はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●金沢「武家屋敷跡野村家」山口梅園・長谷川泉景

2017-05-14 | Art

先日、金沢の長町の武家屋敷が残る通りを散歩してきました。

金沢はほとんど初めてなので、戦災を免れた江戸時代の街並みにキョロキョロ。

水路の水も透明。

バスも通ってくるけれど、一本中に入ると道幅も3mちょっと。車のなかった時代の幅尺感。

長町は、中・下級武士が住んだエリアだとのこと。

 

「武家屋敷跡 加賀藩千二百石野村家」を見学。大人550円。ふらっと予備知識もなく入ってみたのだけど、これが見どころ満載だった。


読解力のなさでこの解説がいまいち咀嚼できないまま、中に入ると、錦鯉が泳ぐたいそう美しいお庭。

花鳥風月の襖絵や欄間に彩られた華やかな部屋。貴重な木材をふんだんに使った茶室。藩主をお迎えするための上段の間。

しかし疑問もわいてくる。武家屋敷っぽくない豪華さはなぜだろう??中・下級武士の家に藩主が遊びに来るかな??この建物はそもそもいつだれが建てたのじゃ?

冒頭の看板の解説でよくわからなかったので帰宅してから検索し、やっと建物の経緯が理解できたのだった。

・前田利家の代から仕えていた1200石の加賀藩士の野村家がここに1000坪を拝領し、11代にわたり明治初期まで住んでいた。

・明治維新後の武家制度の崩壊により、野村家も紆余曲折。塀や古木の一部を残して建物は解体され、土地は分割された。

・一方、金沢藩の支藩である大聖寺藩の橋立町に、北前船交易で財を成し、藩の財政にもかかわっていた6代目久保彦兵衛という豪商がいた。天保14年(1843年)、彦兵衛は橋立町に屋敷を建てた。その離れ部分は、お殿様を招くための御殿だった。

・昭和16年(1941年)、久保家はこの離れの御殿のみを、ここに移築した。その際に、(現在のチケット売り場になっている)事務所や茶室が増設された。(ちなみに、屋敷の母屋部分は、昭和16年に金沢の寺井町に移築、その後2000年に大聖寺に移築された。蘇梁館として現役利用されている) 

ということ。

ならば、「武家屋敷跡 野村家」というよりは、「北前船豪商 久保家」というほうが正確では。。。エリアが「長町武家屋敷跡」なので、観光上の制約でもあるのかな。

 


とにもかくにも、各部屋の襖絵に目が釘付け。

控えの間(だったと思う)の花鳥画。(保護ガラスにいろんな方が映り込んでしまいました)

葉の描き方には、大好きな渡辺崋山や山本梅逸の南画を思い出した。

鳥はなにやらキレがある。

 

開け放してある面は、写真が掲示してあった。

実物


梅や水仙の香りが漂ってきそう。


さらに、謁見の間に入って目をみはる。4面すべて白牡丹尽くし。

ぐるりと白牡丹にかこまれて寝てみたいけど、謁見の間と言うことは、この家の家人も寝たりしないのかな。

夢の世界のようなお部屋。牡丹だけ、それも白の牡丹一色の部屋というのは、国内に他にあるんだろうか。


なんて自由な絵師なんだろうと思う。それとも、北前船で蝦夷地まで交易を広げた船主の自由な気質が反映されているんだろうか。

解説には、大聖寺藩士の山口梅園によるものと。梅園は、心流剣士の名手であり、画は小原文英に学んだ、とか。

梅園の書も、剣士の気迫を思わせるげな達筆。

 

梅園はさらに京に赴き、浦上玉堂の息子の春琴に学んだとか。確かに似ている!

昨年、千葉市美術館の「浦上玉堂と春琴・秋琴、親子の芸術」展で、春琴(1779~1846)を知ったばかり。春琴は、京の売れっ子絵師で、華やかな花鳥画が展示してあった。梅園の生年月日は出ていなかったけれど、いつ頃に春琴のところで学んでいたのだろう。


さらに仏間の梅園の襖絵には、玉堂の描く山を思い出した。


 

玉堂ほどぶっとんでいないところは、春琴の描く山のほうに近いのかもしれない。

浦上春琴「四季山水図屏風」1821。(「浦上玉堂と春琴・秋琴、親子の芸術」展の画集からひろってみました)

 

山本梅逸も、春琴とは共同で襖絵を合作するなど交流があった。梅園も、春琴のところで梅逸と面識があっただろうか?

浦上春琴・山本梅逸・小田海僊「花鳥図合作」1834

 

梅園のことはこれ以上はわからなかったけれど、金沢や加賀の方に行けば、所蔵しているお宅やお寺がたくさんあるのかもしれない。もっと調査がなされるといいと思う。メジャーでは話題にならなくても、地方で活躍した魅力的な絵師がたくさんいるものだと嬉しくなる。


もう一人、こちらで知った絵師がいる。

お殿様をお迎えする「上段の間」の襖絵を手掛けた、佐々木泉景(1773~1848)。(上段の間は立ち入りはできませんでした。)

天井がドーム型。このお部屋の別格感が素人目にもわかる。

佐々木泉景は大聖寺生まれ。狩野派を学び、加賀藩の御用絵師となり、法眼の地位にまで登ったとか。(ウイキペディアこちら)。

上段の間は、華やかで奔放な謁見の間や控えの間と違い、格調高い感じ。

残念ながら絵は遠くてよく見えなかった(涙)

 

建物内の「鬼川文庫」には、泉景の掛け軸、「花鳥図」江戸時代後期

 

思いがけず、襖絵にはまりこんでしまったけど、お庭も素晴らしかった。(2009年のミシュランの観光地格付けで2つ星に選ばれ、かつてアメリカの「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」誌で日本庭園ランキングで3位に選ばれたそう。)

足元まで水を引き込んだ造りに安らぐ。

皆さんも座り込んで離れがたいご様子。

「上段の間」の障子は、中段が「ぎやまん」になっており、室内からも庭を眺められるようになっていました。

二階のお茶室へあがる階段わきの裏庭にも、さりげない花あしらい。

兼六園のような大名の雲の上のような庭園でなくとも、一戸建てのお庭サイズでこじんまりと愛らしいのが欧米人にも人気なのかも。


さりげなく欄間も見もの。

白牡丹の襖の上の欄間。勝手に「波に三日月図」と名付けてみる。

 

場所は忘れましたが、故事の「許由巣父」らしき欄間

東博で見た中村芳中の「許由巣父・蝦蟇仙人」(その日記)の素直な牛と違い、こちらの牛はご主人に対して反抗ぎみ。

 

対の欄間の二頭の象はどういう故事なのでしょう??

欄間のことは全くわかりませんが、立体感と迫力ある彫りがすごい。

 

個人的に一番のお気に入り欄間がこちら↓↓。

 

周辺のぶらぶら歩きも含め、楽しい時間だった。



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