つれづれすけっち

ワタシらしく。 ワタシなりに。

「MOZART!(井上バージョン)」観劇記(ネタバレあり)

2005-06-23 00:28:11 | 感激!観劇!
6月21日 梅田芸術劇場メインホール 12:30開演
モーツァルト:井上芳雄 レオポルト:市村正親
コロレド大司教:山口祐一郎 
ヴァルトシュテッテン男爵夫人:香寿たつき ナンネール:高橋由美子 
コンスタンツェ:西田ひかる シカネーダー:吉野圭吾 
セシリア:阿知波悟美 アルコ伯爵:花王おさむ
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今回の席は実質3列目の下手。オペラグラス不要でしっかりキャストの表情が見て取れる。
2回目の鑑賞だったが、今回一番胸に響いてきたのは「“幸せ”って何?」ということ。
モーツァルトの輝かしい天賦の才能は傍からすると非常に「幸せ」なことだが、モーツァルト自身は当初才能(アマデ)と折り合いを付けながら生きていたものの、次第に自分の中で増大する才能に潰されそうになりながら、しまいには狂気の沙汰に追い込まれていく。父レオポルトも息子モーツァルトを天才に育て上げたという誇りを持ち幸せに満ちているようだが、大人になったモーツァルトは自分の意のままにならず、お互いの心はすれ違っていく。他人からは幸せと思えることも、本人には決して幸せとはいえない。ナンネールもコンスタンツェも同様に・・・
じゃあ、幸せって何?
♪目には見えなくて、言葉でいえない、壊れ易くて、移ろいやすいもの、愛情ではなく、才能でもなく、成功でもない・・・何か。
この歌詞、言い得て妙。かなり深い。
幸せって「心の平穏、満足感」なのかな、と思う。いくらいい服を着ても、お金を持っていても、モーツァルトのように人が羨む才能を持っていても、それだけでは幸せとは言えないのだ。幸せの代わりにもなり得ない。だが私達は心が不安定だと無意識に“欲”に走る習性がある。それが幸せであると思い込んでしまうから。それを維持するために、欲望はさらに増加する。
「ボロは着てても心は錦」、こうなれないのが人間の悲しいところ。
今は“欲”について否定的な見方をしたが、実際欲望のない人なんていないはず。今の状態からさらに上へ、上へという向上心だってある意味欲望だ。欲望を達成した時に感じる「幸せ」は一瞬のもの。幸せは時間が経つと幸せと思えなくなる。だからさらなる幸せを求めていく・・・エンドレスだ。

キャストについては気になった方だけピックアップ。
●井上芳雄さん
若い人の成長には目覚しいものがある!まず、演技力と歌唱力がグンとアップ。そしてこれはご本人もインタビューでおっしゃっていたが、声が(大人の声に)変わっていて、以前にも増して一層芯のある声になっていた。そして声が強くなっていたのが印象的。初演の際は高音部の発声がきついようで裏返っていたところがあったが、今回は裏返ることなく完璧に歌えていた。想像を上回る素晴らしさ!歌、演技の表現力の幅が広がっていた。演技に関しては蜷川さんのしごきのおかげかしら?絶対あの地獄が現在の井上さんの力となっているはず。
井上さんのモーツァルトは心底女と、遊びが大好きな“人間”モーツァルトだった。「チョッピリ・オツムに~」「並みの男じゃない」ではバカ騒ぎが大好きなモーツァルトらしく、ハジけた演技で楽しませてもらった。踊りもお上手!
●香寿たつきさん
初めて拝見したが、立ち姿がとても美しい!凛としてドレスをさばく姿もよく、男爵夫人の品格をしっかり兼ね備えていた。それと素晴らしい歌唱力。柔らかい中にも芯の通った声で、しかも伸びがあってステキ。「星から降る金」では号泣してしまった・・・低音部の歌い方は久世さんと似ているところがあり、宝塚男役を経ている人はああいう発声になるのだろうか。
●山口祐一郎さん
今回気付いたのだが、「神が私に委ねたもの(トイレシーンの歌)」と「神よ何故許される」の調がCDと比べて変わっている・・・低くなっているのだ。私の勘違い?そうは思えないのだが、山口さんも少し音が取りにくそう。以前の高さの方がいいと思うんだけど。そして「神よ~」の「愚かな男が作り出す!」のところが完全にシャウトになっている。ものすごく大きな声で迫力満点だが、かなり怖い。子供がいたら泣き出すのではないか?!と思うほど。私としては初演の時のようにちゃんと歌ってほしかったな。あと、トイレシーンの挙動不審さは一体どこまでエスカレートするのだろう・・・?!
●市村正親さん
市村さんの歌には、もうずっと泣かされっぱなし!「心を鉄に閉じ込めて」の冒頭、ぴんと背を伸ばしバイオリンを構える姿はレオポルトのこれまでの実直な人生そのものだ。レオポルトの心情は痛々しく、観ているこちらまで辛くなってくる。