石川県の七尾美術館「平成28年度春季特別展 長谷川等伯展~等伯と一門の精鋭たち~」
2016.4.23~5.29
等伯のみならず、等伯の養父の長谷川宗清、等伯の息子たちや弟子の作品も。七尾のお寺の所蔵の仏画など、等伯が生まれ育った現地ならではの充実の展示だった。
第一展示室は、晩年の等伯の作品
「山水図襖」京都市圓徳院 1588(51歳)(部分)
もとは三玄院の襖で、等伯は勝手に上がり込んで制止を振り切り、一気に描いたのだとか。笹や芝が下の方にのみ描かれて、唐紙の桐の模様と調和している。この桐の模様を見ていたら、こう描きたくてたまらなくなったんでしょうか。
「松竹図屏風」七尾美術館 (50~60代)
竹がまっすぐ、潔く、勢いが。心に雑念や迷いがあってはひけない筆。奥行き感を出そうとしている。左からするりと流れるような曲線を描いて画面にすべりこんでくる松の枝と、垂直な竹、何度も目が追ってしまう。
「猿公図屏風」七尾美術館(50~60代)
剥落が多く状態は悪いですが、この猿公図と上の松林図は昨年発見されたのだそう!。
そういえば年始に東博で猿の絵がたくさん展示されていましたが、みんなこの東南アジアにしかいないテナガザルだったな。ニホンザルは森狙仙くらいで。
南宋の牧谿の猿を参考にした「牧谿猿」。当時南宋にはテナガザルがいたのかな?珍しかったのかな?
「水辺童子図襖」京都市両足院(63歳ごろ) 忘れられない作品。
小さい子が本当に子供らしい。でも寂しい。
立派に描こうとかではなく、描きたい世界を描いた、そんな感じ。この童子は、晩年の作に時折登場し、あの世とこの世の橋渡し、または若くして亡くなった息子の久蔵を重ねて描いた、といわれている。
激しい水の流れ、角の鋭い岩場で、一人の子はどこかに向かって微笑みかけているけれど、その相手や対象物は描かれていない。もう一人の子もどこかわからないところを見ている。風のなかに微かに親の声を聴いたのかも、と切なくなる。たっぷりとられた余白とともに、少し不思議な情景でもあり、確かにこの世ならぬところにいる子供たちなのかも。
一番印象深かったのは「烏梟図屏風」
烏をこんなに存在感たっぷりに黒々と描く屏風。等伯は動物を描くことは多かったそうですが、この絵は趣が他とは違い、異様に感じました。
七尾に行った後に、川村美術館の「烏鷺図」も見ましたので、合わせてそちらの日記に書きました。
第二展示室は「故郷ー能登の長谷川一門」。
能登での、等伯の養父とその経脈は興味のあるところ。
等伯の養父の宗清は、染物業者でありながら、絵仏師としても多くの絵が確認されているそうです。阿部龍太郎「等伯」では、人格高く描かれ、その絵を見たいと思っていたので、幸運でした。
宗清では、「日蓮聖人像」が2点、「涅槃図」一点が展示されていました。
技術的なことはよくわかりませんが、輪島市成隆寺の「日蓮聖人図」1554(47歳)には、宗清の深い精神性も感じるような気がしました。
等伯が七尾時代、絵師になって間もない20代に描いた「日乗上人像」。
宗清の絵と構図、布のしわまで似た作品。宗清から細やかに学んでいたのでしょうか。上人の表情からは、まだまだ等伯の若さを感じました。等伯にとって宗清は大きい存在だったのでは、と想像したり。
「涅槃図」は、宗清と等伯1566(29歳)のものが並んで展示されていました。(↓は宗清)
宗清のものは、長谷川無分(長谷川派の祖。宗清の父か?)の長壽寺本に誠実に再現したものということです。
等伯の涅槃図は、それに沿いながらも、細部にちょこちょこアレンジを加えていて、探すのも楽しく興味深かった。
特に右下のあたり、大きめの虎とピューマ?が加えられれていて、全体のバランスも良くなったように思えます。各動物も、より生き生きとリアル感が増したような。お釈迦様の死を嘆き悲しんでいます。
等伯の涅槃図には宗清の落款も押され、宗清がサポートしたことがうかがわれる、と解説に。当時宗清は62歳。等伯が自分の踏襲だけでなく、そこから成長していくのを、あたたかく見守っていたようにも思えます。
等伯の息子、長谷川久蔵と伝えられる作品を見られたのも貴重でした。
「祇園会図」(部分)
人物の顔つきや丁寧に描かれた町の様子からも、久蔵の人がらは穏やかだったのかなと想像しました。
この展示室では「長谷川等誉」という絵師の涅槃図や日蓮聖人図などが展示されていました。宗清と似た構図です。能登で活躍した長谷川派の絵師のようですが、等伯とのつながりなど詳しくはまだわかっていないそうです。
第三展示室は、「継承ー等伯を継ぐもの」。
長男の久蔵は、才能のある絵師だったようですが早世。
次男の宗宅の「秋草図屏風」は、萩の葉がリズミカルでかわいらしく、右のススキの動きもも好きだと思いました。過剰なものも描かれていません。宗宅も才能を感じますが、残念ながら等伯の死後早くに亡くなったそうです。
「山杉図屏風」も好きな作品。6曲一双のうちの右隻のみの展示。
どこか現代の絵のような印象を受けました。杉の木の形は、ヨーロッパの風景のようにも見えたり。
右から左へと、季節が春から夏へと移っています。枯れていた木が萌ぎはじめ、緑濃くなったころに、滝の水流でさっと爽やかな気分に。
落款はありませんが、宗宅の作という説が有力のようです。この二枚の絵からは、宗宅の人柄もしのばれる気がします。
次の息子の宗也の「竜虎図屏風」は、どことなくマイルドな龍。座り方もしなっている虎。優しい人柄だったのでしょうか。そのためか、弟に出し抜かれ?等伯の継承者は、弟の左近ということになっているそうです。
その左近の「16羅漢図」には、若さと気性の強さが感じられるような。等伯の線を意識しているようです。でも少し、上滑りな感じもしないでも・・。
この美術館には、東博の「松林図」の精巧なレプリカがあり、その前にちょうどよくソファを置いてくれています。国立博物館の展示では混雑していますが、こちらでは、しんとしずまりかえった空間でひとり占め。
松と松の間の余白のところ、東博で見たときには、たいへんかすかながらも刷毛目が見えた気がしたのですが、こちらではなにもないように見えました。自分の記憶があいまいなのか、それとも東博のライトがすごいのかな?。
細部はともかく、誰の人影もなく、少し離れたところからゆっくり見られたせいか、今回は松の濃淡に見とれました。靄の中、ときに現れる濃い松は、等伯の感情の極みのように思いました。
美術館のビデオはいろいろあり、全部見たかったけれど、時間がなくて後ろ髪をひかれつつ、美術館を後にしました。
七尾城跡や、お寺のあるエリアも行きたいところでしたが、二時間に一本の特急電車を逃すことはできず、七尾駅の周りだけ少し歩いてみました。
等伯が生まれ育った七尾は、今は静かな町でした。通りには、あまり人はいませんでしたが、古い民家も残り、趣がありました。
海まですぐなので、日本海を見てきました。満潮で、こちらに向かってどんどん潮が満ちてきていて、ちょっと怖いほど。迫力でした。
駅はこじんまり。
GWには多くの人が訪れたそうです。毎年GW前後に等伯にちなんだ展示を行っているようですので、来年も来たいと思います。
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