北朝鮮を離れて自由へ ★イ・エラン★の自由ブログ

いわゆる「脱北者」のおばちゃんです。
北朝鮮の実態を世界の皆さんにもっと知っていただきたく
ネットに挑戦します。

1959年12月14日新潟港で、第一次帰国船が出発

2015-12-15 18:02:51 | 北朝鮮の虚像

 

北朝鮮と朝鮮総連は、

北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝し、

戦後、日本に滞留している朝鮮人と彼らと縁を結んだ日本人らを北朝鮮へ送りました。

いわゆる「帰国事業」。

25年間で10万に近い人々が北朝鮮へ渡りましたが、

彼らを待っていたのは、楽園ではなく、

困窮な暮らしと差別でした。

 

1959年12月14日は、彼らを送るための帰国船が

はじめて北朝鮮に向かって出発をした日。

 

北朝鮮へ行ってから脱出して日本へ戻った「川崎」さんが

昨日、第一次帰国船の出発から56年となる日を迎え、

この帰国事業をあおった朝鮮総連に対して抗議をしました。

 

彼女の声はこちらから聞けます↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

在日脱北者「川崎栄子氏」朝鮮総連本部前の記者会見


人間なら謝罪せよ」と叫び、

帰国事業により北朝鮮に送られた同胞の実態を調査せよとして

「人権救済申請書」を差し出しました。



最近、日本政府も

北朝鮮の日本人拉致を「テロ」行為、または「人権侵害」とみなし、

国連などの国際社会で北朝鮮を批判し、早急な解決を求めていますが、

 

北朝鮮を脱北した人々はかなり前からこの問題を「人権」の観点から見ていました。

なぜなら、彼らは自ら北朝鮮を経験した人で、

自分の人権が侵される惨めな感情が分かるからです。

まだ北朝鮮に残っている家族の安全が心配だからです。

外交や政治・経済論理で解決しようとする政治家とは全く違うのです。

 

脱北者らが日弁連に救済申し立て 帰還者の人権保障求め

2015年1月16日00時52分

 

これも川崎が前に立って進めたことですね。

 

人権週間もそろそろ終わろうとしていますが、

北朝鮮に家族を残してきた人からすれば、

常に心に魚の骨が刺さっているような気持ちでしょう。

 

多くの人々を騙して北朝鮮へ連れて行ったこと自体が非人道的ですが、

自由往来もできず、自分が暮らしたい場所を選ぶ権利を奪われたこと、

北朝鮮で敵対視され、過酷な差別を受けることなど、

全部が人権侵害だと思います。

 

 

 

 



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