山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

隣に座りし、親父のオ-ルドパ-を飲んで

2006年07月25日 02時16分33秒 | Weblog
ウイスキ-のご馳走様は、歓迎だが。昔のクソ倒産銀行の出身だった。ご本人もボロクソに銀行をけなしていたが、別になんでもなし。
3杯飲んだら、銀行の毒が廻るからやめた。
ブルゾン名演は、翻訳いらぬ!!くらい。我、初心者が見てもブルゾンがオペラをややってることはわかります。
まだ、役者、おとっとと歌手が、まだいると言う事か。
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銀行勤めの友人達 (Unknown)
2006-07-31 12:14:09
銀行勤務だった友人は3人居るがそのうちの二人いずれも途中で退社。



早期退職した二人は、多くは語らないがやはり銀行の体質に付いていけなかったようだ。

天気の時には無理やり傘を貸し、雨が降って本当に必要なときの傘は貸さない!という商売は事実のようで、その辺りがなんとしても割り切れなかったらしい。



結局、一人はホテル関係でそこそこ出世をして、退職後はフリーのコンサルタント、もう一人は今流行の温泉健康ランドの総務部長兼雑用係りを勤め上げて心身すこぶる健康に過ごしている。



もう一人は最近退社したが50代になったかならないかで支店長から出向して直ぐに移籍。

しかも資本系列の無い中小企業で、銀行のありさまも昔日の感をつよくしたものだ。



バブルの支店長時代は専用?の黒塗りに乗って肩で風を切っていて電話がかかってきて世界経済の行方を話題にしながら食事もたびたびご馳走になったものだ。



当方は高田馬場を徘徊していた頃は乗り物はせいぜい自転車。

彼は母校の早稲田大学に良くきていたようでリーがホテルなんかのランチは常連だったようだ。



そんな彼も転職後の晩年はかなり苦労したらしいがたまにポツリと話す内容は末端の営業経験しかない浪人にはなかなか理解できない。

世界経済の行方は話題にならなくなった、

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