(2013/山崎貴:監督・共同脚本/岡田准一、井上真央、三浦春馬、吹石一恵、風吹ジュン、夏八木勲、濱田岳、橋爪功、新井浩文、田中泯、染谷将太、三浦貴大、上田竜也、山本學、平幹二朗、斉藤とも子、平岳大、駿河太郎、鈴木ちなみ/144分)
去年か一昨年だったか息子が友達と映画館で観て感激して帰ってきた作品で、この正月休みに帰省した時も、もう一度観ようと(或いは僕等に見せようとして)レンタルしてきたが、結局奴は観らずに名古屋に帰って行った。5日だったか娘が夜中に独りで観ていて、僕がトイレに起きてきたらキッチンで鉢合わせ、『後半号泣やった』と赤い目をしていた。映画関係のブログではそれ程好評でもないので期待は無かったが、返却日に時間が出来たので観ることにした。
冒頭、敵艦の機銃掃射を海上すれすれの低空飛行で避けている零戦のショットが数秒続いた後、時代は太平洋戦争から現代に移る。
弁護士資格を望みながらもう4回も司法試験に落ち続けている佐伯健太郎(三浦)の祖母の葬儀のシーンが物語の幕開けだ。
喪主は夏八木勲扮する賢一郎で、直会(なおらい)の席で孫である健太郎は姉の慶子(吹石)、母の清子(風吹)から、お祖父ちゃんの賢一郎とは血縁関係がなく若くして戦死した実の祖父が別に居たことを聞かされる。
実の祖父の名は宮部久蔵(岡田)。
祖母松乃(井上)との結婚生活は4年足らず、26歳の若さで南太平洋で特攻隊員として亡くなっていた。
母の清子も久蔵について松乃から聞いた事が無く実の祖父について無知であった。清子に頼まれたこともあり、ルポライターを目指している慶子は健太郎にもバイト代を出すからと言って宮部久蔵の人生について調べることにした。ネットで戦友会のサイトをたよりに祖父を知っていそうな人物に手紙を書いたのだ。
最初に訪れた長谷川(平幹二朗)には、宮部は命を惜しんでばかりの男だったと言われた。片腕を戦争で無くしていた長谷川は祖父を憎んでもいたようである。その後に面会した人々からも祖父について良い話は聞かなかった。臆病者で、敵との戦いを避けてばかりいたなどとも言われた。
健太郎がこの調査にうんざりしてきた頃、見るからに世間の裏街道を歩んできたような男に会うことになった。男は景浦(田中)といった。健太郎は又しても祖父を罵倒されるかと思ったが、景浦は『(宮部を)臆病者という奴とは話をしない』と追い返された。
次に会ったのは末期がんで入院中の井崎(橋爪)だった。井崎には宮部さんは凄腕のパイロットだったと言われた。井崎は宮部の部下であり、身近に接していた男だった。宮部さんは飛行機乗りとしても戦闘員としても優秀だったが、その言動には違和感があったとも言った。
軍人は祖国の為に死ぬ事が立派だとされた時代に、宮部は生きて帰ることを願っていたからだ。それは周りの兵隊達にも感ぜられ、井崎は宮部と親しく接しないようにと忠告された。
やがて井崎は宮部が妻と生まれたばかりの娘の為に生きる事を優先している事を知る。宮部は戦闘訓練だけではなく、自身の身体の鍛錬も怠りなくやる男だった。しかも宮部は自己保身だけの男ではなかった。死ぬ事が惜しくないという井崎に、お前が死んで悲しむ人間がいるんじゃないのか、その人の為に生き抜く事を考えろと叱る上官だった。その姿勢はその後もずっと変わらなかった。
戦後の日本の為に我々は生き残るべきなんだ、そう宮部は言うのである・・・。

この映画の面白さの最大の要因は原作に由来するプロットの巧さでしょうな。つまり岡田扮する飛行機乗りを過去の話として、現代の彼の孫である三浦春馬がお爺ちゃんの過去を調べるという二重構造になっており、過去の調査が謎解きになっている事。
生きて家族の元に帰る事を念願していた宮部久蔵が、何故特攻隊員として散っていったのか?
謎解きは本でも映画でもサスペンスを生みますからな。
それと真珠湾攻撃などの特撮シーン(VFXというらしい)の違和感のない迫力は、かつてミニチュアを使った特撮を見せられたオジサンには大満足でした。戦闘機モノの漫画に夢中になった世代にはあの空中戦も大満足であります。
500万部に迫る大ベストセラーの百田尚樹の原作は読んでいませんが、多分映画と同じく登場人物に目新しい人物像は出てこないのではないでしょうか。
どれもどこかで見たことのある人物ばかりだし切り取り方も型通り。それでも2時間半近くを特段の緩みなく見せたのは先にも書いたように巧妙なプロットを生かしたスピーディーな語り口ゆえでしょう。
それにしても弁護士を目指しながら何度も司法試験を落ちているという三浦春馬扮する孫の存在感が薄いなぁ。とても重要な人間なのに演技力なのか雰囲気なのか分からんけれど、軽すぎる。
お勧め度は★二つ半。おまけして★三つにしときましょ。
▼(ネタバレ注意)
1回目の鑑賞の途中で、あれっ実のお祖父ちゃんの事を調べるならまず今のお祖父ちゃんに聞くのが先決でしょうと思っていたら、もう一度最初の方を見直すとちゃんと聞きに行ってましたな、実のお祖父ちゃんについて調べていいかと。賢一郎祖父ちゃんは宮部さんの事を調べるのは孫達にとっても良いことだと許しますが、自分が知っている過去の真実の告白はしませんでした。
賢一郎の知らない宮部像もあるかも知れないし、他人から聞くのもイイと判断したのかもしれません。なにせ、慶子は半分は仕事として着手していたのですから。
それと序盤のシーンを見直していたら葬儀場の案内に「大石松乃」と書かれていました。小説を読んだ人には当たり前ですが、未読の人にはネタバレでしたね。
ユーモアは皆無のこの映画で、唯一笑っちゃった所がありました。田中民扮するやくざの親分が再登場するエピソードで、別れ際に三浦君をハグして「俺は若い男が好きなんだ」と言う所です。あれって単純に人間として言っているのか、カミングアウトしているのか?僕は後者に感じちゃったんですよね。なんか変な感じ。
▲(解除)
ウィキを読んでいたら、否定的評価の段で<作家の石田衣良は、山田宗樹著『百年法』などと共に愛国心を強める作品として「右傾エンタメ」という造語を用いて批判し、「かわいそうというセンチメントだけで読まれている」「読者の心のあり方がゆったりと右傾化しているのでは」と主張した>と書かれていた。
僕らの子供の頃には「コンバット」とかの戦争ものが毎週のように放送されていましたが、誰も右傾化なんて言わなかったと思うけどなぁ。むしろ当時の小学校の担任からは、「コンバット」は観た方がいいとまで言われてた。先生はハードなヒューマニズムを評価していたんだと思うけど。
そして戦争を体験していない井筒和幸は<自身のラジオ番組で「見たことを記憶から消したくなる映画」と述べ、主人公の人物像についても「そんなわけない」と主張した。ストーリーや登場人物が実在しないのに、有り得ない内容で特攻隊を美化していると非難している>らしい。
同じウィキの肯定的評価の段では、元零戦搭乗員や特攻隊を拒否した戦争経験者が「宮部のような人物が確かにいた」と話しているのだが。
去年か一昨年だったか息子が友達と映画館で観て感激して帰ってきた作品で、この正月休みに帰省した時も、もう一度観ようと(或いは僕等に見せようとして)レンタルしてきたが、結局奴は観らずに名古屋に帰って行った。5日だったか娘が夜中に独りで観ていて、僕がトイレに起きてきたらキッチンで鉢合わせ、『後半号泣やった』と赤い目をしていた。映画関係のブログではそれ程好評でもないので期待は無かったが、返却日に時間が出来たので観ることにした。
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弁護士資格を望みながらもう4回も司法試験に落ち続けている佐伯健太郎(三浦)の祖母の葬儀のシーンが物語の幕開けだ。
喪主は夏八木勲扮する賢一郎で、直会(なおらい)の席で孫である健太郎は姉の慶子(吹石)、母の清子(風吹)から、お祖父ちゃんの賢一郎とは血縁関係がなく若くして戦死した実の祖父が別に居たことを聞かされる。
実の祖父の名は宮部久蔵(岡田)。
祖母松乃(井上)との結婚生活は4年足らず、26歳の若さで南太平洋で特攻隊員として亡くなっていた。
母の清子も久蔵について松乃から聞いた事が無く実の祖父について無知であった。清子に頼まれたこともあり、ルポライターを目指している慶子は健太郎にもバイト代を出すからと言って宮部久蔵の人生について調べることにした。ネットで戦友会のサイトをたよりに祖父を知っていそうな人物に手紙を書いたのだ。
最初に訪れた長谷川(平幹二朗)には、宮部は命を惜しんでばかりの男だったと言われた。片腕を戦争で無くしていた長谷川は祖父を憎んでもいたようである。その後に面会した人々からも祖父について良い話は聞かなかった。臆病者で、敵との戦いを避けてばかりいたなどとも言われた。
健太郎がこの調査にうんざりしてきた頃、見るからに世間の裏街道を歩んできたような男に会うことになった。男は景浦(田中)といった。健太郎は又しても祖父を罵倒されるかと思ったが、景浦は『(宮部を)臆病者という奴とは話をしない』と追い返された。
次に会ったのは末期がんで入院中の井崎(橋爪)だった。井崎には宮部さんは凄腕のパイロットだったと言われた。井崎は宮部の部下であり、身近に接していた男だった。宮部さんは飛行機乗りとしても戦闘員としても優秀だったが、その言動には違和感があったとも言った。
軍人は祖国の為に死ぬ事が立派だとされた時代に、宮部は生きて帰ることを願っていたからだ。それは周りの兵隊達にも感ぜられ、井崎は宮部と親しく接しないようにと忠告された。
やがて井崎は宮部が妻と生まれたばかりの娘の為に生きる事を優先している事を知る。宮部は戦闘訓練だけではなく、自身の身体の鍛錬も怠りなくやる男だった。しかも宮部は自己保身だけの男ではなかった。死ぬ事が惜しくないという井崎に、お前が死んで悲しむ人間がいるんじゃないのか、その人の為に生き抜く事を考えろと叱る上官だった。その姿勢はその後もずっと変わらなかった。
戦後の日本の為に我々は生き残るべきなんだ、そう宮部は言うのである・・・。

この映画の面白さの最大の要因は原作に由来するプロットの巧さでしょうな。つまり岡田扮する飛行機乗りを過去の話として、現代の彼の孫である三浦春馬がお爺ちゃんの過去を調べるという二重構造になっており、過去の調査が謎解きになっている事。
生きて家族の元に帰る事を念願していた宮部久蔵が、何故特攻隊員として散っていったのか?
謎解きは本でも映画でもサスペンスを生みますからな。
それと真珠湾攻撃などの特撮シーン(VFXというらしい)の違和感のない迫力は、かつてミニチュアを使った特撮を見せられたオジサンには大満足でした。戦闘機モノの漫画に夢中になった世代にはあの空中戦も大満足であります。
500万部に迫る大ベストセラーの百田尚樹の原作は読んでいませんが、多分映画と同じく登場人物に目新しい人物像は出てこないのではないでしょうか。
どれもどこかで見たことのある人物ばかりだし切り取り方も型通り。それでも2時間半近くを特段の緩みなく見せたのは先にも書いたように巧妙なプロットを生かしたスピーディーな語り口ゆえでしょう。
それにしても弁護士を目指しながら何度も司法試験を落ちているという三浦春馬扮する孫の存在感が薄いなぁ。とても重要な人間なのに演技力なのか雰囲気なのか分からんけれど、軽すぎる。
お勧め度は★二つ半。おまけして★三つにしときましょ。
▼(ネタバレ注意)
1回目の鑑賞の途中で、あれっ実のお祖父ちゃんの事を調べるならまず今のお祖父ちゃんに聞くのが先決でしょうと思っていたら、もう一度最初の方を見直すとちゃんと聞きに行ってましたな、実のお祖父ちゃんについて調べていいかと。賢一郎祖父ちゃんは宮部さんの事を調べるのは孫達にとっても良いことだと許しますが、自分が知っている過去の真実の告白はしませんでした。
賢一郎の知らない宮部像もあるかも知れないし、他人から聞くのもイイと判断したのかもしれません。なにせ、慶子は半分は仕事として着手していたのですから。
それと序盤のシーンを見直していたら葬儀場の案内に「大石松乃」と書かれていました。小説を読んだ人には当たり前ですが、未読の人にはネタバレでしたね。
ユーモアは皆無のこの映画で、唯一笑っちゃった所がありました。田中民扮するやくざの親分が再登場するエピソードで、別れ際に三浦君をハグして「俺は若い男が好きなんだ」と言う所です。あれって単純に人間として言っているのか、カミングアウトしているのか?僕は後者に感じちゃったんですよね。なんか変な感じ。
▲(解除)
ウィキを読んでいたら、否定的評価の段で<作家の石田衣良は、山田宗樹著『百年法』などと共に愛国心を強める作品として「右傾エンタメ」という造語を用いて批判し、「かわいそうというセンチメントだけで読まれている」「読者の心のあり方がゆったりと右傾化しているのでは」と主張した>と書かれていた。
僕らの子供の頃には「コンバット」とかの戦争ものが毎週のように放送されていましたが、誰も右傾化なんて言わなかったと思うけどなぁ。むしろ当時の小学校の担任からは、「コンバット」は観た方がいいとまで言われてた。先生はハードなヒューマニズムを評価していたんだと思うけど。
そして戦争を体験していない井筒和幸は<自身のラジオ番組で「見たことを記憶から消したくなる映画」と述べ、主人公の人物像についても「そんなわけない」と主張した。ストーリーや登場人物が実在しないのに、有り得ない内容で特攻隊を美化していると非難している>らしい。
同じウィキの肯定的評価の段では、元零戦搭乗員や特攻隊を拒否した戦争経験者が「宮部のような人物が確かにいた」と話しているのだが。
・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 

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