はなナ

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博 東洋館:中国の絵画ー宮廷山水画風の広がりー 

2017-07-09 | Art

東博東洋館 8室  中国の絵画ー宮廷山水画風の広がりー

2017年6月20日(火) ~ 2017年7月23日(日)

 

西洋美術館の庭に紫式部(多分)がきれいだったある日。

 

東博の常設と「びょうぶであそぼう」を見た後で、東洋館の中国絵画を見て来ました。

前クールの美人画(日記)では、応挙など江戸時代の日本の美人画に取り入れられたポイントが勉強になりました。

今期の山水画も、室町以降の日本の水墨が中国絵画から何をとりこんだのか、モトネタがたいへん興味深い展示でした。

以下、備忘録です。


南宋宮廷画の4大家である馬遠夏珪から始まる展示。

二人が大成したという山水の特徴は:

◆モチーフを画面片側に寄せる対角線構成

◆山石に切り込むような筆線を入れてその質感を表現する斧劈皴(ふへきしゅん)

とのこと。

ふむ、室町の水墨も狩野派も、確かにそうだ。

 

伝夏珪「山水図軸 」13世紀、片側を開けるのも、岩の斜め線も、なるほど定型どおり

但し解説には、南宋よりもう少しあとの元代の作と思われる、とあり、おそらくは夏珪の周辺の手によるものでしょう。


夏珪ではもう一点。重文の「山水図(唐絵手鑑「筆耕園」の内) 」

拡大

微妙な墨の色具合を使い分けて、墨だけでも細やかな厚みと重なり。重くないのにこの豊かさ。

夏珪は、馬遠の「筆」に対して、「墨」の美しさを特徴とした。

 

馬遠「寒江独釣図」

馬遠は静嘉堂文庫に国宝の「風雨山水図」があるけれど、これも重文。

東博HP:余白のもつ効果を最大限に生かした馬遠派の傑作といわれる。しかし,舟のやや上方のあたりで絹つぎがあり本来はもっと大画面の作品であった可能性もある。

どのくらいの余白をどちら側に設けたのか、元の絵を見てみたい。

 

南宋画の系統で、個人的に好きな絵は以下二点。

伝孫君沢「高士観眺図軸」元時代・13世紀

眺める先の大きな余白がなんともよくて、靄のかかり具合にもじんわり。気持ちも、静かに広やかに整いそう。

大徳寺養徳院に伝わるもの。孫君沢「雪景山水図」は、雪舟や等伯が取り入れて描いている。それで無意識な親しみもあるのかもしれない。


王諤「山水図」明時代・15~16世紀

背景の険しい山も、どことなく繊細な感じでいい。王諤は明時代の宮廷画家だけど、「今の馬遠」と称されたと。

* 

南宋画もいいけれど、今回心に残ったのは、明時代の「浙派」の作品。

なんだかそのライブ感に、海北友松、長谷川等伯、雪村を思い出したのだ。

「浙派」は、明(1368~1644)の宮廷では、馬遠や夏珪の画風のリバイバルが盛んに行われます。宮中で好まれた大画面の絵画にあわせ、筆墨の粗放化が進みました。この様式は、江南諸都市で活躍した在野の職業画家の間でも流行します。筆勢を誇示する彼らの画風は「浙派(せっぱ)」と総称されました

「山水図軸」王世昌、15~6世紀

葉や枝も風にちぎれ飛び、水面も風に波立っている。

風を体に受ける高士。こんな人、雪村の絵にいたような。

 

浙派の系統にひきつけられてしまうのは、絵全体に巻き起こる動きと、自由ゆえだろうか。世俗的といえばそうかもしれない。浙派は在野の職業画家であり、当時大変勢いがあったという。宮廷画家のなかには彼らの絵を、正統な画法を用いない「狂態邪学(きょうたいじゃがく)」であると非難したものもあったとか。

 寒江独釣図軸 」朱端、明時代・16世紀

積もる雪が、こんなに激しい筆致で描き出されている。


蒋嵩「秋江漁笛図軸 」、「帰漁図軸 」明16世紀(写真不可)も、一枚の絵の中の筆の多彩さにほれぼれ。

 


この人面白いなあと思ったのが、張路という画家。3点あった。

河南省開封の人。日本では号の「平山」で知られる。かつて北京に趣き、1526年ごろから江南を歴遊し、開封に隠居、約74歳で死去。呉偉に学んだ、後期浙派を代表する画家

「三高士図軸 」、画面の片方を開ける構図、筆先が割れるほどの粗放な筆致が張路の特徴とのこと。

高士は雲の動きや天候から吉祥を占う「望気」を行っているらしい。かすかに大気も描いている。

この水墨の構図には、川村清雄を思い出した。縦わりの構図に、高士の斜め上へと見上げる目線。目ぢから強し。

 

同じく張路の「風雨帰漁図軸 」明16世紀 

嵐のような激しい風と雨。木々の枝もなぎ倒されそう。

舟から上がって身をかがめ、風雨の中を耐え歩く漁師の姿に、思わず手にぐぐっと力が。

ライブ感に満ちたドラマティックな一場面。


張路の「漁夫図軸」(撮影不可)は、画面を垂直に二分するような黒い岩陰から、小舟が現れる。そこから漁師が網を投げようとする瞬間。

岩の縦の垂直線×網を投げようとする左斜め上への方向線×小舟の進む横水平線。構成がすっきり潔い。深い墨の岩とうっそうとした木々に対し、舟と水面は明るく、明暗もはっきり、迫力。網を投げようとする一瞬の緊迫に、はっとさせられてしまった。

心も体も動かされた体験は、のちのちも記憶に残る。

張路の作品は、動きに満ちていて、人間の表情もよくとらえていて、無駄な力の入っていない自在な筆運び。画面が固まったような画とは真逆な、画面の外にも広がるような自由な感じ。やっぱり等伯や雪村、友松に似ている。

 

何百年も昔の誰かが、自分の感性に触れ、いいなと思ったものを少し取り入れ、自分なりに熟成して表に出し。そのような無数の糸を束ね、重ね、ある糸は切れ、変容して今に至り。その糸の中の一本を引っ張ってたぐり、ルーツを見た感じでした。

帰り道に、上野公園のねこ集会。

人に慣れているけど、さすがはノラ猫さん。表情もしゅっとしてます。

 



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