hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●高山辰雄「穹」ほか~東京近代美術館でお月見

2017-11-04 | Art

日がたってしまったけど、10月も終わりの平日、東京近代美術館の常設の記録です。(11月5日までの展示)

チケット売り場が珍しく10人以上の行列。帰りには20人以上並んでいました。東山魁夷がまとまって展示されているからかな?

菱田春草「王昭君」1902 実物にやっと対面。横3.7m、こんなに大きな作だったとは。

正直者が損をする・・の見本みたいな場面なのに、すべてを飲み込んだ王昭君の表情。きよらかではかなげな白と薄い水色の透ける衣。

白い衣は下書きの後も見えた。

他の女官たちの顔が見もの。他人事な顔、私じゃなくてよかったって顔、一応悲しそうに装う顔。28歳の春草の人間観察。

女官たちの顔は白いのに、手指がさほど美しくない。顔ならお化粧でごまかせても、手はごまかせないってことをあらわしたのかな?。たまたまかな?

王昭君の手は見えない。顔では感情を表に出さなくても、衣に隠した手では泣いているかもしれない。

春草は新しい日本画を模索するも、朦朧体と非難を浴びる日々。岡倉天心は色彩を明快にするようにアドバイスし、春草はこの絵を描き上げた。

この翌年、春草は大観とインドやアメリカを周る。この後も色はさらに夢のように純化し、「落葉」や「黒猫」(白猫も)が生まれる。

 

加山又造「千羽鶴」1970

この普遍的で圧倒的な世界が、現代の絵だとは。加山又造は、鹿児島の出水で数銭の鶴が飛び立つのを目撃し、宗達の「鶴下絵」に着想を得た。

右隻から屏風とともに歩くと、水辺から鶴が一斉に月を超えて飛び立つ。水上を旋回し、やがて降下する。左隻には荒れ狂う波が一層激しさを増す。突如出現した岩。目の前の太陽。鶴はまた宙へ舞い上がる。私は呑まれるしかない。

もしこの絵を畳に置いたら、太陽は目下に見え、鳥たちの舞い上がる様子はさらに激しいでしょう。いっそうの抑揚感に違いない。くらっ。

近づくと、その質感の多様なこと。闇でさえ幾重にも塗り重ねられ、輝き、動きがある。月の表面はごつごつと岩石のよう。

波には切箔や砂子でしぶきがたっている。技法の見本帳のように様々な伝統的な細工を駆使している。これは加山又造ならではなのでしょう。

2001年の国立新美術館の回顧展では、又造が伝統的技法を再現しながらも、革新的なチャレンジャーであることに驚いた。

これも又造にとっての金銀の意味がとても伝わる作品。

「(略)その金銀色の持つ重さは、経過していく時間をさえ吸収してしまうのだ。」

「私は優しい静けさを求めて金銀を使用する。もしさわがしさを出し始め、深い重さを失ったら、私にとって金銀の意味はない。」

金銀が時間を超越した色であることに、深く納得。

加山又造では日本画ルームにも「天の川」1968(撮影不可)。琳派風の彩色の鮮やかな屏風。

 

 

梅原龍三郎「北京晴天」は先日も見たけれど、やっぱり好きだなあ。秋の空は高い。気持ちいい。

並びには松本俊介「黒い花」。解説の「都会の人の心理的な距離感」ってとてもよくわかるし、ちょっとしゅんとなりながら、やっぱり梅原の空を思い出す。

 

隣の部屋にお目当てのひとつ、野田九浦「辻説法」1907  布教に情熱を燃やす、雄々しき日蓮

ノーベル賞受賞のころのテレビで、大村智先生が、若いころに初めて勝った絵が野田九浦の「芭蕉」だと紹介されていて、その詫びた静かな芭蕉爺がとても良くて、ずっと気になっていた九浦。

でもこの作品は、全く違う印象。28歳、文展の二等を取った作。若く野心に満ちて、まだまだあの芭蕉爺のように詫びてはおれませぬね。日露戦後のナショナリズムの高揚と関係もあるのでは、と解説にある。

先日の高崎タワー美術館で見た紅児会のメンバーの若いころの作にも似ている。ちょうど時期も同じ。だれしも通る道なのかな。

 

小林古径「加賀鳶」1910 こちらも27歳の若いころだけれど、たいへんお気に入り。

加賀鳶は前田藩江戸屋敷のお抱え火消し。特異な衣装と威勢のよさで知られたそう。(ちょうど東博の常設に、江戸時代の素敵な火消し衣装が展示されている。)

炎がすごい!黒々とした煙がすごい!火の粉は街に降りかかり、火中でも屋根の上の鳶は退かない。闇に火炎で浮かび上がる、全体の微妙な照度。

古径は、平安時代の絵巻を研究し、日本の絵画史上にのこる火炎表現を目指した、と。「清姫」の業火といい、「火炎」に対する古径の執着。

細部にも見どころたっぷり。慌てふためき、画面の左下へと逃げ出す町人。逆に火消しは中央へ向かっていく。

建物は構造物としてまっすぐな線で冷静に描かれ、逃げる人間と対照的に、なすすべもない感じが増す。建物だって、走って逃げれれば逃げたいよね。

建物の縦横のライン、煙や人の同線のナナメのライン。それで一層絵中の回転速度が増しているような。

洋画の部屋

ココシュカの「アルマ・マーラーの肖像」は何度見てもやっぱり怖い。でもアルマも気の毒かもしれない。本来は、小悪魔的なかわいい女なのかもしれないのに。年下の男は自分に執着し、絶対的な存在として勝手に怖がられ。ココシュカはアルマにふられてどん底を見たけれど、やがて立ち直って大成する。なのにアルマは、こんなに冷たいオーラで永遠に描き残されてしまった。

 

それに比べ、ヤウレンスキー「救世主の顔」1921の、哀しくも優しい顔。人の痛みに寄り添いすぎて、ともに泣いてくれているよう。絵の持つ力ってすごいと思った一枚。

 

マックス・エルンスト「つかの間の静寂」

荒野の夜の、安らぎのような。一番星がでている。この木の額縁もお気に入り。

次の部屋にこの三人の月が並んでいる。

左から、高山辰雄「穹」1964、東山魁夷「冬華」1964、杉山寧「穹」。

ほぼ同世代の三人の同じ年に日展に出品された作品。当時もこの配置で展示されたのだそう。高山と寧はタイトルも同じ。「穹」とは、広く張った大地という意味だそう。

 

高山辰雄の月に照らされたこの道、この里。泣けてきそう。高山の他の絵でもこういう場所、大好きなのだ。

月の光が、森や道と交感しあっているように見える。

月が宇宙であるならば、地球上の万物もまた宇宙と一体である。地球上の生命体は、細胞レベルで月の満ち引きとともに、寄せたりひいたり。

月に照らされるものは、月と距離がない感じ。ともにある。

しゃがんで下から見てみた。自分もこの里山の中に入って、一緒に月の光を身体の中に受け入れられるかもと。

写真では明るくなってしまったけれど、下から見上げると、月の光の明るさが増して、月の光の粒子がしんしんと降り注いでくるような感じだったのだ。そして里の歓び。

この絵では月の光は、あいだの雲と、この里山周辺だけを照らしている。背景や他のところは暗い。彼らだけが月に向かって体を開き、交感しているからなんでしょう。

 

杉山寧と東山魁夷の月もそうなのかしら?と行ってみるけれども、二人の月には細胞レベルの交感みたいなものは感じられなかった。二人はそこではなくて、全く別の世界を描いているのでしょう。

 

この日は、「東山魁夷」の特集だった。「残照」「百夜光」「山かげ」「谷間」「暮潮」…など17点。近美が所蔵する東山魁夷作品を全て展示。他館への貸し出しが多いので、一堂に揃うのは珍しいことなのだそう。

幼稚園の子供たちが来ていて、先生が魁夷の絵の感想を聞いていた。女の子が少し考えて「しずかなかんじ」と答え、先生が「どうしてそう思うのかなあ」と突っ込む。女の子はまた少し考えてから、「木がたくさんあるところ」と。ふふ、ほんとだ。ちゃんと見て魁夷の絵から感じてるんだなあ。マナーもよい子たちだった(先生のかん高い声だけ響いていた(笑))。

 *

それから、この日は、「月」特集。月・つき・お月様。

子供のころ月の夜道を歩いていると、月がついてくるのがずっと不思議だった。どんなに歩いても月を引き離せない。どうしてなのか、何回も隣を歩く母に訪ねた記憶がある。実は今でも、月の出ている帰り道に、あ、月がついてきてると思っていたりする。

さて、どうでもいいことを思い出してしまったけど、日本画ルームの気になった月を以下に。

 

中村大三郎「三井寺」1939 観阿弥の能の、子を探し”物狂い”となり、中秋の名月の三井寺にたどり着いた女性。山種の「百萬」で森田曠平は、桜の花とともにこの母を描いていたけれど、こちらはかなげ。月夜の幻想のよう。手に持つ笠は月の影のよう。

母の顔の清らかで美しいこと。子を探しまわる悲しみの果ての母の顔は”物狂い”というよりも、忘我。見る私も、その哀しい母の姿に、自分の心を寄せてしまう。

 

ところが”物狂い”の状況にあっても、次に突然出現する、徳岡神泉(1896~1966)「狂女」1919は全く違う。うわっとおののく。フェイントだ、月なんか描かれていないのに。

この人に会うのは二回目。できれば直視したくない。もしゃもしゃの髪。汚れた、不気味に赤みのある手。この目。絵の表面がずいぶん痛んでいるけど、なんてリアルな。この女と後ろにうごめく闇にとりこまれそう。

「心を寄せる」なんて気になれないのは、他人事ではないから。神泉の狂女に、私の中にも潜んでないとはいえない可能性を見るからなんでしょう。精神の平衡が、向こう側への垣根を越えてしまうきっかけは、そう特別なことではなく、誰にでもありえる。神泉はこのころに鬱になっていた。

 

そして9年後。神泉の(名前を忘れてしまった)もう一点は、月夜の静かな晩だった。ほっ…。

ススキ、月光、葉は琳派のように戯れ。虫は気づかないくらいにそっと描かれている。微細な揺れにそっと振れる、神泉の繊細な美意識。

小さな生きものたち。細くてもしっかり立ってるススキ。葉の美しい弧。神泉の心が平安を取り戻したのでありますよう。

 

近藤弘明(1924~2015)「無限」1997

花の向こうの彼方に蓮が重なっている。浮遊する蝶。仏の世界、彼方の世界。のような。

一輪の花の咲く時間は、ほんの一瞬のことなんだけど、輪廻の輪の中で無限に続く。ような。

 

菱田春草「松に月」1906 

 「松葉を緻密に描くなど表現を工夫したのも成功した要因」と。この年に春草は五浦に移り住んだ。春草は他にも、この五浦海岸を月とともに静かに描いている。春草の足跡を感じられて、少し寂し気な月夜。

 

児玉希望「仏蘭西山水絵巻」1958

絵巻好き(のビギナー)としては面白い。南仏のようだけれど、温かい空気を水墨で描くとこうなるのね。

ヤシの木のところ、好きだなあ。

松に月は、日本と変わらないような。ちょっと空気が温んでいるかな。

 

写真ルームでは、田村彰英の「午後」シリーズが心に残ったのだけれど、次回に。

 



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