松岡美術館「美しい人々」後期 2017.3.22~5.14
前期に続いて、楽しみにしていました。前期の時に、後期の半額券をいただけるので400円なのが嬉しい。
後期に展示替えになったものだけ、備忘録。(前期の日記はこちら)
**
お目当てのひとつ、渡辺省亭。4月2日に百回忌となる省亭の回顧展(加島美術)にあわせ、都内各美術館で連携した展示で、こちらでは5点。
なかでも、おおと思ったのが鯉を描いた二作。
どちらも重なり、ひしめき合っている。お庭の池の鯉は、こんなふうに集まってきていたのが思い起こされる。あんなにのっかられて重くないのかな、鯉どおしの蝕感てどんな感じなんなだろう。
でも、省亭の「遊鯉図」1897は、くっついていても、すうっとした浮遊感。
たっぷりの余白に、墨のみの淡い色彩。鱗もエラのすじまでも、こんなにリアルに描いてある。省亭は鳥やお猿の”目線”を感情をこめて描きいれていたけれど、魚の目線さえもおろそかに扱っていなかった。どんな生き物でも、しっかりすくい取っている。
「藤花下遊鯉図」 はこの季節にさわやかな、さらに美しい情景。
水面につきそうな藤のラインは、ストレートに真下へ。見下ろす私の視線がそこへ入る。顔を上げて見上げる鯉の視線が斜め上45度に伸びてくる。
省亭の画のなかは、いろいろなベクトルが交錯するのがcool。
淡い木漏れ日がかすかに水面に映っているようだった。
藤の花びらも、達者な描きぶりでやっぱり見とれる。藤でも、つるの先端までねっとりと精をこめた藤もあるけれども、省亭のはどこかあっさり。お砂糖のはいらないアメリカンコーヒー?、すっきりした日本茶?的な。もったりしたものを取り除き、気合いれましたよ感を残さない、洒脱さ。
「桜に山鳥の図」
U字の幹に、かぶせU字のごとく交差する山鳥の目線と尾。さくらは細密に花びらの形をとらず、ざっざっとした筆使いなのに、きれい。羽毛の柔らかさと、尾の硬さも実感。
「寒菊図」
外隈に藁を入れるのみで、雪を表現している。雀の目線のさきには、藁に守られた雛のようなあどけない菊たち。
「青梅に雀の図」1896(部分)
さっと薄墨がひかれているのは、雨なのかな。梅を上部にのみ持ってきて、下の方は大きな余白。雨の日は虫が低く飛ぶから、雀はそれを狙っているのかな?。むっちり太った梅の実と、雀のふかふかのおなかに、ほっこり。
どの絵も、その季節の空気をたっぷり吸い込ませていただいてきた。
**
もうひとつのお目当ては、伊藤小坡(1877~1968)。4点。
前期展で、人妻のちょっとゆらめく美しさに感じ入った小坡。伊勢の猿田彦神社の宮司の家の出。磯部百鱗に学んだあと、京に出て、昭和3年から竹内栖鳳の竹杖会に学ぶ。
「秋の夕」 月を愛でようと簾をあけたところ、虫の声に気付いたか、優しい視線を向ける、と。
上村松園にそっくりと思ったら、竹杖会で先輩弟子の松園の作を研究して描いたものだとのこと。松園のほうが二歳年上。
上村松園「夕べ」 昭和10年
小坡も、松園に負けず劣らすの、丁寧で繊細な線。
松園の作を寸法まで踏襲しつつ、わずかに小坡らしさに寄せている。
フジバカマを足し、着物や帯も少し落ち着いた色合いにしている。顔も少し大人びているような。
そして、どちらも月は描かれていないけれど、うちわにすてきな月が描かれている。松園のほうが明るい月の光。小坡の月は、暗がりの秋の夜空の月だった。
ふたりはどんなふうに交流していたんだろう?
小坡は、竹内栖鳳の門下で学ぶようになってから、画風が変化する。「やわらかな運筆は、この時期から細くシャープな線描と」なった(こちらの小坡美術館から)。前期でみた「はくろめ」もこれと似た、昭和13年の作だった。きっとこの「夕べ」の少しあとに描かれたものなんだろう。
「ほととぎす」昭和16年
かさを閉じたら、余白のさきの画面の外に、描いてはいないけれど鳥の声。
振り返った顔がちょっとだけ悲し気で、無防備。鳥の声に呼び起こされた感情は、どんなものだったんだろう。
似た美人画でも、松園とは少し違う。感情の隠している部分がごくごくわずかに見えかくれするような、このころの小坡。
「麗春」昭和初期、は少し印象がちがう。
京都に来てから歴史、物語をテーマにした絵を描くようになったということなので、これもそんな一枚だろうか。
さらにさかのぼって、床の間に飾られていた「虫篭」は大正後期の作。京都の来る前、伊勢時代の小坡の絵。
少しふっくらした頬や鼻がかわいらしい女の子。茄子をうすく切って虫にあげている。座り方も子供らしくて、ほほえましい。
小坡の子供の三姉妹も、小学校から高校生くらいでしょう。優しいお母さんのまなざし。
小坡のたどった道が少しだけ感じられた、貴重な展示だった。
**
他に心に残ったもの
美人画は、小坡だけでなく、松園、清方、深水と続く。同じ昭和10年代の同時代に描かれた美しい人々。
上村松園「春宵」1939(昭和14年) フェルメールを思い出したり。
そして同じ年、同じタイトルで伊藤深水の「春宵」1939年
鏑木清方「しょうぶ湯」1934年(昭和16年)
、
池田蕉園・輝方夫婦の合作、「桜舟・紅葉狩」1912年 は目を引く大屏風。
桜船の左隻が蕉園
紅葉狩は夫の輝方
鴛鴦夫婦と言われていたそうで、本当によく似た画風にしているのに驚き。微妙に蕉園のほうが細やかに描きこんであるかなくらい。
解説には、輝方20歳、蕉園17歳で婚約するも、直後に輝方が失踪。紆余曲折を経て1911年に結婚、この絵はその新婚時代に描かれたもの。失踪によるものか筆の落ちた輝方を妻は補佐し、アトリエの仕切りを取り払い、行き来しながら描いたそう。ただ1917年には、蕉園は31歳で亡くなり、4年後に輝方も亡くなる。
**
東洋陶磁の部屋も堪能。
静かな空間でゆっくりした時間を過ごせて、松岡美術館に来るといつも来てよかったなあと思う。
ランチに、イエローカレーがおいしい(白金には珍しいアングラな感じがお気に入り)SOI7へいったら、定休日。ショックで隣のカフェに飛び込む。
奈良のコンセプトショップのようで、とてもおいしい大和茶。LIVRER(HP)
目に優しい山野草に和みながら、50度でていねいに入れてくれた玉露をいただく。
はっとするほどのおいしさ。
それから魅力的な小さな鉄瓶で熱いお湯を持ってきてくれて、二度目と三度目をいただく。さわやかなおいしさのお茶に変わっている。
最後に、ポン酢でやわらかくなったお茶の葉をいただく。緑色が鮮やかで、滋味深いおひたしのような味わい。
ゆっくりと心を整えてくれるような風雅な時間。いつもちゃちゃっと適当にお茶入れている自分を反省。
松岡美術館に行ったら、また伺おう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます