イタリア文化会館 ラウラ・リヴェラーニ写真展 アイヌの現在
2017年03月03日~03月18日
(HPより)アイヌの人々は日本列島北部周辺に居住し、厳しい自然環境のもとで独自の文化を育んできました。その起源についてはまだ明らかにされていない点がありますが、熊送りの儀式や女性が口の周りに刺青を入れるといった習慣などがよく知られています。
本展では、写真家リヴェラーニが今を生きるアイヌの人たちや、彼らが暮らす土地の風景などを撮った作品44点を展示します。
リヴェラーニは、写真を通して現代社会におけるアイデンティティの意味を問い、また、コミュニティの帰属の意味をアイヌ文化の継承、アイヌ語の保存、権利の回復において探っています。
展覧会会場には、クリエイター集団Lunch Bee House(L.リヴェラーニ、空音央、V.ドルステインドッティル)が制作した映像も映します
ラウラ・リヴェラーニ Laura Liverani
写真家。ボローニャ大学で視覚芸術を学び卒業した後、イギリスのウエストミンスター大学写真科の専門課程を修める。イタリアのほかアジア諸国で生活し、写真家として活動してきた。作品は各地で展示され、またシンガポール国際写真フェスティバル(2014)やローディの写真フェスティバル(2016)などにも参加。ベネトンのClothes for Humansなど、さまざまな雑誌に作品が掲載されている。ISIA(イタリア・ファエンツァ)、ナショナル・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(ダブリン)、ミドルセックス大学(ロンドン)などで写真を教える。2015年、長期にわたっててがけているプロジェクト「アイヌ・ネノアン・アイヌ」がヴォリーノ賞を受賞。
イタリア文化会館のエントランスホールで展示されていました。
イタリア人の写真家が撮ったアイヌの人たち。
こちらによると、リヴェラーニさんは黒い大きな瞳が印象的な女性。日本語も堪能で、一定の期間、北海道に腰を落ち着けていたよう。
2012年から4年間撮りためてきた。
始めは、東京のアイヌの人に会い、それから北海道の二風谷、そして阿寒湖のコタンにも通ったそう。東京のアイヌの人に会ったのがたまたまなのか、訪ねていったのかは、解説にはなかった。アイヌのひとや歴史のことは外国でも知られていると思うので、それで来日したのかもしれない。先日もドイツへ持ち去られた遺骨の返還に関するニュースがあったばかり。
静かな写真の数々。
多くは人を撮っていた。日本人でないから、後ろめたさもなく向き合えているのかもしれません。
ほとんどの人は、まっすぐにこちらを見つめる。
声高に復権をさけぶわけでもない。ことさらに文化を強調した写真でもない。
撮影に関しては、リヴェラーニさんと写る人々は、「考えを共有してのぞんでおり、どのようにレンズの前に立つかは、そのひとに委ねられている」と。ここに写る、一人一人の形で。
最初の一枚は、「八王子に自作の服をきた活動家」。北海道だけのことではないのだ。
森の中で、自作のアイヌの伝統的な衣装を身に着けて座っている女性。
そしてポスターにも使われている写真は、君津の男性。
「アイヌのエカシ(長老)ー千葉県の山中に自身で作った伝統的住居チセでー」2012年の写真。
帰宅後検索してみると、北海道から出ていらして解体業を起こした方。自ら重機を動かし開墾して作られた「カムイミンタラ」という施設が君津にあった。http://www.2kamuymintara.com/(2015年に閉鎖)。
それから、北海道の二風谷。阿寒コタン、静内、白老。
アイヌのひと、そうじゃないけれどここに移り住んだり、関わったりしているひと。
伝統的な衣装の人もいれば、普段着や仕事着、制服のひとも。
「民族舞踊家の女性」は衣装を身に着けていた。
「アイヌ語の専門家の男性」は、確か釣りの帰りのような感じだった。
ある女性の写真の横のプレートには「自分が生まれるとき、落雷で火事になった。火事を招くということで集落から追い出されたが、父が受け入れの儀式を行って、取り戻した」と。
川に胸まで使って魚をとっている、高校生くらいの女の子。
別の女の子は、祖母の工房でアツシ織の布や糸に囲まれて、高校の制服姿で。祖母は、飼っていた犬や猫が死ぬと、埋葬せず、カラスへの食べ物とする。それで魂は神の国に行くのだという。けれど自分は納得していない、と。
宅配業も行う猟師の男性のさげるバッグは、鋭い爪もついた熊の手。ベルトを着けてとてもうまく作ってあった。
「漁師の若い男性」は、アイヌの伝統的な服で室内で。
役場のHPのアイヌ文化の紹介・職人紹介にも出ていらっしゃる、アツシ織作家の貝澤雪子さんの写真も。熊送りの儀式イヨマンテについて語っていた。熊送りの儀式は、熊の魂を送るために矢を天に放つけれど、矢を放った人は矢とともに連れ去られる。偶然でしょうけれど、夫はその後亡くなった。それが二風谷で行われた最後のイヨマンテになったと。(展覧会の写真に写っておられた織物や木彫りの作家さんたちは、このHPで作品とともに紹介されている)
「チセを作るための萱を取るためにカマをもつ二人の女性」は、たくましくもほほえましかった。
二風谷に移住してきたひとたちも。
「沖縄出身で長く二風谷に暮らす女性」、「原発事故のあとで、東京から移り住み伝統的な暮らしをする男性」。
白人の活動家の男性は、すこし微笑んでいたかな。
まじめな顔で「ビラトリレンジャー」に扮した平取町の公務員の男性には、フフッと。
民芸店のご夫婦と娘さんは、お店の前で写っておられた。娘さんは大きいおなかに手をそっとあてて、少し微笑んでいた。赤ちゃんのお誕生を待つご夫婦の眼も優しかった。この方たちもイヨマンテについて語っていた。イヨマンテは最後は熊を食べるのだけれど、自分たちは食べることができなかった。飼っていたポンタだったので。ポンタは今は博物館に・・。イヨマンテは不幸をもたらすので、いまはもう行っていない、と。
静内では、「アイヌの酋長シャクシャインを記念して行われる行事」の日。
お祭りの衣装だと思うけれど、少し離れてこちらをいる女性の姿に、どきり。過去と現在が混じったようで。一気に当時の北海道の想像がふくらむ。
ふたりの男性は、立派な衣装を羽織り、刀を下げる。シャクシャインや武将役なんだろうか。
改めて、いろいろな経緯のひとが、タイトルでもある「アイヌの現在」と「この地域」を構成しているのだと思う。
それ以上のことを、リヴェラーニさんは言わないけれど、これらの人々を風景のようにとっているわけではない。一方的に撮っているわけでもない。
きちんと話し、意志をもって写ってもらう。この写真の皆さんは、きっと自分の考えで衣装を選び、場所を選び、思いを瞳に込めて、あるものは無心に素の自分で、リヴェラーニさんのレンズの前に立ったんでしょう。
「アイヌの現在」にどのようにかかわっているかはそのひとその人で異なり、そのひとそのひとの写真に率直に織り込まれている。
写っている人たちからリヴェラーニさんに向けた言葉を聞きたかったけれど、言葉として特に展示にはなかった。でも写ったその姿が、リヴェラーニさんへの言葉なのでしょう。もしかしたら撮られることを断った人たちもいるでしょうし。
リヴェラーニさんは、「現代社会におけるアイデンティティの意味を問い、また、コミュニティの帰属の意味をアイヌ文化の継承、アイヌ語の保存、権利の回復において探っています」と。アイヌのコミュニティに4年をかけて通う中で、これまでのところ、それにどう答えをだしているのだろう。
「アイヌ文化の継承、アイヌ語の保存、権利の回復」を、アイヌのひとだけではなく日本人全体としても看過してはならないのに、現代では、日本全体がそもそもアイデンティティが錯綜し、浮遊しているのじゃないか。その人その人に委ねられる部分が増大していく現代で、様々なひとをも受け入れる二風谷はじめいくつかの地域は、コミュニティとしてもひとつの姿なのではとも思った。
リヴェラーニさんは、日本の社会全体の姿の断片としても、北海道のこれらの地域を撮っているのでしょう。
少しだけあった風景の写真も心に迫ってくるものでした。
閉館した民宿「二風谷荘」の写真も。誰もいなくて寂しそうな中にも、つい先日まで営業していたかのような気配が、確かに残っていました。
*この展覧会の写真の何人かの方は、平取町役場のサイトや、二風谷の資料館のサイトで紹介されています。
*リヴェラーニさんは、こちらのtwitterでも展覧会の情報があるかもしれません。https://twitter.com/lauraliverani
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