5月のことですが、
4月中国にある北朝鮮レストランの従業員の集団亡命を受けて、
韓国の「自由経済院」主催で
「対北朝鮮制裁は断固たるものであるべき:集団脱北現象の評価と展望」というテーマで討論会がありました。
私も簡単な発表をさせていただきましたが、
「集団脱北に関する展望と対策」というタイトルでした。
集団脱北の背景を探るために、
過去の脱北の原因の分析とその変化について触れ、
強まっている北朝鮮への制裁と集団脱北の関連性について私の見解を述べさせていただきました。
発表に合わせて作成した小論文を翻訳しましたので、
ここにも一部共有させていただきます。
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2.脱北の経過と原因
1995年以前までは北朝鮮の一般住民が脱北するということは事実上想像さえできないことだった。まず、北朝鮮住民には韓国に対する常識的な情報さえなかったほか、配給制による通行制限や居住地制限などの統制によって一般住民が中国や北緯38度線沿線に移動するのが非常に難しかったからである。
しかし、金日成(キム・イルソン)死亡後、北朝鮮に大規模な飢餓が発生し、北朝鮮当局が「苦難の行軍」を宣言した1995年になると食糧購入のための脱北者の鴨緑江、豆満江での渡河が急増し、これが大規模な脱北につながった。当時は、北朝鮮から脱出して中国に渡る北朝鮮住民が一年にして数万人に達し、配給制度が崩壊した北朝鮮政権は脱北した北朝鮮の住民らに対する調査をすることさえ簡単ではなかった。「脱北者」という用語が一つの固有名詞として韓国社会で本格的に使われはじめた時期も1995年からである。
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▲ 入国現況表(16年3月末入国者まで)(単位:名)/資料:韓国統一部
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▲ 北朝鮮での職業(16年3月末入国者まで)(単位:名)/資料:韓国統一部
北朝鮮で大規模な脱北が発生したのは金日成主席死亡後、深刻な食糧難が始まったのが最も大きな理由だった。1994年以降、中朝国境地域では生活の基盤を失ったいわゆる「コッチェビ(浮浪児)」と呼ばれる人たちの大規模な脱北が起きた。1995年以降、両江道(ヤンガンド)の恵山(ヘサン)では毎日のように中国に脱出した脱北者を強制送還したほか、中国政府は最初は丸太0.8立方メートルを貰う代わりに脱北者を北朝鮮に送らせていたが、脱北者が増え続けることによって条件無しで脱北者を北朝鮮に送らせた。
一方、配給制度が崩壊して市場が登場することで、生存のための違法な経済活動や体制の崩壊に対する不安などによる一部の高官の脱北も起きていたが、当時は北朝鮮からの脱出ルートが設けられておらず、北朝鮮住民の韓国社会に対する信頼も高くなかったため、高官の大規模な離脱は行われなかった。
1999年以降、脱北者の定着支援金額が大幅に増えることで脱北を斡旋する脱北ブローカーが登場し、脱北者の定着支援金を保証金としている脱北と韓国への入国が大々的に進められ、一年に約3,000人以上が入国する大規模な脱北が行われた。
このような過程の中で最悪の状況ではあるが、人身売買という中国での滞在が比較的自由な北朝鮮の女性たちの脱北が大幅に増え、脱北者の80%が女性であるといういわゆる「脱北者女超時代」が到来した。脱北者女性が大幅に増えることで登場した新たな現象は家族単位の脱北だった。北朝鮮から脱出して韓国に来た脱北者女性は定着支援金やアルバイトをはじめとする自ら働いて稼いだお金で北朝鮮に残っている家族を脱出させるリレー式の企画脱北現象が起き、その結果、韓国には現在約3万人の脱北者が生活するようになった。
したがって、1990年代初期までは軍事境界線やロシアの伐木作業者、海外派遣者など、ごく少数の脱北者だけが韓国に入り、年間平均5~6人の脱北者が入国していたものが、2001年には1,043人が入国し、年間入国脱北者が初めて1,000人を超えたほか、2006年には2,028人、2009年には2,914人に増加するなど、韓国に入国する脱北者の規模は2000年から2009年までの10年間増え続け、それこそ大規模な脱北が起きるようになった。このような状況により「近いうちに年間入国脱北者が5,000人を超える」という予想が力を受けその結果、第2の「北朝鮮離脱住民の定着支援事務所(ハナウォン)」を増築した。
1990年代半ばまでは殆どの脱北者が男性であり、単独で入国していたが、脱北者の大規模な入国とともに家族単位の脱北が増えるようになってほか、脱北者の80%以上が女性である不思議な現象が現われるようになった。
このような大規模な脱北の原因は何よりも配給制度の崩壊や市場体制の登場による体制変化の中で、国家の統制の下で集団的に進められていた生存のための経済活動が配給制の中断とともに個人的な活動に転換され、個人の通行が活発になったことだ。
配給制が実施されていた当時は旅行証明書がなければ絶対に列車に乗ったり、市外バスに乗ることができなかったものの、食糧購入を前提にする大量移動が起きると北朝鮮当局の統制システムは崩壊し、崩れた通行制限システムを利用してより多くの人が国境地域に押し寄せるようになったほか、国境地域に集中した人々は再び中国に不法渡河することになった。
1995~1997年の間、中国の長白朝鮮族自治県と接している両江道恵山では恵山橋でほぼ毎日のように約150人の脱北者が強制送還されたが、最初は強制送還された脱北者があまりにも多く、管理に手が回らずそのまま訓戒放免措置をしたが、再脱北が増え続け、その後は処罰を強化して労働鍛錬隊や最悪の場合は政治犯として強制収容所に入れられていた。
筆者が生活していた両江道恵山の駅前の旅館5階には強制送還された脱北者を収容する新しい形の収用所が誕生したが、この時の処罰方法は駅前の旅館に強制収容し、同じ地域つまり、咸鏡南道(ハムギョンナムド)、黄海道(ファンへド)、平安道(ピョンアンド)など、列車の行き先が同じ地域の北朝鮮住民が列車1両に納まくらい集まれば、特別列車を編成して送り返していた。しかし、すでに居住地を離れる時、すべての生活手段を処分して住む所のない(コッチェビ)脱北者は一週間も経たないうちに再び命を維持できる国境地域や中国に移動するしかなかった。
このように国境地域や中国でお金を稼ぐことができ、食糧を購入できるといううわさが広がり、国境地域に集まる脱北者が急増するようになり、中国に出稼ぎに行ったり、食糧購入のために国境警備隊にお金を渡して鴨緑江や豆満江を渡るようになったが、実際に中国でのお金稼ぎは簡単ではなく、中国公安の取り締まりが強化され、強制送還されるケースが増えるようになった。
時間が経てば経つほど、北朝鮮から脱出する脱北者が増え、強制送還された脱北者に対する処罰も強化されることにより、脱出者の唯一の希望は韓国行きになったほか、女性の場合は人身売買を通じて中国公安の取り締まりは少し避けられるが、相次ぐ取り締りや強制送還のため韓国行きを選ぶことで、脱北者の大規模な韓国入国の時代が開かれるようになった。
3.北朝鮮に対する制裁強化と集団脱北の関係
1995年から北朝鮮住民の大規模な脱北は始まったが、北朝鮮を脱出した大規模な北朝鮮住民が大韓民国に入国するようになったのは1999年以降からであり、最初は単独入国が主流だったが、時間が経つにつれ家族単位の入国が増えることになったが、このような現象は食糧難や経済難により疲弊した政権や権力を受け継いだ金正恩(キム・ジョンウン)にとって最大の足かせになった。
上記の統計結果でも分かるように、咸鏡北道(ハムギョンブクド)地域、特に穏城(オンソン)、茂山(ムサン)、会寧(フェリョン)などの地域ではソウルで同じ中学校出身の同窓会が開かれるほど多くの北朝鮮住民が脱北しており、ソウルで北朝鮮で同じ町、同じ職場、同じ学校の出身に会うのはそれほど珍しいことではなくなった。
韓国に入国した脱北者は厳しい生活状況の中でも北朝鮮に残っている家族を探すため、自分らが経ってきたルートを再び家族を連れてくる脱北経路として利用し、携帯電話を利用して北朝鮮の家族と連絡を取りながらお金を送り、北朝鮮に残っている家族を脱出させることに積極的になり、北朝鮮住民の間では脱北者家族に対し、新たな羨望を抱くようになった。つまり、大規模な脱北と大韓民国で脱北者の存在が台頭し始め、それは金正恩政権の崩壊を促す時限爆弾のような存在になった。そのため、金正恩は執権初期から脱北者の公開処刑や脱北者家族の3代を滅族させるという残虐な粛清制度を実施し、脱北を防ぐため新たな施設物の工事まで大々的に繰り広げることになった。
それと共に金正恩は韓国に来た脱北者を脅迫・恐喝したり拉致して北朝鮮に連れ出し、大きな記者会見を開き、韓国に対する非難に熱を上げているが、現実的には大きな成果は得られていない。一部の脱北者によると北朝鮮の一部地域では「朝鮮民主主義人民共和国国家安全保衛部」のメンバーが脱北者の家族に対し、家族が脱北して韓国にいるということを周りの人に知らせないように強要するという。そして、最初は北朝鮮に帰還した脱北者を記者会見に参加させることで一応注目は集めたが、時間が経つにつれ、むしろ韓国に対する好感度を上げる結果をもたらしたため、最近は記者会見を開いても北朝鮮の住民には見せず、韓国に対する心理戦として「わが民族同士」というメディアにのみ登場させているという。
韓国に保守政権が発足し、北朝鮮の挑発に対する原則的な対応が強化され、金正恩は新たな外貨稼ぎの手段として人材の輸出を拡大することになったが、1990年代までも数少なかった北朝鮮の食堂は雨後の竹の子のように増え、北朝鮮の外貨稼ぎの窓口として大きな役割を果たすことになった。事実上、北朝鮮の海外食堂の最大の顧客は韓国人だったため、韓国政府の北朝鮮に対する制裁強化により、食堂を訪れる韓国人が減ると現在、北朝鮮の海外食堂は軒並み倒産しており、海外で仕事を見つけて外貨稼ぎをして金正恩の懐をを暖めながら、自分のためお金を貯めていた北朝鮮の海外派遣者にも大きな打撃になったのは事実だ。
韓国の歴代政府が実施していた「太陽政策」などの北朝鮮に対する温情主義政策は結果的に誤った政治体制を維持させ、さらに北朝鮮住民を長い間、苦しませたことから最悪の政策といえる。一部の統一学者、統一の専門家らは北朝鮮の経済発展を通じて政治体制を変えなければならないと主張し、交流や協力を主張するが、北朝鮮の経済があれほど大きく崩壊したのは北朝鮮の誤った政治体制のせいであり、したがって、北朝鮮の首領王朝政治体制をそのまま受け入れ、経済交流や経済協力を進めるというのは到底不可能なことなのだ。
北朝鮮に対する制裁が強化されればされるほど、北朝鮮の首領王朝の権力をめぐって忠誠を誓った勢力に対する対内外の圧迫は強まり、北朝鮮の忠誠を誓った勢力の忍耐にも限界が来ると見られる。最近、金正恩の外貨上納への圧力や処罰のレベルが高まり、北朝鮮の外貨稼ぎの労働者や海外派遣者、外交官出身の脱北が頻繁に起きている。
北朝鮮は現在、中朝国境の警備を強化しており、一般住民の脱北を防ぐために血眼になっているが、北朝鮮に対する制裁措置が強化されれば、軍隊に対する食糧やエネルギーなどの供給に支障を来たすことになりそれによって、国境警備の責任を負っている軍人の逸脱が激化するため、北朝鮮に対する制裁措置の効果は中朝国境と海外に派遣されている人々の脱北を加速化させる方向で現れるだろう。
しかし、韓国の「太陽政策」の支持者や一部の従北勢力はすでに北朝鮮に対する制裁措置の効果に対し無用論を提起したり集団脱北を国政院の仕業だと事実を歪曲し、対北朝鮮支援、対北朝鮮交流, 南北会談を云々とし、北朝鮮に対する制裁措置の評価を下げようとしている。
4.結論
現段階で、北朝鮮労働党の最優先課題は北朝鮮に対する制裁措置を無力化し、再び対話と交流の煙幕作戦を繰り広げ、一方では核を開発して、他方では韓国国内での対立を極大化させる戦略を取り、大韓民国の国内政治に積極的に介入し、総選挙や大統領選挙を掌握することであり、選挙を通じて大韓民国の権力を北朝鮮の自治政府の権力に転落させて韓国国民の税金を、北朝鮮が利用することだ。
現在のように北朝鮮の核兵器の発展は言うまでもなく、大韓民国政府の無差別な北朝鮮への送金や支援、そして北朝鮮の政治犯をはじめとする北朝鮮住民の人権侵害を通じて実現した。
大韓民国政府と大韓民国の国民はこれ以上、従北勢力の扇動や北朝鮮のゴロ集団の脅迫に振り回されてはならず、国際社会と協力して強力な北朝鮮に対する制裁措置を取ることで、金正恩に忠誠を誓った勢力の離脱を誘導し、北朝鮮住民の自由と民主主義、そして生存権のための戦いを積極的に支援しなければならない。
核兵器のない世界は、金正恩の受領王朝世襲政権を終わらせた時のみ可能となり、王朝世襲独裁政権を自由民主主義と市場経済体制に変える時のみ実現できる北朝鮮住民の解放運動であり、北朝鮮を自由民主主義と市場経済体制に導く方法だ。
単独の脱北が家族単位の脱北につながり、集団脱北へ発展しているということから、4月7日に起きた集団脱北の意味は大きいものであり、このような事実を北朝鮮住民に広く知らせることも非常に必要なことと考えられる。
確かなのは、北朝鮮住民らが独裁政権に抵抗して対抗できる唯一の方法は脱北であり、大韓民国政府と国民は脱北者を食料がなくて飛び出してきた難民とみなすのではなく、北朝鮮の金正恩独裁政権に抵抗して脱出した亡命者と認識し、脱北者らが一日も早く故郷に戻って北朝鮮でも韓国よりさらに自由で、豊かな自由民主主義と市場経済体制を実現できるよう助けなければならないということだ。
つまり、北朝鮮に対する支援や南北経済協力、南北会談だけに捉われるのではなく、さらなる集団的抵抗者が金正恩体制から飛び出せるように助けなければならず、彼らが韓国社会からより多くの役割ができるように支援することによって、北朝鮮で一日も早く自由民主主義と市場経済体制を樹立できるように支援することが急務だ。
金正恩は核兵器を平和的に無力化できる唯一の方法はまさに集団脱北であり、このような集団脱北はまさに北朝鮮に対する強い圧力や制裁措置を通じて可視化できるということだ。
しかし、韓国の第20代国会が選挙公約として唱えてきたように、開城(ケソン)工業団地の操業再開や南北会談、対北朝鮮支援、交流・協力を強調し対立が深刻化すれば、北朝鮮住民らの苦しみはさらに長期化すると見られる。