テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

吹き替えの効果、ふこうか(つぶやきみたいなモノ)

2011-06-24 | 十瑠の見方
 映画は映像芸術なので、トーキーといえどもサイレントで観ると、また独自の印象が生まれるかも知れない。なんてことを思いながら実行したことは希なんだけど、「グラン・トリノ」のレンタルDVDはまだ返さなくても良いので、何年ぶりか分からないけどやってみました。
 ま、予想通りですが、この映画はじっくりと語られた作品なので、特に変化は無し。きちんと作られていることが改めて分かった、そんな印象です。
 なので、“消音”鑑賞は早々に取り止めて、“音出し”したら自動で吹き替え版になっていて、イーストウッドの声が本人よりもう少しあたたかい柔らかな印象の声になっていたので、ついそのまま観てしまいました。

 取っ付きやすい声なので観ている内に主人公ウォルト・コワルスキーの印象も変わってきて、オリジナルを観た時とは違い、なんだか可哀想なオヤジさんに見えてきました。仕事人間で子供は奥さんに任せっぱなし、夜も仲間とバーで時間を潰してばかりで、気が付いたら子供たちも思春期を過ぎ、互いを認め合う精神的繋がりも築けないままに40年以上も過ぎてしまった、そんなオヤジです。哀れと言ったら言い過ぎですが、前半はそんな気分にもなりましたね。なんとなく僕の大正生まれの頑固オヤジを思い出すような、ネ。
 オリジナルではポーカーフェイス気味に見えていたイーストウッドの表情も、頑固爺らしさが良く出てるそんな印象に変わってくるから不思議なもんです。但し、そうなると、今度は家族との繋がりが再生する、或いは再生の可能性を感じさせる、そんな展開への期待が生まれてくるので困ったもんです。
 ご存じのように、後半は暴力との対決へと軸は移っていって、吹き替え版の印象は、頑固爺さんは自身の寿命を意識し、自己犠牲により隣人の救済と心の傷の癒しの両方を得ようとする。「ミリオンダラー・ベイビー」もそうだったけど、本当の家族よりも他人と家族らしい繋がりを作る人が主人公なんですね。別の脚本家が書けば、後半は全然別のストーリーにも出来ると思うけど。

 吹き替え版だと中盤くらいまでは★四つくらいにしたくなるけど、上に書いたとおり、筋は家族の再生ではなくて暴力の落とし前(過去の自身の暴力も含めて)の付け方、不器用な男の死に様がテーマだから、お薦め度は悩ましいけどあがらない。

 吹き替えの声優さんを調べたら、NHKテレビの「事件記者」が懐かしい滝田裕介さんでした。イーストウッドと同じ1930年の半年遅れの11月が誕生月。全く同じ年代だもの、気合いが入ったでしょうねぇ。
 ということで、滝田さんの若い頃の映像を(↓)。最初の方に少しだけですけど、その他にも懐かしい人、懐かしい番組が出てくるので、オジさんオバさんはどうぞ~。





 さて、吹き替えの影響を認識したところで、今レンタルしている「スラムドッグ$ミリオネア」についても観てみました。ドキュメンタリータッチのコチラでは、吹き替えが客観性を薄めてしまい、軽い印象に変えていたのですぐに止めました。やはり、オリジナルを観るべきですね。


テアトル十瑠

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« グラン・トリノ | トップ | スラムドッグ$ミリオネア »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十瑠の見方」カテゴリの最新記事