(1988/黒木和雄 監督・共同脚本/桃井かおり、南果歩、佐野史郎、仙道敦子、黒田アーサー、馬渕晴子、長門裕之、水島かおり、岡野進一郎、田中邦衛、絵沢萠子、なべおさみ、入江若葉、横山道代、荒木道子、賀原夏子、楠トシエ、原田芳雄、二木てるみ、伊佐山ひろ子、殿山泰司/105分)
“人間は父や母のように
霧のごとくに消されてしまってよいのだろうか”
映画の冒頭に映し出される、被災者の言葉が効いている。
1945年8月9日、午前11時02分。8月6日の広島に続いて、この日長崎にも原子爆弾が落とされた。
<当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。>(ウィキペディアより)
戦争というのは通常は軍隊対軍隊、兵隊対兵隊の闘いであり、劇場型戦争といわれた20世紀末の湾岸戦争においても、ジャーナリズムは軍事施設以外へのミサイル攻撃を糾弾した。広島、長崎の原爆の被災者の大半は民間人である。戦時中という意識はあったにしても、彼らの生活は生の継続を前提としたものであった。子供は大人達の庇護の中で遊びを覚え、人生を学ぶ。若い男女は互いを想い、年頃になれば結婚をする。所帯を持った者はやがて新しい生命を生み出し、新たな世代の造り手となる。親は子を思い、無償の愛情を捧げ、明日への希望を口にする。
映画「TOMORROW 明日」は、井上光晴の小説『明日 一九四五年八月八日・長崎』(1982)が原作。長崎に原爆が落とされるその前日から9日の11時02分まで、8日に行われる一組の男女の結婚式を中心にして、当事者やその家族、友人など、いわゆる軍人ではない普通の人々の生活を描いたものだ。B29の来襲は予想できても、あんな化け物のような爆弾が落とされるなどとは露ほども思わなかった彼らの生活が、それぞれの事情を踏まえながら木目細かく描かれる。
新婦ヤエ(南)は三浦家の次女で、大学病院で看護婦をしている。
新郎中川庄治(佐野)は、製鋼所の模範工員。親はすでに鬼籍に入っていて、新郎側の参列者は小学校時代からの友人石原(黒田)と、以前母親のつれ合いとなっていた銅打(田中)とその現在の妻(絵沢)。銅打とは何年も会っていなかったが、偶然にも祝言が決まった後に街で再会し、今回の出席となった。かつては一流レストランのコック長をしていた銅打だが、今は市内で写真館を経営している。
臨月で予定日まで1週間となっている三浦家の長女ツル子(桃井)は重い身体をおして妹のために出席する。新郎の中川とは同級生であり、夫は外地に行っていた。
身内を中心とした式は三浦家で慎ましく執り行われ、新婦側にはツル子以外に父親(長門)、母親(馬淵)、三女昭子(仙道)、末っ子の長男が出席。長崎電鉄の運転士をしている叔父水本(なべ)も、嫁(入江)と共に参列した。
結婚式の途中でツル子が産気づき、警報も流れてきたこともあり、お祝いの席は早々に片づけられることになる。
ツル子の出産は翌日の明け方までかかり、ヤエと中川はぎこちない初夜を迎えた。
昼間、昭子に恋人英雄(岡野)から重大な報告があるとの手紙が届き、頼まれた写真を持って夜中にこっそりと抜け出す。“赤紙”の報告に初めは気丈にふるまう昭子だったが、やがて辛い別れの予感に若い二人は涙する。
ヤエの友人として出席した看護婦仲間の亜矢(水島)は妊娠三ヶ月。呉に行った男からは連絡がなく、男の母親(荒木)は亜矢にけんもほろろの態度しかとらなかった。
石原は捕虜収容所で働く軍属。病気で弱っているアメリカ人捕虜を助けようと奔走するも虚しい結果となり、娼館で一夜を過ごす。
劇中劇として、ヤエの同僚春子(森永)が亜矢と別れて一人で映画館で映画を観るシーンがあります。流れていたのは、小津安二郎の「父ありき」。
「キューバの恋人 (1969)」や「竜馬暗殺 (1974)」、「祭りの準備 (1975)」等で名前だけは知っていましたが、実はこれがお初の黒木監督作品でありまして、何気ない道端の草花や白い雲の浮かぶ青空、打ち寄せる波に夜空に光る赤い月、そんな空ショットの使い方はまさしく小津の流れをくむものとみました。ローアングルを使ってまで、各人物の内面にまで入り込んでいかなかったのは、小津作品が明日のある人々を描いたのに対し、この作品の人々には明日がないからでしょう。その距離感が悲しげなBGMと相俟って、愛おしくなってしまいます。各エピソードの構成も並べ方も感心しましたなぁ。
明らかな反戦映画でありながら、一つも戦闘を描かない「TOMORROW 明日」。原爆の被災国である日本でしか作れない、異色の視点の映画ではないでしょうか。
20年以上前に2年ほど長崎に暮らしたことがあるので、聞き覚えの(勿論、行ったことも)ある地名や、長崎弁が懐かしかったです。住んでなければ気付かなかったかも知れない微妙なイントネーションも当時を思い出させました。
“人間は父や母のように
霧のごとくに消されてしまってよいのだろうか”
映画の冒頭に映し出される、被災者の言葉が効いている。
1945年8月9日、午前11時02分。8月6日の広島に続いて、この日長崎にも原子爆弾が落とされた。
<当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼった。>(ウィキペディアより)
戦争というのは通常は軍隊対軍隊、兵隊対兵隊の闘いであり、劇場型戦争といわれた20世紀末の湾岸戦争においても、ジャーナリズムは軍事施設以外へのミサイル攻撃を糾弾した。広島、長崎の原爆の被災者の大半は民間人である。戦時中という意識はあったにしても、彼らの生活は生の継続を前提としたものであった。子供は大人達の庇護の中で遊びを覚え、人生を学ぶ。若い男女は互いを想い、年頃になれば結婚をする。所帯を持った者はやがて新しい生命を生み出し、新たな世代の造り手となる。親は子を思い、無償の愛情を捧げ、明日への希望を口にする。
映画「TOMORROW 明日」は、井上光晴の小説『明日 一九四五年八月八日・長崎』(1982)が原作。長崎に原爆が落とされるその前日から9日の11時02分まで、8日に行われる一組の男女の結婚式を中心にして、当事者やその家族、友人など、いわゆる軍人ではない普通の人々の生活を描いたものだ。B29の来襲は予想できても、あんな化け物のような爆弾が落とされるなどとは露ほども思わなかった彼らの生活が、それぞれの事情を踏まえながら木目細かく描かれる。
新婦ヤエ(南)は三浦家の次女で、大学病院で看護婦をしている。
新郎中川庄治(佐野)は、製鋼所の模範工員。親はすでに鬼籍に入っていて、新郎側の参列者は小学校時代からの友人石原(黒田)と、以前母親のつれ合いとなっていた銅打(田中)とその現在の妻(絵沢)。銅打とは何年も会っていなかったが、偶然にも祝言が決まった後に街で再会し、今回の出席となった。かつては一流レストランのコック長をしていた銅打だが、今は市内で写真館を経営している。
臨月で予定日まで1週間となっている三浦家の長女ツル子(桃井)は重い身体をおして妹のために出席する。新郎の中川とは同級生であり、夫は外地に行っていた。
身内を中心とした式は三浦家で慎ましく執り行われ、新婦側にはツル子以外に父親(長門)、母親(馬淵)、三女昭子(仙道)、末っ子の長男が出席。長崎電鉄の運転士をしている叔父水本(なべ)も、嫁(入江)と共に参列した。
結婚式の途中でツル子が産気づき、警報も流れてきたこともあり、お祝いの席は早々に片づけられることになる。
ツル子の出産は翌日の明け方までかかり、ヤエと中川はぎこちない初夜を迎えた。
昼間、昭子に恋人英雄(岡野)から重大な報告があるとの手紙が届き、頼まれた写真を持って夜中にこっそりと抜け出す。“赤紙”の報告に初めは気丈にふるまう昭子だったが、やがて辛い別れの予感に若い二人は涙する。
ヤエの友人として出席した看護婦仲間の亜矢(水島)は妊娠三ヶ月。呉に行った男からは連絡がなく、男の母親(荒木)は亜矢にけんもほろろの態度しかとらなかった。
石原は捕虜収容所で働く軍属。病気で弱っているアメリカ人捕虜を助けようと奔走するも虚しい結果となり、娼館で一夜を過ごす。
劇中劇として、ヤエの同僚春子(森永)が亜矢と別れて一人で映画館で映画を観るシーンがあります。流れていたのは、小津安二郎の「父ありき」。
「キューバの恋人 (1969)」や「竜馬暗殺 (1974)」、「祭りの準備 (1975)」等で名前だけは知っていましたが、実はこれがお初の黒木監督作品でありまして、何気ない道端の草花や白い雲の浮かぶ青空、打ち寄せる波に夜空に光る赤い月、そんな空ショットの使い方はまさしく小津の流れをくむものとみました。ローアングルを使ってまで、各人物の内面にまで入り込んでいかなかったのは、小津作品が明日のある人々を描いたのに対し、この作品の人々には明日がないからでしょう。その距離感が悲しげなBGMと相俟って、愛おしくなってしまいます。各エピソードの構成も並べ方も感心しましたなぁ。
明らかな反戦映画でありながら、一つも戦闘を描かない「TOMORROW 明日」。原爆の被災国である日本でしか作れない、異色の視点の映画ではないでしょうか。
20年以上前に2年ほど長崎に暮らしたことがあるので、聞き覚えの(勿論、行ったことも)ある地名や、長崎弁が懐かしかったです。住んでなければ気付かなかったかも知れない微妙なイントネーションも当時を思い出させました。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】
「TOMORROW 明日」の原作小説は1982年。
リメイクというのは、どうなんでしょ?
同じように原爆を扱った作品として、覚えておきます。
はい、きっちりリストイン致しました。
南果歩は昔から好きな女優ですが、今作での沐浴シーンで惚れ直しました。健め
「紙屋悦子の青春」
「父と暮らせば」
いずれもドンパチの無い
反戦映画でした。
感動しました。
お時間があればぜひどうぞ。
在籍の頃、札幌映画サークルではやたら
「美しい夏キリシマ」を推奨してましたが。