"He was the tenor of the century – almost."なんてのは、後年あっという間に腐って(そう、GRANDI TENORIに記述されている)しまったは、世に言うエピキュリアン的人生-歌手にあらうまじき不摂生-より、もともと教師がが早期デビュ-を止めるにもかかわらず、彗星のごとくデビュ-してしまったからだろうか。ここはGRANDI TENORIのHPから2曲パクって貼り付けました。暫くは聴けます。PCに囲っておきたければは曲名に右ケリックでファイル保存。手持ちない曲もあったからついでに全曲いただきました。
1951: Che gelida manina (Puccini: La Boheme). RCA, New York, 24 March (冷たい手、オペラ:ボエ-ム)
1958: Parlami d'amore Mariù (Bixio) 958 (Rivi)(マリュ-、愛を)
全曲パクるときはここから
往時は世紀のテノールともてはやされたらしいが、マリア・カラスとの共演も多かった?ようだから時代を代表する歌手であったことは間違いないだろう。
ステファノの曲はたまたま録音の悪いものしか聞いていないからかもしれない。
オペラ歌手の声の寿命はそれぞれだが、日頃の不摂生が寿命に影響するのは我々普通人と同じだろう。オペ勉強会の先輩に聞いた話では、無理に高音を張り上げる、高音をずらしながら連続するなどが寿命をちじめるってことだったと思う。
何事も無理はしてはいけないってことだろう。
大方の(優秀な?)テノール歌手の目標はベルデイのオテロを歌うことらしいが、コレッリなどに出演の声がかかった時に、まだ(声が?)若すぎると断ったそうだ。
アルフレード・クラウスは自分の声や演技の仕方に合った役しか引き受けない、一定の間隔をあけることを貫いたことで有名だが、70歳?近くまで現役で歌ったとのことだ。
新国立劇場で一昨年だったかなあ?
道化師のカニオ役が何かの都合で変わると…ところがジャコミーニだという。もう60歳?じゃあ盛りも過ぎて辛い道化師見物になりそうだと思いながら劇場に行ったものだが。
この道化師の指揮は某新進イケ面で追っかけおばはんが多数出現している若手なんだけど、指揮ぶりは10年?か5年か?早かった。主張もリズムも情緒も感じられない無い指揮では、オケも演奏しにくそうで、歌手も歌いにくそう。破綻はしなかったものの近来稀に見る不出来な道化師になるところだったと思う。
ところがなんと、全く期待していなかった60歳のジャコミーニの迫力に圧倒。チンケな舞台も感じさせない出来に観客は恍惚状態。新国で滅多に無い大拍手が鳴り止まず。
ジャコミーニはどんな節制をしてきたのかは知らないが、最近、体験した実例である。
年齢だけでオペラ歌手を判断するナカレ!