・不満も遠慮なく言い合える。僕の中にはATR社に対する不満は一切ないのだけど、ナターシャにとってアリアン・スペース社はあまり満足のいく会社ではないようだ。

彼女曰く、ナターシャがロシア人であるという事実が、仕事上の大きな壁となって彼女の前に立ちはだかっているらしい。具体的には、ロシア人であるというだけで本社への立ち入りを許可してもらえなかったり、あるいは、ちょっと技術資料的なものがあると隠されたりするのだそうだ。確かに、彼女はエンジニア出身なので資料を読めばそれが何を意味するか一瞬で理解できる。聡明なナターシャなので、なおさら懸念しているのかもしれない。

ロケット技術は一歩間違えばすぐにミサイル技術となる。もっと言えば、先端に人工衛星を乗せればロケットで、爆弾を乗せればミサイルだ。基本的な技術にそれほど大きな違いはない。だからこそ、ロシアへの技術流出を恐れて過剰反応しているのだろう。

先日、ロシアのプーチン大統領がフランスに向けて核ミサイルの発射コードをセットする用意がある、と外交上の脅しに似た発言をしてみせたことがあった。外交上のたった一言の発言が、こうして未来あるMBA学生の成長のチャンスを大きく阻んでいる。

なんとかしてあげたい。しかし、僕にはどうにもできない。結局二人でビールとワインを飲みまくってナターシャのグチを思いっきり聞き、僕達はパリの街で別れた。

ナターシャ、負けるな!困難だからこそ、あえて挑戦する価値がある!
 
(写真はパリ航空ショーでナターシャと撮った一枚)
 

V字フォーメーション(その3)

2007年09月28日 | MBA

仲間と協力してリーダーシップを共有しながら飛んでいても、時には予期せぬトラブルが発生することだってあるだろう。羽が傷ついてしまったり、病気になったり、あるいは、疲れて果ててV字フォーメーションのスピードについて行けなくなるガチョウだって出てくるに違いない。そんな時、ガチョウ達はどうするか。

V字フォーメーションについていけなくなったガチョウは、チーム全体のパフォーマンスに影響を与えるのを極力避けるため、V字フォーメーションを自発的に離れる。そして、ただ1羽だけで飛ぶことを選択しようとする。

ただし、決して1羽だけで空を飛び続けることはない。傷ついて飛べなくなったガチョウが1羽でもV字フォーメーションを離れた場合、仲間のガチョウ達のうちの数羽がその傷ついた一羽に寄り添うようにして飛び続けるのだ。しかも、その傷ついたガチョウのペースで、また仲間同士V字フォーメーションを組む。

スピードを比べれば元の仲間達のV字フォーメーションには勝てないだろう。しかし、今彼らにできる最大のスピードで、引き続き協力し合って、もちろん、リーダーシップを共有しながら、またV字フォーメーションで飛び続ける。そしてこの小さなV字フォーメーションは、その傷ついた1羽がもう飛べなくなったり死んでしまうか、あるいは、元気に回復して元のV字フォーメーションに戻れる状態になるまで続く。

そこで、教訓3。

『困難な時ほど、違いを気にすることなく、互いに助け合っていこう』

ということで、教訓1、教訓2、教訓3でした。

空を飛ぶガチョウの群れを見たら、少しだけでもこの話を思い出してみてください。

V字フォーメーション(その2)

2007年09月27日 | MBA

進む方向が同じなら、協力してV字フォーメーションで飛んだほうが断然有利だ。しかし、V字フォーメーションも完璧ではない。V字の先頭に立って飛ぶガチョウは、その体全体に風を受けて飛ぶことを強いられる。当然、その先頭のガチョウが飛ぶのに必要なエネルギーは、その後ろを飛ぶガチョウのそれよりも遥かに大きい。結果として、最後には一番早く疲れ果ててしまうことだろう。

なので、V字フォーメーションの先頭を飛ぶガチョウは、常にその役目を互いに交代し合いながら飛び続ける。すなわち、一定時間先頭で飛んだガチョウは、その後フォーメーションの一番後ろに回り、一番飛ぶためのエネルギーを使わなくても済むポジションで空を飛ぶことを許される。そうすることで、一番エネルギーを使う先頭のポジションを全体で共有し、誰かが疲れ果てて飛ぶことができなくなるという事態を回避しているのだ。

そこで、教訓その2。

『リーダーシップを共有すれば、チームの持続力は最大化される』

V字フォーメーション(その1)

2007年09月26日 | MBA

Goose(ガチョウ)が空を飛ぶのを見たことがある人が、一体どれほどいるだろうか。彼らは常に仲間とともにV字フォーメーションを組んで空を飛ぶ。そして、それには深い理由があった。

先日知り合いから送られてきたファイルは、ガチョウのV字フォーメーションフライトを例えに用いた、とても深く、示唆に満ちた人生訓だった。英語だったので早速日本語に訳して日本の知り合いに送ろうと思っている。それと同時に、宇宙航空MBAブログを読んでいただいている皆さんとも少しだけ内容を共有したい。長くはないのだけど、画像を見ながらのほうがよく理解できると思うので、3回に分けて紹介することにする。

渡り鳥であるガチョウは、なぜV字フォーメーションを組んで空を飛ぶのか。それは、1羽だけで単独で空を飛ぶ場合に比べて、71%も効率的に空を飛べるからだ。もし1羽だけフォーメーションを外れて単独で飛ぶとしよう。その場合、そのガチョウは風を全身で受け止めて、全ての空気抵抗に逆らって空を飛ばなければならない。

しかし、V字フォーメーションを組んで空を飛べば、自分の斜め前を飛ぶ鳥が風避けの役目を果たしてくれるので、単独で飛ぶ場合よりも遥かに空気抵抗を少なくすることができる。つまり、より少ないエネルギーでより遠くまで飛ぶことができるのだ。

そこで、教訓1。

『進む方向が同じなら、協力したほうが遥かに労力が少なくて済む』

後から効いてくる

2007年09月25日 | MBA

僕がまだMBAの受験生だった頃、言われてもあまりしっくりこなかった言葉がある。それが『MBAは後から効いてくる』というフレーズだ。

意味するところは、「MBAで学ぶことに即効性はなく、MBAが終わってから長い時間をかけてジワジワと効果が表れてくる」というもの。せっかく何百万円も授業料を払い、遊ぶ時間を削ってまでこんなに勉強に集中しているのに、効果がないとはどういうことだ!と少し違和感を感じたのを覚えている。しかし、MBAがまもなく修了に近づいている今、この言葉にはなぜか同感できる気がする。

授業で学んだマネジメントの知識や戦略というのは、結局のところ「絵に描いた餅」でしかない。つまり、そのままでは決して食べることができない。本当においしいお餅を味わうためには、習ったレシピに従って自分で餅米を炊き、杵と臼でしっかり突いて、自分なりのおいしいお餅を作りあげるしかないのだ。

これはATR社で実際にマーケティング業務を担当するようになってからより一層強く感じるようになったことだ。あの頃にMBAの授業で学んだことは、そのままでは決してマーケティングの実務に役に立つことはない。しかし、状況をしっかりと見極め、それに一番フィットするようにちょっとだけアレンジを加えれば、僕がMBAで得た知識も分析ツールも驚くほどの効果を発揮してくれる。少なくとも、以前の僕では決して気付かなかったような視点や高さから、対象に対する新しい考え方や発見をもたらしてくれる。

結局のところ、MBAで学んだことをしっかり消化できているかどうかの勝負なのだと僕は思う。授業でいい加減に理解しておいたことは決して実務での応用が効かないが、眠い目をこすり歯を食いしばって吸収した内容については、ここをこう変えればこのケースに適用できる、といった応用が自然に頭の中に浮かんでくる。この違いはとても大きい。

MBAは後から効いてくる。これから始まる新しい仕事の中でもそうあり続けるてくれることを願っている。

FASIA卒業式

2007年09月20日 | MBA
 
今日はFASIAプログラムの卒業式の日。朝からフォーマルなスーツを着て、一応ステージで行うスピーチの準備をした。お世話になったフランスのビジネススクールとフランスの航空宇宙業界にお礼を言うのに英語では失礼だ。なので、フランス語でスピーチをすると前から心に決めていた。

思えば、1年前のこの日に、僕は1世代前のFASIA卒業式に出席した。1年以上フランスで航空宇宙分野の教育とトレーニングを受け、一回りも二回りも大きくなったFASIA奨学生達を見て、1年後に僕もああなっていられるのかなぁ~と漠然と将来をイメージした覚えがある。それからもう1年。時間が過ぎていくのは本当に早い。

FASIAプログラムの卒業式には、奨学生達の出身国の大使館関係者やフランスの教育関係者、それにフランスを代表する航空宇宙企業の方々が多数出席する。日本関係では、先日一緒に食事をさせていただいた在トゥールーズ名誉総領事のPierrs Aymard氏に加え、パリから僕の所属機関のパリ駐在員所長が駆けつけてステージ上でお祝いのスピーチを述べてくれた。忙しい中わざわざ時間を割いてくれたことに本当に心から感謝だ。Merci!

式典では国毎にアルファベット順に奨学生が一人ずつ名前を呼ばれ、ステージへと上がっていく。そして、ステージ上で今回の一連のFASIAプログラムで受けたトレーニングの内容と成果を紹介された後、来賓に対して簡単な感謝のスピーチを行う。多くの奨学生は英語でのスピーチを選んだのだけど、僕はあえてフランス語でのスピーチを選んだ。僕を快く受け入れてくれたフランスという国に対して、心からの感謝を示すためだ。礼には礼を尽くさなければならない。

僕はスピーチの冒頭に、「フランス語があまり上手くはないが感謝の気持ちを示したいのであえてフランス語でスピーチさせてもらう」と説明し、今回の奨学金プログラムへの参加を認めてくれたフランス航空宇宙工業会GIFAS、そして、FASIAプログラム、さらには、僕にMBAトレーニングの場を与えてくれたEcole Superieure de Commerce de Toulouse、そして最後に、僕をインターンとして快く受け入れてくれたATR社に心からの感謝の気持ちを示した。

もちろん、僕のフランス滞在を最初から最後まで支援してくれたInstitute Aeronautics et Spatial (IAS)スタッフへの感謝も忘れずに述べなければならない。彼らのおかげで僕はビザ問題にも滞在許可証問題にも何にも煩わされることなく、快適なフランス生活を送ることができた。Diddierをはじめ、スタッフの皆さんに心からの感謝を示したかった。

最後に、僕にフランス語を教えてくれたFedelique先生とDrothe先生にお礼を述べた。彼女達が辛抱強く僕にフランス語を教えてくれなければ、僕は今こうしてフランス語でスピーチをすることなんてできなかっただろう。レッスンの成果は今日この場で最大限発揮されています、本当にありがとう!という感じで僕はスピーチを締めくくった。

MBAに進学した僕と僕の仲間は、まだこの後も1ヶ月ちょっとフランスに滞在し、フランスで学んだことの最後の総仕上げをしなければならない。しかし、エンジニアリング系のマスターコースに進んだFASIA奨学生達は、今日の卒業式をもって全プログラム終了だ。明日以降、次々とそれぞれの祖国へと旅立っていく。

世界中から集められたFASIAプログラムの仲間からも、本当にいろいろなことを学ばせてもらった。彼らには卒業式の後で一人一人お礼を言ってまわった。願わくば、僕が彼らの仲間の一人としてここにいたという事実も、彼らにとって何らかの意味を持っていてくれれば僕は嬉しい。

明日からもまた航空と宇宙のために頑張っていこう。Bon chance a tous le monde!


(写真はIASキャンパスで今日撮ってもらった一枚。FASIA修了証書と一緒に。)
 

航空宇宙マネジメント学

2007年09月18日 | MBA
 
最近急にビジネススクールからの照会メールが増えてきた。案件はその時々によるのだけど、大半は僕のMBA卒業を見込んだ手続関係の話だ。例えば、ビジネススクールから支給されていた有料駐車場の年間フリーパス券を返しなさいとか、修士論文を何月何日までに何部フルカラーで提出しなさいとか、そんな感じだ。

その中でも今日届いたメールには、僕は改めて考えさせられることになった。メールの内容は、僕が審査に合格すれば受け取ることになるであろう学位に関するものだ。世の中には、やたらと長いファミリーネームやミドルネームを公式な場面で使う国がある。それに、苗字が先か個人の名前が先かといった違いも、国よっては大事に扱われることもある。なので、万が一のことを考えて、本人にこれでよいかと確認してきたのだ。

僕が考えさせられたのは、僕自身の名前をどう記載するかということではない。僕は両親から与えられた日本人としての自分の名前に誇りを持っているし、別に英語風のミドルネームなんて僕に必要だと思ったことはない。海外に出てくる台湾人や中国人が英語の名前で自分を呼んでいるのをみて、いつも不思議に感じているくらいだ。

僕はメールの中に記載された英語の僕の学位タイトルを見て、日本に足りないのはまさにこれだ!と気付いた。それが今日の衝撃だ。英語での僕の学位タイトルは、Master of Business Administration in Aerospace Management。無理やり日本語に訳すと、「経営学修士(航空宇宙マネジメント学専攻)」となる。

学位なんていくらでも自由に設定できると言えばそれまでなのだけど、「航空宇宙マネジメント学」なるものが独立した学問分野としてその存在を認められていること自体が、ここヨーロッパにおける航空宇宙ビジネスの成熟度を表しているような気がする。もちろん、航空宇宙先進国のアメリカにもこの専攻は存在している。しかも、かなり前から存在している。

Aerospace Engineering(航空宇宙工学)専攻などは世界中のどの大学にもある。しかし、「航空宇宙マネジメント学」専攻までが立派に存在しているという事実こそが、今のヨーロッパやアメリカの宇宙航空ビジネスと今の日本の航空宇宙ビジネスとの間にある、歴然とした力の差を表しているような気がしてならない。底力の差と言ったほうがふさわしいかもしれない。

技術力だけを見れば十分にヨーロッパやアメリカと肩を並べ、分野によっては彼らを超え世界のトップランナーとして活躍している日本の航空宇宙。世界の中の本物になるためにはまだ何かが足りないと感じていたが、それは日本における「航空宇宙マネジメント学」の体系的な確立なのかもしれない。

日本に帰ってやらなければならないことがどんどん見えてきた。これからも忙しい日々が続きそうだ。

(写真はVirgin Galactic社のスペース・シップ・ツー。VG社のHPより。)