8月15日は80年目の終戦記念日
戦争体験者の生の声を聞くには
もう「最後の節目の年」でしょう💧
中3の孫娘Coちゃんの夏休みの宿題も
「戦争体験者から話を聞く」というもの 📖✏️
幸いにも私の母が健在なので
一緒に話を聞きに行きました (パパ、ママも一緒に)
母も何をどう話したらいいのか
うまく伝わるか自信がなかったらしく
事前に、記憶を便箋8枚にまとめていて
びっくりしました💦
[戦争が始まる]

誤字、旧字があるので読みにくいと思い
私が1項目ずつ読み上げ
わからないところは質問するということにしました
戦争が始まった1941年
母は小学3年生、まだ9歳ですので
子供ながらの視点です
学校には天皇陛下の写真が飾られていて
「先生の命令は天皇陛下の命令と思え」という
言葉が多くなった
[千人針とは]
私もどうやって作るのか知りませんでした

習字筆の毛を抜いた竹筒の輪に墨をつけ
手拭いにいくつも押し
輪の中心に糸で瘤を作る
1人ひとつだけど
寅年の人は自分の歳の数だけ作ることができたので
(集める子供からすれば)
寅年の人に当たるとうれしかった
出征兵士は弾が当たらないように祈願して
腹巻きにした

項目はたくさんあり
学校生活、給食、靴の配給、肝油の配給、
服装、生理、千人針、召集令状(赤紙)、
空襲警報、防空壕、卒業式、食料難、
終戦、終戦後の生活など
[終戦]

天皇陛下のお言葉があると聞いて
近所の家に集まってラジオを聞いた
戦争が終わってほっとした気持ちと
残念に思えた気持ちはあったが
大人たちがなぜ泣いているのか
わからなかった
母は小学校の高学年がまるまる戦争だったので
まともに勉強ができなかったこと
終戦の年が卒業だったので
卒業証書すらなかったことは
本当に残念で、気の毒に思います
食べる物も着る物もない子供時代
食料難は戦後ますますひどくなったそうです
父親は病で亡くなったので
3人姉弟の長女として
食料を手に入れるため、遠くの農家まで出かけたり
母親は着物と交換していたとも書いてあります
焼夷弾の降る話・・・🔥 🔥 🔥
おみくじの筒の形の焼夷弾
焼夷弾の時限装置と知らず
遊んでいて被害にあった近所の子の話もありました
・・・・・
母の戦時中の体験は私も初めて聞きました
80年の間、母の胸にしまってあった暗い記憶を
私はもちろん
息子夫婦と4世代下のCoちゃんも共有できたことは
何よりもかけがいのない機会となりました⭐️
辛い過去を話したくない人たちも
最近になって
語り部として証言されていますね
時間はもう、限られていますから・・・
戦争は絶対ダメ!
最後に母は強く言いました
辛いこと思い出させてごめんね
一生懸命、書いてくれてありがとう💕

ベランダのサフィニア「ももいろハート」💕
未来が
平和でありますように💕