三の丸尚蔵館「寿ぎの品々を読み解く」
後期2017.2.11~3.12
川村清雄と野口幽谷を観たくて、後期に皇居へ。
皇室の慶事に献上された品々は、作家が丁寧に製作した逸品ぞろい。4つの章で構成された、祝いの気持ちと平和に満ちた室内だった。
≪慶祝と蓬莱図≫の章
蓬莱山は個人的に好きな画題。海と山がいっぺんにもりこまれるスケール感と、鶴やら亀やらかわいいですから。
「蓬莱山図」横山大観・下村観山 明治33年 若いふたりの合作。
28歳の観山は「巌に日の出図」。岸壁の合間に上る日の出。淡くやわらかな情景。海と空の境も溶け合っていた。
大観は33歳。「月の出図」。いつもは観山のほうが好きだけれど、この大観いい。ぽっかりとマッコウクジラの背中みたいな黒い丘。むこうに薄く霞んだ山が蓬莱山。砂浜に鶴が数羽、そこへ飛んで着た仲間の鶴。月は認識できないけれど茜色の淡い空。寄せる波も静かで、控えめな情感だった。
それから約30年後、大観の「蓬莱山図」 昭和3年
おにぎりみたいな山並みが群青に縁どられている。群青中毒のころの速水御舟を思い出した。御舟の「京の舞妓」に激怒した大観だけれど、心の深層に青が刷り込まれてしまったのかな。
それにしても、パーツが小さくかわいい。小さな鶴、足の短い鹿、桂林みたいな遠くの山並み。ムーミンの「にょろにょろ」みたいに動いていそうな松の木たち。赤丸みたいな太陽も小さくアクセント。画像では見えないけれど、打ち寄せる白波は、きんとうんみたいな形でほほえましい。昔話の世界に遊べるような蓬莱山だった。
≪不老長寿の願い≫の章 では、橋本雅邦「寿老人鶴亀図」明治33年。
寿老人の顔色の悪さだけがナゾだったけれど、亀の幅、鶴の幅、それぞれいい情感。蓑ガメにのる子ガメ。岩の上にもう一匹。三匹の視線がおりなす先がきちんと見えた。鶴は、松の若木の間からそっとたたずむ。緑が淡く爽やかな色できれいだった。
≪神の使い≫の章 では、鶏、鹿、猿と。
川村清雄「鶏の図」大正~昭和初期
思ったよりも小さな絵。30センチくらい。即興のような荒い筆致。
故高松宮妃喜久子さまがご成婚の時に、徳川家から持参したものとか。喜久子さまは、徳川慶喜の孫。清雄は幕臣の家の出、勝海舟にも近く、清雄の絵は旧幕臣に愛されたそうなので、つながりもあったのでしょうか。
それにしてもこの鶏、オルセー美術館蔵の「建国」を思い出す。
「建国」の鶏は、天岩戸伝説をモチーフに、フランスに贈られることを念頭に描かれたもの。創成期を思わせる玉や宝物。菊も高貴さを添えて。
一方、今回の「鶏の図」のほうは、古びた臼と鍬、藁。山村の農家の庭先のよう。建国の在野バージョンかな?
でもどちらもすがすがしい光に満ちている。鶏は、描かれていないけれど左の方から上る陽の光を満面に浴びている。
古びた臼がいい味なのだけれど、解説によると、故事の「諫鼓鶏」の見立てとか。伝説の聖天子堯、舜、禹が、宮殿の門に太鼓を置き、施政にもの申したき者はこの太鼓を打って知らせよと。でも善政ゆえに、太鼓を鳴らす者もなく、いつしか太鼓は鶏の遊び場になってしまった。つまり善政の象徴ということ。
確かに、この鶏は平和を満喫しているような晴れ晴れしさ。なんだか観るほどに愛すべき絵に思え、愛着がわきそう。
森寛斎「古柏猿鹿之図」明治13年 二帖くらいありそうな大きな掛け軸に、びっしりと木と動物。
さすが森派、動物たちが生き生き。毛並みもリアル。
歯を見せて笑っている親鹿。猿も鹿も仲良く共存。鹿は「禄」と読みが重なり、富や財産の表現となる。
≪社頭図とめでたき景観≫の章 は伊勢神宮ゆかりの品々。
伊勢という地域に花開いていた芸術の厚さを知り、驚き。(解説では「神宮」とさらっと使われているので、最初は明治神宮のことかなと思っていたら(恥)、伊勢神宮の正式名称が、The「神宮」なのでした。)
そして、初めて知る「中村左洲」という画家の不思議な魅力。四条派の写実と伝統の合間に見え隠れする、彼の感性。ナニカあるげな気配。神気。
↓は、前期展示の「天壌無窮」中村左洲 大正14年
後期では二点。
「神宮四季景色」 磯部百舟・川口呉舟・中村左洲 3巻 大正13年1924年 は、昭和天皇のご成婚に、宇治山田より献上されたもの。
左洲は「神宮の御塩」を担当。砂浜の塩田を、翁がほうきではいている。松林が踊るよう。そこから静かに放たれるものが、ほとんど抽象のような域。海の青がとてもきれいで、金砂子が撒いてあった。
「神宮の図」中村左洲・川口呉舟 対幅 昭和3年 では、呉舟は雪景色、左洲は緑萌えたつ季節の伊勢を描いていた。
左洲の木々の葉は、丸くデザイン化された葉が円満なこころもち。そこへ細かく線が入れられ、抽象的な面白さ。遠景に霞む木々は、人が立っているような不思議な気配で、どきっ。
彼の感性なのか、広大な神域である伊勢の気なのか。一見伝統的で静かな絵なのだけれど、端々に海や山の自然から、また神域にめぐる気から、左洲が取り込んでいたものがじんわり伝わってくる。
中村左洲(1873~1956)は、 伊勢では 「鯛の左洲さん」 として親しまれているのだとか。 確かに左洲の鯛の絵、すごい!二見町の漁師さんという経歴も珍しい。10歳で父を亡くし、漁業のかたわら、四条派の磯部百鱗に学ぶ。文展にも出品しながらも、生涯二見町で暮らしたそう。
また、先日山種美術館と松岡美術館で見て以来はまっている伊藤小坡と、同門であったことにもびっくり(山種美術館の日記、松岡美術館の日記)。二人の師の磯部百鱗は、伊勢神宮の御師の家の生まれ。伊藤小坡は伊勢の猿田彦神社の宮司の家の娘。磯部百鱗の画塾は、地元の人に幅広く門を開いていたんでしょうか。しかも弟子たちは確かな画力の中にも、それぞれににじみでる個性が魅力的。
伊勢という地域の芸術性の高さは、とても興味深い。東京、京都だけじゃない、長崎の南嶺派、一昨年千葉市美術館で開催された大阪絵画、秋田蘭画などと同じように、地理的要件、自然、歴史、ある人物の存在などが合わさって花開く、地方のアートのホットスポット。
伊勢では、皇室とつながりの深い伊勢神宮の存在と、伊勢志摩の独特な自然が、この地域の芸術をはぐくんだのでしょう。
「刺繍神宮之図屏風 大野隆平ほか 大正13年」もそんな品。
昭和天皇のご成婚の際に三重県知事から献上されたものとか。
油絵のタッチを再現した刺繍。中央の橋の下には五十鈴川が腰板の部分に流れているという趣向なのでしょう。洋と和の混合した屏風。油絵の荒い筆致まで感じ取れる刺繍の技術の高さにも驚いたけれど、その腰板部分の美しさにはびっくりMAX。
螺鈿の鯉は七色に光っていて、幻想的なほど。波は、金蒔絵で。飛び散る水しぶきは、なんとさすが伊勢志摩、真珠がちりばめられている!。河岸の草につく水滴も真珠。サプライズでもあり、しかもピュアな真珠のしずくの美しさに打たれました。
伊勢アートにすっかりひかれた今回の展示。二見町の賓日館という明治20年建築の元旅館の館内には、中村左洲の「大名行列屏風」があるよう。次にお伊勢まいりに行ったときには、おかげ横丁で食べ歩いていないで、伊藤小坡美術館、志摩、二見町に行かなくては。
この日の皇居のお庭にて
みつまた
ろうばい
ぼけ
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