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二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●セルバンテス文化センター「グァマン ポマ・デ・アヤラのグラフィックパネル展示会」へ。

2016-08-17 | Art
麹町のセルバンテス文化センターの、「グァマン ポマ・デ・アヤラのグラフィックパネル展示会」へ。
http://tokio.cervantes.es/FichasCultura/Ficha107786_67_25.htm
 
 16世紀のインカの民、グァマン・ポマ・デ・アヤラが、スペイン侵略下の混乱と激動の社会を記した書簡、「新しい記録と良き統治」から、絵と文を複製展示しています。(ウイキペディアではワマン・ポマと出ていますhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/ワマン・ポマ)

その時代に生きた、インカの民が描いたということににひかれて行ってみました。

 
グァマン・ポマについて簡単に。
ピサロがインカ帝国を征服した1532年ごろか少し後に生まれた。
彼の祖父、父は、植民地下でその土地を統治するスペイン人官吏の補佐をする立場にあった。
よってスペイン語もできたグァマン・ポマは、植民地政府の巡察使ともに、通訳及び記録係として全土を回った。
インカ皇族や教会関係者に仕えたことで、様々な知識や教養を吸収した。
しかし、彼の留守中に、父親から相続した土地をスペイン人に搾取されたこと(訴訟に持ち込むも、逆に偽証とされ、ムチ打ちの刑のうえ追放されてしまう)をきっかけに、インカの民の過酷な状況を知らせようと、スペイン国王フェリペ3世に書簡を書く。
 
その約1000ページにも及ぶ書簡「新しい記録と良き統治」のうち、約400ページは、彼自身が描いた挿絵。全土を回った彼が聞いたこと、見たこと。
 
この展覧会は、その膨大な挿絵の展示です。
 
解説もあまりありませんでしたが、内容は大きくふたつ、「インカの歴史と暮らしや文化」と、「スペイン侵略下での過酷な現実」。
一枚一枚すべてのシーンにストーリーがあるので、どこを載せていいのか選べませんが、とりあえず少しピックアップ。
 
父以降、カトリックの洗礼を受けたグァマン・ポマの挿絵は、アダムとイヴ、ノアの箱舟、ダビデ王、キリストの誕生など、天地創造の場面から始まっていました。
 
それから、古代アンデスからインカ帝国の歴史、インカの文化と暮らしへと続きます。
まだ衣服がなく、葉を身にまとっていた時代
 
 
歴代のインカ王。王妃も。左下の妃は、インカ帝国の初代王妃。美しく強く、妖術も使えたとか。
この写真はほんの一部ですが、王と同じくらいの枚数で、王妃も描いているのが印象的。
 
 
インカの12か月の祭祀
たとえば、(左から)8月はトウモロコシを植えるために畑を耕す ・9月は太陽神の妻である月の神を迎える祭り
 
 
刑罰。犯罪者は、ヘビ、虎、ハゲタカなどとともに監獄に入れられ・・。
 
諸国を回り、質問を受ける自画像
 
 
後半へ
このあたりから、インカ帝国の王と民の悲劇が、描かれていきます。
 
最後の王アタワルパの処刑
 
征服者スペイン人同士も、内輪揉め争いと殺戮を繰り返す
 
人の尊厳を踏みにじられ虐げられるインカの民。右下には非道なふるまいをするスペイン人マダム。
 
(左から)酒びたりのスペイン人地方官吏。卵が二個足りなかったという理由で罰せられる先住民
 
一方で、貧者を救う、憐み深く正義感ある聖職者
 
「哀れなインディオたちを脅かす獣」というタイトルの絵。ヘビ:役人、ジャガー:スペイン人地主、女ぎつね:宣教師、猫:公証人、大ネズミ:先住民の首長と注釈がついている。
 
 
続いて、彼が回った町や、スペイン人が築いた町をひとつひとつ、全体図に書き起こしています。
そして最後には、インカの信仰のある民のおだやかな暮らしを描いています。そうあるべきと言いたかったのかな。
 
本当に、よくこれだけ描いたもの。見た者でないと描けない、細かな事実の数々。インカの民がどのような辛苦にさいなまれていたのか、生活レベルから伝わってくる。
 
この書簡は、1616年にスペインに届けられたそうですが、フェリペ3世が目にしたかどうかはわからない。
すくなくとも、彼が願った、インカの民たちの苦難が改善につながったことはなさそうです。
ただ、アンデス史研究においては、大きな意味を持つことになりました。

とはいえ、歴史のことを書こうとすると途方に暮れてしまうので、ここでは絵のことだけを。
グァマン・ポマの絵には、非常に興味惹かれる点がいくつもあるのです。
 
まず、自画像や家族の絵も織り交ぜてあり、それがちょっと自画自賛なのがほほえましい。国王に訴えるのですから、自分は信頼のおける人物ですよアピールは必要でしょうけれども、わかりやすいのが好印象。
 
それにしても、数百年の時空を経た日本人の私にも妙に心になじんでしまうのはなぜなのだろう。
 
彼の絵はとても細かくて、しかも線描なので、何度も日本の絵巻物を思い出したからかもしれません。
先日見た伴大納言絵巻みたいに、小さな絵でも、人の顔の喜怒哀楽まで現わしている、さらに、暮らしや行事、衣服、建物と膨大な情報量は、江戸名所図や洛中洛外図屏風越えのスケールじゃないかしらと。
 
また、いくつか気になるポイントがありました。
 
鳥獣戯画や浮世絵が日本の漫画のルーツっていうけれど、彼の絵も、漫画の描き方みたいな点があります。
窓から鳥が飛び込んできた「しゅっ」みたいな効果線とか。
 
 
そして、線で描きこまれた雨の表現。
 
歌川広重の東海道五十三次「白雨」もそうですけれど、浮世絵は雨や風を線で可視化する。そうした表現はあまり西洋には見られないと聞きますが、グァマン・ポマの雨も、波線で途切れてはいるけど線がびっちり。彼の感性なのかな?それともアンデスの人の根底に根差す感覚なのかな?
 
さらには、雲。渦巻いた雲が、墨の龍虎図なんかの背景の黒雲に似ているような。
 
(横山大観)
 
そう思えてくると、アンデスの険しい山並みの描写も室町水墨画のように見えてきたリ。両端が高い山でまんなかは平たい構図の定番の屏風みたいな)。
 
 
山の切り立ち方も既視感ある。。(雪舟)
 
 
同じモンゴロイド、山がちの風土、地震の多い地域。通じる感覚があるのかもしれない。
 
 
もうひとつ、自分的最大の興味が「太陽と月」。
彼の絵には、よく太陽と月を一緒に背景に描きこんであるのだけど、日本の「日月山水図屏風」を即座に連想する。
(インカの11月の行事、ミイラを美しく飾り、死者を祭る)
 
太陽神と月の神はインカの信仰の対象であったそうですが、日月山水図は天照大神でもないだろうけれど、巡りの感覚、親しみとともに抱く畏敬の念は近いかもしれない。
 
それはさておき、このメラメラした太陽の形も興味深いところ。今でこそインカといえばこれ、みたいに絵やお土産物でよく見るモチーフだけど、この太陽の形はどこから来たのかな?
彼が描く以前の太陽と月のモチーフのオリジナルが見てみたいけれど、ネット画像では、遺跡やアンデス出土品や古物などでは見つけることができず。http://www.discover-peru.org/category/history/history-inca-culture-civilization/
立場上、キリスト教の宗教画を観る機会もあったと思うのでいくつかの絵にも宗教画の影響は受けているようだけれど、この時期以前に月と太陽がこんなふうに描かれた宗教画があるのか、まったく詳しくない。
 
彼の絵がすべての始まりってこともないと思うのだけれど、
インカの感覚、当時のスペイン人の持ち込んだ絵画の感覚、彼のオリジナルな感覚。彼の中のどのへんがそうなのか、興味のあるところ。
 
知らないことだらけの羅列のような日記になってしまいました。
 
 
「セルバンテス文化センター」は、スペイン国営で、二階にギャラリーがあり、年に数回、スペインと南米関連のアートの展示も行っています。
 
いつ行っても貸し切り状態。
 
 
 
南米やスペインに興味があって、都心でひとりの空間を楽しみたいときは、貴重な場所です。
 


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