(1962/ロバート・マリガン監督/グレゴリー・ペック、メアリー・バダム、フィリップ・アルフォード、ジョン・メグナ、ブロック・ピータース、ロバート・デュヴァル)
数十年前にTV「日曜洋画劇場」で観た映画で、今年2月にNHKBSで流れたのを録画していたもの。やっと2ヶ月後に観ることが出来た。主人公の弁護士に対して、子供心に理想の父親像を感じ取った記憶がある。
G・ペックがオスカーをとったとして有名な作品で、大まかなストーリーは分かっているつもりだったのに、今回見直してみると結構忘れていた。
時は1930年代。大恐慌の後の不況が続いている頃で、舞台は黒人への人種差別が根強いとされるアメリカ南部の州のひとつアラバマ。そのアラバマのとある田舎町に住む弁護士一家の話である。弁護士の名はアティカス・フィンチ。家族は10歳の息子ジェムと6歳の娘スカウトで、母親は4年前に亡くなっていた。不況とはいえ、黒人の家政婦を雇っていて、子供たちは何不自由なく過ごしていた。
映画は、大人になったスカウトが、1932年の夏から翌年の秋、ハロウィーンの頃までの思い出を語っているという設定で流れていく。序盤は、兄妹と近所に夏休みで遊びに来ていた7歳の少年ディルの3人の子供たちのご近所冒険談が語られる。近くに住む精神異常者の家を覗くというのが冒険の主な中身で、子供たちはその人物を“ブー”と呼んでいた。子供らしいエピソードが続いた後、白人女性をレイプしたとして逮捕された黒人トムをアティカスが弁護することになってからは、この裁判がメインとなり、子供たちの生活も少しずつ影響を受けていく。
判事がわざわざ弁護士宅を訪れて黒人の弁護を依頼するというところに、法曹界に於いても黒人への偏見があったことを伺わせた。
32年の秋、小学校に行くようになったスカウトが、黒人を弁護するようになった父親の件で、クラスメートとケンカをする。『何故、黒人の弁護をするの?』と聞く娘に、アティカスが答える。『良心に誇りがもてなくなるからだ。また、お前達に説教が出来なくなるからだ』
2003年にあったアメリカの映画に関するアンケートで、映画史上最強のヒーローに選ばれたのが、この“アティカス・フィンチ”だった。
家政婦の黒人女性に、スカウトが食事中のマナーについて叱られるシーンがある。スカウトは母親からのそれのように応じていて、フィンチ家の健全性を垣間見るエピソードでありました。
この映画には、1961年にフィクション部門でピューリツァー賞をとった、ネル・ハーパー・リーの原作『ものまね鳥を殺すには(To Kill a Mockingbird)』があるので、この裁判についてもある程度はモデルがあると思うが、社会派ドラマらしくしっかりと描かれていた。30年代の話なので、近年のグリシャム作品のような巧妙な駆け引きは出てこない。
▼(ネタバレ注意)
理路整然たるアティカスの弁護にも関わらず、陪審員たちは被告の黒人トムに有罪の評決を出す。ショックを受けた被告にアティカスは、上告するので気を落とすなと力づけるが、彼も少なからず気落ちしたはずである。
裁判所の二階の傍聴席にはたくさんの黒人達がいて、荷物を片付けるアティカスを思いやり、彼が立ち去るときには立って見送った。その中には3人の子供たちもいた。
ここは、感動的なシーンでありました。
その後、トムは裁判後の移送の途中で逃げ出し、警告による発砲を被弾し死亡したと語られる。警告の発砲が身体にあたるというのはおかしいと思ったが、映画はそれ以上は追求してなかったので、遠くへ逃げないように脚元を狙ったのが外れて、致命的な部分に命中したと考えるのが妥当だろう。
▲(解除)
裁判は33年の夏で終わり、その年の秋、ハロウィーンに後日談が語られることとなるが、ここに序盤に出てきた精神異常者“ブー”が絡む。ブー(若き日のロバート・デュヴァル)、トム、ディル。ラストに於いて、彼等がひとまとまりの思い出として語られる理由がハッキリする。
原題の【To Kill a Mockingbird】については、アティカスが銃の扱い方についてジェムに説明するシーンでこう語られる。<青カケスは作物を荒らすのでいくら撃っても構わないが、マネシツグミ(=Mockingbird)は歌を歌うだけで、悪さをしないから殺すのは罪だ>。
これは、作品のラストに効いてくるわけだが、被告となった黒人についても言えるのかなあ、と私は思った。
父親に対する尊敬と愛情にあふれた作品だが、語り手であるスカウトよりジェムの方が強調されていたので、ベタベタしたところが無く味わい深いものとなっている。
1962年のアカデミー賞で作品賞、監督賞他8部門でノミネートされ、ペック以外にも、脚色賞(ホートン・フート)と美術監督・装置賞(白黒)をとった。スカウト役のメアリー・バダムも助演女優賞にノミネートされた。
尚、この作品はパクラ=マリガンプロダクションの製作で、パクラとは「コールガール(1971)」「大統領の陰謀(1976)」「ソフィーの選択(1982)」「ペリカン文書(1993)」のあのアラン・J・パクラ。パクラ製作、マリガン監督というコンビの作品は「アラバマ」以外にも「栄光の旅路(1957)」「マンハッタン物語(1963)」「サンセット物語(1965)」「下り階段をのぼれ(1967)」など多数ある。又、このコンビにペックを入れた作品には「レッド・ムーン(1968)」という異色の西部劇もあった。
ちなみにマリガンの「おもいでの夏(1970)」は劇場で観た作品で、ミシェル・ルグランのテーマ曲が美しいセンチメンタルな映画。別の機会に書きたいと思う。
ハーパー・リーはトルーマン・カポーティーとは幼なじみで、“ディル”はカポーティーがモデルらしい。
メアリー・バダムはこの後シドニー・ポラックの「雨のニューオリンズ(1965)」にも出ているようなので観てみたくなりました。彼女の兄が「サタデー・ナイト・フィーバー(1977)」等の監督ジョン・バダムというのは、もう有名な話ですな。
数十年前にTV「日曜洋画劇場」で観た映画で、今年2月にNHKBSで流れたのを録画していたもの。やっと2ヶ月後に観ることが出来た。主人公の弁護士に対して、子供心に理想の父親像を感じ取った記憶がある。
G・ペックがオスカーをとったとして有名な作品で、大まかなストーリーは分かっているつもりだったのに、今回見直してみると結構忘れていた。
時は1930年代。大恐慌の後の不況が続いている頃で、舞台は黒人への人種差別が根強いとされるアメリカ南部の州のひとつアラバマ。そのアラバマのとある田舎町に住む弁護士一家の話である。弁護士の名はアティカス・フィンチ。家族は10歳の息子ジェムと6歳の娘スカウトで、母親は4年前に亡くなっていた。不況とはいえ、黒人の家政婦を雇っていて、子供たちは何不自由なく過ごしていた。
映画は、大人になったスカウトが、1932年の夏から翌年の秋、ハロウィーンの頃までの思い出を語っているという設定で流れていく。序盤は、兄妹と近所に夏休みで遊びに来ていた7歳の少年ディルの3人の子供たちのご近所冒険談が語られる。近くに住む精神異常者の家を覗くというのが冒険の主な中身で、子供たちはその人物を“ブー”と呼んでいた。子供らしいエピソードが続いた後、白人女性をレイプしたとして逮捕された黒人トムをアティカスが弁護することになってからは、この裁判がメインとなり、子供たちの生活も少しずつ影響を受けていく。
判事がわざわざ弁護士宅を訪れて黒人の弁護を依頼するというところに、法曹界に於いても黒人への偏見があったことを伺わせた。
32年の秋、小学校に行くようになったスカウトが、黒人を弁護するようになった父親の件で、クラスメートとケンカをする。『何故、黒人の弁護をするの?』と聞く娘に、アティカスが答える。『良心に誇りがもてなくなるからだ。また、お前達に説教が出来なくなるからだ』
2003年にあったアメリカの映画に関するアンケートで、映画史上最強のヒーローに選ばれたのが、この“アティカス・フィンチ”だった。
家政婦の黒人女性に、スカウトが食事中のマナーについて叱られるシーンがある。スカウトは母親からのそれのように応じていて、フィンチ家の健全性を垣間見るエピソードでありました。
この映画には、1961年にフィクション部門でピューリツァー賞をとった、ネル・ハーパー・リーの原作『ものまね鳥を殺すには(To Kill a Mockingbird)』があるので、この裁判についてもある程度はモデルがあると思うが、社会派ドラマらしくしっかりと描かれていた。30年代の話なので、近年のグリシャム作品のような巧妙な駆け引きは出てこない。
▼(ネタバレ注意)
理路整然たるアティカスの弁護にも関わらず、陪審員たちは被告の黒人トムに有罪の評決を出す。ショックを受けた被告にアティカスは、上告するので気を落とすなと力づけるが、彼も少なからず気落ちしたはずである。
裁判所の二階の傍聴席にはたくさんの黒人達がいて、荷物を片付けるアティカスを思いやり、彼が立ち去るときには立って見送った。その中には3人の子供たちもいた。
ここは、感動的なシーンでありました。
その後、トムは裁判後の移送の途中で逃げ出し、警告による発砲を被弾し死亡したと語られる。警告の発砲が身体にあたるというのはおかしいと思ったが、映画はそれ以上は追求してなかったので、遠くへ逃げないように脚元を狙ったのが外れて、致命的な部分に命中したと考えるのが妥当だろう。
▲(解除)
裁判は33年の夏で終わり、その年の秋、ハロウィーンに後日談が語られることとなるが、ここに序盤に出てきた精神異常者“ブー”が絡む。ブー(若き日のロバート・デュヴァル)、トム、ディル。ラストに於いて、彼等がひとまとまりの思い出として語られる理由がハッキリする。
原題の【To Kill a Mockingbird】については、アティカスが銃の扱い方についてジェムに説明するシーンでこう語られる。<青カケスは作物を荒らすのでいくら撃っても構わないが、マネシツグミ(=Mockingbird)は歌を歌うだけで、悪さをしないから殺すのは罪だ>。
これは、作品のラストに効いてくるわけだが、被告となった黒人についても言えるのかなあ、と私は思った。
父親に対する尊敬と愛情にあふれた作品だが、語り手であるスカウトよりジェムの方が強調されていたので、ベタベタしたところが無く味わい深いものとなっている。
1962年のアカデミー賞で作品賞、監督賞他8部門でノミネートされ、ペック以外にも、脚色賞(ホートン・フート)と美術監督・装置賞(白黒)をとった。スカウト役のメアリー・バダムも助演女優賞にノミネートされた。
尚、この作品はパクラ=マリガンプロダクションの製作で、パクラとは「コールガール(1971)」「大統領の陰謀(1976)」「ソフィーの選択(1982)」「ペリカン文書(1993)」のあのアラン・J・パクラ。パクラ製作、マリガン監督というコンビの作品は「アラバマ」以外にも「栄光の旅路(1957)」「マンハッタン物語(1963)」「サンセット物語(1965)」「下り階段をのぼれ(1967)」など多数ある。又、このコンビにペックを入れた作品には「レッド・ムーン(1968)」という異色の西部劇もあった。
ちなみにマリガンの「おもいでの夏(1970)」は劇場で観た作品で、ミシェル・ルグランのテーマ曲が美しいセンチメンタルな映画。別の機会に書きたいと思う。
ハーパー・リーはトルーマン・カポーティーとは幼なじみで、“ディル”はカポーティーがモデルらしい。
メアリー・バダムはこの後シドニー・ポラックの「雨のニューオリンズ(1965)」にも出ているようなので観てみたくなりました。彼女の兄が「サタデー・ナイト・フィーバー(1977)」等の監督ジョン・バダムというのは、もう有名な話ですな。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】
この作品への感動が伝わってきました。
私の中でも最も心に残る作品のひとつですね。
映画を通して出会えた縁を
本当に感謝したいです。
これからもよろしくお願いします♪
コチラこそ、どうぞよろしく♪
また、お邪魔します♪
TBありがとうございました。
お邪魔しようと思っていたところでした。
とてもいい映画でしたね。観てよかったです!!
原作は聖書の次にたくさん読まれたそうですが、
機会があれば読んでみたいと思います。
こちらからもTBさせていただきます~。
詳細なレビュー大変参考になりました。グレゴリー・ペックに決して思い入れているわけではないのですが、この作品は素直に彼の良いところを見れた気がします。
リオ・ブラボーにとりかかりましたので、先にお約束した音楽の件はまたのちほど^^
「リオ・ブラボー」楽しみにしてま~す。
彼のことは「カポーティ」でしか知らないので、全然イメージが結びつきません。でも、幼馴染だからこそ知ってる彼の姿なんでしょうね。
スカウトがジェムに母親の事をポツリポツリと尋ねるシーンはわたしも大好きです。ジェムが答えて、それをポーチのブランコで父親が聞いている・・・。もしかしたら何度もこういう夜があったのかもなぁと思わせました。
黒人の家政婦が”かあちゃん”という感じなのもよかったですよね~。
カポーティさんも「冷血」が大ヒットしましたが、ネルには敵わなかったんですね。
それにしても、幼馴染で共にベストセラー作家になったなんて
>映画史上最強のヒーロー
いや、この父親は文句のつけようがないですよ。
グレゴリー・ペックだから様になったというのもありますね。
>アメリカで聖書に次ぐ売り上げ
この情報には驚きました。
アメリカでこの映画の人気・評価が高いのは知っておりましたが、原作もそんなに売れているとは。
早速図書館のHPで調べましたら蔵書にありましたので、わが「死ぬまでに読みたい1000の本」リスト(笑)に加えておきました。
こちらは歳と共にますます根気が無くなって、活字とは縁遠くなっていますワ。
物語を楽しむのは映画に依存して、あとは「書を捨てよ、街に出よう」がもっぱらです。