(2002/チャン・イーモウ監督/チャオ・ベンシャン、ドン・ジェ、フー・ピアオ、リー・シュエチェン、ニウ・ベン/97分)
19回目のお見合い相手となんとか結婚できそうな冴えない中年のほら吹き男チャオ。結婚式には5万元いると言われ、友人フーに借金しようとするが、前回の借金も返してもらってないフーは、近所にある廃車となったバスを改装して簡易モーテルにして儲けようと提案する。
バツ2だというお見合い相手のアパートに行くと、彼女によく似て太った男の子と痩せた女の子が居た。女の子の名はウー・イン、18歳。前夫の連れ子で血は繋がってないが、後で迎えに来るからと無理矢理預けられている格好だ。しかもウーは眼が見えない。
旅館を経営していると嘘をついているチャオは、成り行きでウーを従業員として雇うことになるが、予定していた廃バスのモーテルは役所の区画整理にあい撤去されてしまう。仕方なくウーを見合い相手のアパートに連れ帰るも、厄介払いが済んだと思っていた継母は既に家の中を改装していてウーの居場所はない。アパートを飛び出すウーを追って街に出たチャオは、絶望に打ちひしがれている彼女を見かねて自分のアパートに連れて行くのだが・・・。
「初恋のきた道(1999)」「あの子を探して(1999)」、そして「至福のとき」の三作を総称して、チャン・イーモウの“しあわせの三部作”というらしい。
前二作から3年後のこの作品は、前作と同じように役者の自然体の演技が素晴らしい。自然体ながら、今回は山田洋次作品のようなちょっと間抜けな善人の醸し出すユーモアに満ちあふれてる。チャオとその仲間達の会話は時に漫才のように可笑しいし、悲惨な境遇のウーを落ち込ませまいと四苦八苦する姿が微笑ましい。軽快なショットの切り替えが、コメディタッチの語り口に合致してイーモウ演出は今回も快調でありました。
但し、今作はラストが弱い。「あの子を探して」のラストもとってつけたような感じがして少し残念だったけど、これは『えっ!』って感じ。もうちょっと、その先を語ってよと言いたくなる。
原作には盲目の少女は出てこないらしいから殆ど“至福の精神”のみ受け継いで、ストーリーは創作に近いのでしょう。余韻を味あうというよりは、懸念が先に立ってしまいましたが・・・。
▼(ネタバレ注意)
チャオは自分のアパートを従業員用の宿舎だと言ってウーに与え、マッサージが出来るというウーの為にニセの旅館のマッサージ室を作る。そこは操業停止となっている工場の一角で、チャオと同じように工場閉鎖で無職になっている仲間達が会社の社長や大学教授と偽ってお客となる。
ウーにアパートを明け渡した後、こっそり自分の為に毛布を取りに戻ったチャオが、ウーに悟られないように出ようとするが出られず、結局はベランダで寝てしまうというシーンはチャップリンのコメディのように面白い。
マッサージに行ったことがないチャオ達が街の店に見学に行くところも可笑しいし、ウーの客となった仲間があまりの気持ちよさに眠ってしまうというのもほのぼのとしてしまう。
チャオの頑張りは全て結婚したいが為のものだったが、ウーに対する同情心もある。
幼い頃に母親とは死に別れ、病気のために失明したウー。父親はお金を貯めて戻ってくると言って出て行ったが、あれから届いた手紙は元継母に届いた1回切りだった。
フーとチャオと三人で食事をした時、継母へ来た手紙を読んで欲しいとウーは言う。継母への手紙だったソレにはウーについては何も書いてない。しかしチャオは、ウーにも何か書いてあるが字が小さくてよく見えないから、今晩家で老眼鏡で読んで内容は明日教えると嘘をつく。
その晩チャオは見合い相手のアパートに行くが、それまでの彼の嘘が彼女にばれてしまっていてふられてしまう。おまけにヤケ酒を飲んで愚痴っていると通行人に殴られるなど散々な夜だった。
一人レストランで夕食を摂るチャオ。紙とペンを借りてウーの為にオヤジ代わりの文章を書いてみる。父親らしい愛情と希望を捨てるなという力強いメッセージ。しかし、その言葉はウーの耳に届くことはなかった・・・。
▲(解除)
2回目の鑑賞では尻切れトンボのラストはそれ程気にならなくなりました。でもやっぱり、気になる。せめて、チャオの事ぐらいは・・・。
掃き溜めに鶴と言った風情のウー役のドン・ジェ。あるブログによると、継母と対照的にするためでしょうか、今回の役作りのために減量したらしいです。この後も着実に映画出演は続いているようで、次回鑑賞予定の「山の郵便配達(1999)」のリィウ・イエと共演の「天上の恋人(2002)」でも耳の聞こえない少女の役とのことでした。
眼の見えない少女が主人公ですが、決してお涙頂戴ではないのでお薦めです。
19回目のお見合い相手となんとか結婚できそうな冴えない中年のほら吹き男チャオ。結婚式には5万元いると言われ、友人フーに借金しようとするが、前回の借金も返してもらってないフーは、近所にある廃車となったバスを改装して簡易モーテルにして儲けようと提案する。
バツ2だというお見合い相手のアパートに行くと、彼女によく似て太った男の子と痩せた女の子が居た。女の子の名はウー・イン、18歳。前夫の連れ子で血は繋がってないが、後で迎えに来るからと無理矢理預けられている格好だ。しかもウーは眼が見えない。
旅館を経営していると嘘をついているチャオは、成り行きでウーを従業員として雇うことになるが、予定していた廃バスのモーテルは役所の区画整理にあい撤去されてしまう。仕方なくウーを見合い相手のアパートに連れ帰るも、厄介払いが済んだと思っていた継母は既に家の中を改装していてウーの居場所はない。アパートを飛び出すウーを追って街に出たチャオは、絶望に打ちひしがれている彼女を見かねて自分のアパートに連れて行くのだが・・・。
「初恋のきた道(1999)」「あの子を探して(1999)」、そして「至福のとき」の三作を総称して、チャン・イーモウの“しあわせの三部作”というらしい。
前二作から3年後のこの作品は、前作と同じように役者の自然体の演技が素晴らしい。自然体ながら、今回は山田洋次作品のようなちょっと間抜けな善人の醸し出すユーモアに満ちあふれてる。チャオとその仲間達の会話は時に漫才のように可笑しいし、悲惨な境遇のウーを落ち込ませまいと四苦八苦する姿が微笑ましい。軽快なショットの切り替えが、コメディタッチの語り口に合致してイーモウ演出は今回も快調でありました。
但し、今作はラストが弱い。「あの子を探して」のラストもとってつけたような感じがして少し残念だったけど、これは『えっ!』って感じ。もうちょっと、その先を語ってよと言いたくなる。
原作には盲目の少女は出てこないらしいから殆ど“至福の精神”のみ受け継いで、ストーリーは創作に近いのでしょう。余韻を味あうというよりは、懸念が先に立ってしまいましたが・・・。
▼(ネタバレ注意)
チャオは自分のアパートを従業員用の宿舎だと言ってウーに与え、マッサージが出来るというウーの為にニセの旅館のマッサージ室を作る。そこは操業停止となっている工場の一角で、チャオと同じように工場閉鎖で無職になっている仲間達が会社の社長や大学教授と偽ってお客となる。
ウーにアパートを明け渡した後、こっそり自分の為に毛布を取りに戻ったチャオが、ウーに悟られないように出ようとするが出られず、結局はベランダで寝てしまうというシーンはチャップリンのコメディのように面白い。
マッサージに行ったことがないチャオ達が街の店に見学に行くところも可笑しいし、ウーの客となった仲間があまりの気持ちよさに眠ってしまうというのもほのぼのとしてしまう。
チャオの頑張りは全て結婚したいが為のものだったが、ウーに対する同情心もある。
幼い頃に母親とは死に別れ、病気のために失明したウー。父親はお金を貯めて戻ってくると言って出て行ったが、あれから届いた手紙は元継母に届いた1回切りだった。
フーとチャオと三人で食事をした時、継母へ来た手紙を読んで欲しいとウーは言う。継母への手紙だったソレにはウーについては何も書いてない。しかしチャオは、ウーにも何か書いてあるが字が小さくてよく見えないから、今晩家で老眼鏡で読んで内容は明日教えると嘘をつく。
その晩チャオは見合い相手のアパートに行くが、それまでの彼の嘘が彼女にばれてしまっていてふられてしまう。おまけにヤケ酒を飲んで愚痴っていると通行人に殴られるなど散々な夜だった。
一人レストランで夕食を摂るチャオ。紙とペンを借りてウーの為にオヤジ代わりの文章を書いてみる。父親らしい愛情と希望を捨てるなという力強いメッセージ。しかし、その言葉はウーの耳に届くことはなかった・・・。
▲(解除)
2回目の鑑賞では尻切れトンボのラストはそれ程気にならなくなりました。でもやっぱり、気になる。せめて、チャオの事ぐらいは・・・。
掃き溜めに鶴と言った風情のウー役のドン・ジェ。あるブログによると、継母と対照的にするためでしょうか、今回の役作りのために減量したらしいです。この後も着実に映画出演は続いているようで、次回鑑賞予定の「山の郵便配達(1999)」のリィウ・イエと共演の「天上の恋人(2002)」でも耳の聞こえない少女の役とのことでした。
眼の見えない少女が主人公ですが、決してお涙頂戴ではないのでお薦めです。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】
イーモウ先生にはまいりました。
一応DVDに落としましたのでネ。