母が父の本棚を整理していた時に見つけた
今から34年前の週刊誌「サンデー毎日」
父がしたのだろうか。
一頁、折りたたまれていた処にそれはあった。
田中英光の小説「オリンポスの果実」を題材にした記事。
「オリンポスの果実」は、
1932年、第10回ロサンゼルスオリンピックの太平洋を渡る船の上が主な舞台の、
日本選手団のことが書かれている私小説で、田中英光は、早大競艇部員として参加していた。
10回米ロスのオリンピックは、同じく祖母もいた。
女子100mで参加してるのだった。
「オリンポスの果実」に祖母のことは
書かれてはいないけど、少しでもその当時の..随分と前に亡くなって久しい祖母の、生きた時代の
何かが、書かれているのだろうと思うと、
その小説を読んでみたいと思ったのだった。
絶版になっていたけど、図書館から借りて読んでる今。
奇しくも、田中英光、生誕100年だと
先日の新聞にも出てた。
この小説が発表された当時、
「活字の1つ1つ、ピンセットで拾って食べちゃいたい」
と、評された、その表現の1つ1つ。
とてもキラキラしてる。
「みじんも化粧せず、白粉のかわりに、
健康がぷんぷん匂う清潔さで、
あなたはぼくを惹きつけた」
「心のなかには、潮のように温かななにかがふツふツと沸き荒れ狂ってくる」
彼、田中英光である主人公の「ぼく」こと坂本は、
陸上の選手として、同船している熊本秋子に恋する。
2人の間にほとんど何も起こらない
純然たる片思い小説なのだが。。。
船の甲板で連日、選手たちのトレーニングが続けられ、主人公は厳しい特訓に心がしおれても、
熊本秋子を見るのが、心の救いだった。
...長身のあなたが、若い鹿のように、
嫋やかな、引緊つた肉体を、
リズミカルにゆさぶってゐるのが
次の一廻り中、眼にちらついています...
当時は飛行機などなかった時代。
船で3週間もかかるロサンゼルスまでの旅路。男女が狭い空間に居れば、恋にも落ちよう。
太平洋の水の透き徹る淡青さに、生命の要らぬ、と思いはかない気持ちになったりしちゃう主人公。
感傷的過ぎて、独りよがりで、すぐに思いつめてしまい、この人大丈夫なのか??と思うも、何やらぐいぐいと引っ張って、一気に読めた。
オリンピックから7年後に書いたこの小説は、池谷信三郎賞を受賞するが。。。
その後の田中英光は、戦後社会主義運動から脱落し、酒におぼれ、妻子を捨てて性病持ちの売春婦と同棲し、ヒロポン中毒の幻覚を見て
刃傷事件を起こして投獄、精神病院に入るも、
ついには「どこにも行き場所がないので死にます」と遺書を残して、私淑していた三鷹の太宰の墓前で自殺するに至る…
後半生は、ダークグレー一色であると記述されてる。
しかしながら、この鮮やかな青春の、光る飛沫。
キラキラと、輝く恋の光り。
田中英光が、一目で恋に落ちた相手、 「熊本秋子」は走り幅跳びの相良八重だそう。
同じ陸上選手として、相良さんは祖母の写真の中に
男の子っぽい感じで写ってた。
一番のちびっ子が祖母で一番の背高さんは
相良さん。この階段のような、背の順の
写真の構図は、結構多かったですw
第10回オリンピックは前回9回アムステルダム大会で
人見絹枝(800mで銀メダルを獲得した日本最初の女子メダリスト) ただ一人出場したのに比べ9名という女子選手を送り込んだ
ことで、特筆される大会であったそう。
(因みに9回目で女性の陸上競技への参加が 初めて認められ、女性への門戸開放という点で大きく進歩した大会だそうです。)
その初の国際選手として、祖母たちは
どんな心境だったんだろう?と思う。
15歳だった柴田タカは、予選失格であった。
スタートダッシュで、フライングしたのだ。
後年、その口は重かった。
回りは「おばあちゃんの孫なんだから早いでしょう」と言うが、姉と妹はいつも1位だったが、あたしは 3位止まりであった。1位を取らなければ、早いとは言えなかった。
そんな幼少期を過ごした、あたしの根には深いものが
沈んでいるんだと思う。
回りだけが、オリンピックの孫だと騒がしく、当の本人からは、オリンピックの話なんかされたこと
無かった。
祖母は、ものすごくプライドが高かったから、
予選失格だったことは許されなかったのかもしれない。
しかし、その当時。戦前の時代なのだ。
ネイティブな英語で何か言われても
どんなに、色々勉強しても解んなかったことあったよな。。とか、外国人のデカさとか
緊張だとか、かなりのものがあったんじゃないかなぁ。
予選失格は、おばあちゃんだけじゃなかった。
気負い過ぎて、転倒し棄権した人もいたそう。
外国人選手との実力の違いについて
「外国の女子選手は、走ると地響きがするんです。
それはもう、自転車とオートバイの違いでした」と語ってる。
祖母が書き残したものは、とても少ない。 日記を書くような人じゃなかったと思うと母が言う。
どんな事を思い、どう感じたのか、
あたしは知りたかった。
その心境が、嚶鳴三十周年記念号ってのに、記されてたので、ここに書いてみます。
~長く薄暗いトンネルをくぐって、大きなグランドに出ると
四方八方から「ジャパン、ジャパン」と連呼して居る如く聞こえてきた。
私は生まれて初めて自分は日本人である。といふことをはっきりと意識することが出来た。(中略)
いよいよ私、私は3組で7コースです。スターターは、ドイツ語が解るか?と言って来ましたので、
知りませんと言ったらそれなら英語でやると言ってくれた。
私は「今度のスターターは非常に調子が遅いから、位置について、急ぐあまり緊張すると後が続かない」 と聞いたので、其の様に心掛けたつもりだったが
フライングしてしまつた。今度はもつと落着かうと思つて
2回目のスタートに着いた。しかし今度は全然考へて
いなかった時「ドン」とピストルが放たれて、他の選手が一斉にスタートした。私はややあわて氣味でぴょこんと 立つてから出なほしたように記憶して居る。
後は唯夢中でどんどん、どんどん走ったが、しかし、
私の実力は到底他国の選手のそれに及ばなかった。
私は負けました。私は穴があったら入ってしまって
此の世界から消え失せたいと思った。
私の今までのおよそ3年間の練習の結果が たった今十幾秒間で解決されてしまったのである。
舞台が大きければ大きいほど、敗残者の姿は
みじめなものです…~
力が無かったこと、努力が足りなかったこと。
後悔と悔しさと淋しさと情けなさで、期待を裏切ったと、少女はなんとデカイものを背負込だんだろう。
何だか、可哀相に思えた手記だった。
可哀相に、帰る船で身を投げたくなったらしい。
当時の新聞に載ったこ~んな記事を
見ちゃったら、ホント死んじゃいたくなっちゃうなぁ。。
オリンピックに選ばれるのは名誉なことで
誰もがそこを目指すんだろう。
だけど、負けたことのこの思いは 一生引きずっていくんだろう。
厳しすぎて怖かった祖母であったが、
今、柔らかい気持ちになれた。
調べてみて良かったと思った。
船の甲板での写真が多いです。
首からレイをぶら下げた、ハワイでの一枚。
オリンピック専用のパスポートなのかな?
VISAって書いてあった。
おちゃめな船での非常時の練習の
浮き輪を持った訓練のスナップ、
みなさん、可愛いですねぇ。
当時のハリウッドスターの女優さんと。
シルビア・シドニーさんだって★
美しいわぁ~アマンダ・セイフライドにちょっと似てる(笑)
オリンポスの果実のことから、祖母の話になり
ちょいっと自分のルーツみたいなブログでしたが
ここまで読んでくれたら嬉しいです(笑)
今から34年前の週刊誌「サンデー毎日」
父がしたのだろうか。
一頁、折りたたまれていた処にそれはあった。
田中英光の小説「オリンポスの果実」を題材にした記事。
「オリンポスの果実」は、
1932年、第10回ロサンゼルスオリンピックの太平洋を渡る船の上が主な舞台の、
日本選手団のことが書かれている私小説で、田中英光は、早大競艇部員として参加していた。
10回米ロスのオリンピックは、同じく祖母もいた。
女子100mで参加してるのだった。
「オリンポスの果実」に祖母のことは
書かれてはいないけど、少しでもその当時の..随分と前に亡くなって久しい祖母の、生きた時代の
何かが、書かれているのだろうと思うと、
その小説を読んでみたいと思ったのだった。
絶版になっていたけど、図書館から借りて読んでる今。
奇しくも、田中英光、生誕100年だと
先日の新聞にも出てた。
この小説が発表された当時、
「活字の1つ1つ、ピンセットで拾って食べちゃいたい」
と、評された、その表現の1つ1つ。
とてもキラキラしてる。
「みじんも化粧せず、白粉のかわりに、
健康がぷんぷん匂う清潔さで、
あなたはぼくを惹きつけた」
「心のなかには、潮のように温かななにかがふツふツと沸き荒れ狂ってくる」
彼、田中英光である主人公の「ぼく」こと坂本は、
陸上の選手として、同船している熊本秋子に恋する。
2人の間にほとんど何も起こらない
純然たる片思い小説なのだが。。。
船の甲板で連日、選手たちのトレーニングが続けられ、主人公は厳しい特訓に心がしおれても、
熊本秋子を見るのが、心の救いだった。
...長身のあなたが、若い鹿のように、
嫋やかな、引緊つた肉体を、
リズミカルにゆさぶってゐるのが
次の一廻り中、眼にちらついています...
当時は飛行機などなかった時代。
船で3週間もかかるロサンゼルスまでの旅路。男女が狭い空間に居れば、恋にも落ちよう。
太平洋の水の透き徹る淡青さに、生命の要らぬ、と思いはかない気持ちになったりしちゃう主人公。
感傷的過ぎて、独りよがりで、すぐに思いつめてしまい、この人大丈夫なのか??と思うも、何やらぐいぐいと引っ張って、一気に読めた。
オリンピックから7年後に書いたこの小説は、池谷信三郎賞を受賞するが。。。
その後の田中英光は、戦後社会主義運動から脱落し、酒におぼれ、妻子を捨てて性病持ちの売春婦と同棲し、ヒロポン中毒の幻覚を見て
刃傷事件を起こして投獄、精神病院に入るも、
ついには「どこにも行き場所がないので死にます」と遺書を残して、私淑していた三鷹の太宰の墓前で自殺するに至る…
後半生は、ダークグレー一色であると記述されてる。
しかしながら、この鮮やかな青春の、光る飛沫。
キラキラと、輝く恋の光り。
田中英光が、一目で恋に落ちた相手、 「熊本秋子」は走り幅跳びの相良八重だそう。
同じ陸上選手として、相良さんは祖母の写真の中に
男の子っぽい感じで写ってた。
一番のちびっ子が祖母で一番の背高さんは
相良さん。この階段のような、背の順の
写真の構図は、結構多かったですw
第10回オリンピックは前回9回アムステルダム大会で
人見絹枝(800mで銀メダルを獲得した日本最初の女子メダリスト) ただ一人出場したのに比べ9名という女子選手を送り込んだ
ことで、特筆される大会であったそう。
(因みに9回目で女性の陸上競技への参加が 初めて認められ、女性への門戸開放という点で大きく進歩した大会だそうです。)
その初の国際選手として、祖母たちは
どんな心境だったんだろう?と思う。
15歳だった柴田タカは、予選失格であった。
スタートダッシュで、フライングしたのだ。
後年、その口は重かった。
回りは「おばあちゃんの孫なんだから早いでしょう」と言うが、姉と妹はいつも1位だったが、あたしは 3位止まりであった。1位を取らなければ、早いとは言えなかった。
そんな幼少期を過ごした、あたしの根には深いものが
沈んでいるんだと思う。
回りだけが、オリンピックの孫だと騒がしく、当の本人からは、オリンピックの話なんかされたこと
無かった。
祖母は、ものすごくプライドが高かったから、
予選失格だったことは許されなかったのかもしれない。
しかし、その当時。戦前の時代なのだ。
ネイティブな英語で何か言われても
どんなに、色々勉強しても解んなかったことあったよな。。とか、外国人のデカさとか
緊張だとか、かなりのものがあったんじゃないかなぁ。
予選失格は、おばあちゃんだけじゃなかった。
気負い過ぎて、転倒し棄権した人もいたそう。
外国人選手との実力の違いについて
「外国の女子選手は、走ると地響きがするんです。
それはもう、自転車とオートバイの違いでした」と語ってる。
祖母が書き残したものは、とても少ない。 日記を書くような人じゃなかったと思うと母が言う。
どんな事を思い、どう感じたのか、
あたしは知りたかった。
その心境が、嚶鳴三十周年記念号ってのに、記されてたので、ここに書いてみます。
~長く薄暗いトンネルをくぐって、大きなグランドに出ると
四方八方から「ジャパン、ジャパン」と連呼して居る如く聞こえてきた。
私は生まれて初めて自分は日本人である。といふことをはっきりと意識することが出来た。(中略)
いよいよ私、私は3組で7コースです。スターターは、ドイツ語が解るか?と言って来ましたので、
知りませんと言ったらそれなら英語でやると言ってくれた。
私は「今度のスターターは非常に調子が遅いから、位置について、急ぐあまり緊張すると後が続かない」 と聞いたので、其の様に心掛けたつもりだったが
フライングしてしまつた。今度はもつと落着かうと思つて
2回目のスタートに着いた。しかし今度は全然考へて
いなかった時「ドン」とピストルが放たれて、他の選手が一斉にスタートした。私はややあわて氣味でぴょこんと 立つてから出なほしたように記憶して居る。
後は唯夢中でどんどん、どんどん走ったが、しかし、
私の実力は到底他国の選手のそれに及ばなかった。
私は負けました。私は穴があったら入ってしまって
此の世界から消え失せたいと思った。
私の今までのおよそ3年間の練習の結果が たった今十幾秒間で解決されてしまったのである。
舞台が大きければ大きいほど、敗残者の姿は
みじめなものです…~
力が無かったこと、努力が足りなかったこと。
後悔と悔しさと淋しさと情けなさで、期待を裏切ったと、少女はなんとデカイものを背負込だんだろう。
何だか、可哀相に思えた手記だった。
可哀相に、帰る船で身を投げたくなったらしい。
当時の新聞に載ったこ~んな記事を
見ちゃったら、ホント死んじゃいたくなっちゃうなぁ。。
オリンピックに選ばれるのは名誉なことで
誰もがそこを目指すんだろう。
だけど、負けたことのこの思いは 一生引きずっていくんだろう。
厳しすぎて怖かった祖母であったが、
今、柔らかい気持ちになれた。
調べてみて良かったと思った。
船の甲板での写真が多いです。
首からレイをぶら下げた、ハワイでの一枚。
オリンピック専用のパスポートなのかな?
VISAって書いてあった。
おちゃめな船での非常時の練習の
浮き輪を持った訓練のスナップ、
みなさん、可愛いですねぇ。
当時のハリウッドスターの女優さんと。
シルビア・シドニーさんだって★
美しいわぁ~アマンダ・セイフライドにちょっと似てる(笑)
オリンポスの果実のことから、祖母の話になり
ちょいっと自分のルーツみたいなブログでしたが
ここまで読んでくれたら嬉しいです(笑)