一月末に行った、今さらの備忘録の続きです。
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おやお久しぶりの二人。
ずっと男女だと思っていたけれど、最近の研究では二人とも男性説もあるそう。
つり上がった目の土偶は、縄文時代(中期)前3000~前2000年 山梨県御坂町上黒駒出土
顔の文様は、当時に入れ墨をしていたことを表しているんだろうか。獣面に近いこの顔の表現は、中部高地や関東地方西部の中期の土器の人面把手に共通する。胸に当てられた左手の三本指の表現もこの時期の土器につけられる人体および動物装飾にみられる。 という解説が気にかかる。昨年読んだ、”古代では動物と人間の境界が今よりあいまいなものであった”ということを具象化した作例になりましょうか。
縄文土器のような後ろ姿。折れた手はどういう形だったんだろう。
弥生の武人は、おだやかな顔をしている。(挂甲の武人 栃木県真岡市 鶏塚古墳出土 6世紀)
でも少し悲しそうにもみえる。以前のギリシャ展では、像の顔の造形が、豊穣や子孫繁栄を願うものから、次第に個の感情を表すようになっていく道筋を感じ取れたのだが、日本では埴輪の先はどうなっていくのだろう。仏像の造形までの、そのすきまの期間は、どうなっているのだろう?。
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◆◆国宝ルーム◆◆
「釈迦金館出現図」11世紀 (解説)
お釈迦様の入滅の報に、天上界から駆け付けるも間に合わなかった母・摩耶夫人の為に、棺桶から身をおこしたお釈迦様。
涅槃図の少し前のシーンなのだけど、涅槃図よりも人や動物は大きく密集して描かれ、表情まで判別できる。だから身体をおこした瞬間の緊迫感を感じてしまう。摩耶夫人もその瞬間にくいいるように釈迦を凝視している。
そのような皆を包み込むような、お釈迦様の表情がなんともよく。
◆◆本館 3室 :仏教の美術―平安~室町◆◆
鎌倉時代の仏画一字金輪像(いちじきんりんぞう)絹本着色 鎌倉時代13世紀 重文 特徴が、青・緑系統の冷たい色彩や細身の造形感覚に窺われる。
仏画を描くのに悪戦苦闘し、私なんかの手には負えないと投げ出したくなっているところだが、ただただこの仏画の前には、自分がちっぽけな蟻、いや一粒の砂くらいであるように感じてしまった。
十六善神図像 玄証(1146~1222)筆 平安時代・治承3年(1179) むちむちした顔が印象的な、生身のように生き生きした神様たち。白描でこんなに濃密な空間になる。十六善神は、般若経の守護神として、釈迦の左右に8体ずつ配される。この図では、四天王も加えられている。
◆◆本館3室 宮廷の美術―平安~室町◆◆
鳥獣人物戯画巻断簡 平安時代12世紀 重文 鳥獣人物戯画巻の甲乙丙丁の4巻のうち、甲巻の一部とみられるもの。よく分かれて残ったものだ。
鳥獣戯画では、明治時代の山崎董詮による甲巻の模写も展示されていた(上の断簡のシーンはなかった。甲巻の第10紙から最後の23紙まで。)。普段見る機会の多い有名なシーンだけでなく、その間のところも繋げて見られたのがうれしかった。背景の草木も達筆なのだった!カエルやウサギだけでなく、ネコやフクロウなんかもかわいい。
15紙、カエルの舞を見に来たらしいネコ判官?かわいい~
16,17紙、萩やススキに秋の風情~
21紙、カエルの仏さまにお祈り~
その後ろの木がいい枝ぶり。ふくろうがかわいい~
楽しくてきりがない。
最近こんなのを見つけて買ってしまった。なぞり書きって癒される…。
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本館3室:禅と水墨画
・梅樹禽鳥図屏風(作者不詳)室町時代・16世紀 2曲1隻 元信の息子、狩野松栄周辺の絵師らしい。薄めの墨や、ふわりとした大気が好きなところ。岩の描き方も、後の狩野派よりもまだ初期の感じで型にはまらず、和やかで緩やか。腕前と気迫を前面に押してくる絵もいいけれど、このようなどこかゆったりとした余裕がある画、いいなあ。小説では永徳に凡庸とこき下ろされていたお父さんだけれど、この絵師もその穏やかな雰囲気を受け継いでいるよう。
その松栄のお父さん・元信に目をやると、緊張感ある線の強い美しさがきわだって見える。
・楼閣山水図屏風 伝狩野元信 室町時代・16世紀 6曲1隻 重美 水殿には、山水を描く人物と童子。
「伝」元信なのだけど、素人の恐れを知らぬ見解では、真筆か高弟子かに見える。。
この日のお目当て1 山田道安「鍾馗図 」室町時代16世紀
以前に出光美術館で、キッとした叭々鳥(日記)に惹かれて以来の道安との再会。奈良の戦国城主・道安が描く、鐘馗のぎょろりとした目ヂカラ。鬼は描かれていないけれど、刀を下に持ちにじり寄る足。ふわりと描かれたひげを救い上げる手も、ぞくぞくするほど。
一休宗純の「七言絶句「峯松」 」 晩年の作らしい
旋回する「峯」に、そしてぱっと散るような「松」。これだけで風が周り、字自体が自然の風景のよう。
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◆◆本館4室:茶の美術◆◆
お目当て2は松花堂昭乗。
「一行書」清巌宗渭筆、松花堂昭乗画 17世紀 書と画がいい連絡をするものだなあ。
松花堂昭乗の鶴の、首から身体、足へと織りなすラインとリズム。手慣れた洒脱感。
昭乗では、8室に「和歌屏風 」も展示。当時の文化人は書も画もなんでもできてしまうのね。。
あ、”コップのフチ子さん”とうわさの、景徳鎮の「古染付一閑人火入 」17世紀
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◆◆本館9室:屏風と襖絵―安土桃山~江戸◆◆
亜欧堂田善「浅間山図屏風」江戸時代19世紀
油彩の屏風に妙に圧倒される。下絵では斧で気を割る人や炭焼き人窯の番人の姿があったそうだが、本画では描かれていない。でも人の気配だけは残っていて、マグリットのようなシュールさが増している。風俗的要素を排し、風景画を目指したらしい。
大倉集古館の「宮楽図 」安土桃山時代17世紀 6曲一双 は写真不可。印象的だった。右隻は、中国の宮廷の内。官吏か?おじさんたちがそこここで踊る。軽快なステップ。門の外でも、楽士がタイコを鳴らし、女性たちが目を細め微笑み、眺めている。 左隻では、反物や器のお店など町の様子。家の中では、奥様が堀に浮かぶ蓮の花を眺めている。と、侍女が蓮の花を手渡している。花は紙を切ってつくり、水に浮かべていたのだ。
狩野永敬(1662~1702)の「十二ヶ月花鳥図屏風 」17世紀 琳派か抱一かと思うほど装飾的で、とても詩情豊か!。各シーンだけでも物語になっていた。細部のどこをみても花も木も鳥も美しく、見どころ満載の金屏風だった。
とりたてて大きな余白があるわけでもないのに、余白の向こうにしみじみと奥に広がってゆく感じ。
右隻では、松の大木に絡む藤が、たっぷりと花を垂らす様子が美しくて。花越しに見える、深い山並みにじんわり。
まるで上村松篁みたいに、鳥にもちゃんと意志がある。
垣根に色とりどりのなでしこの佇まいが愛らしい。
三井記念美術館で見た、船先のアームはなんだろう?底引き網?と謎に思っていた謎がとけた。鵜飼いの灯をつるすものだったらしい(恥)。
左隻は、秋から冬へ。
おみなえし、つゆ草、萩と、見事なこと。渡り鳥を見やる橋の上の鳥には、物寂しさが漂う。
印象的な赤と白と黒。
最後の曲には、真っ白い月。抱一のような雪景色。
他にも、鶉やビワの花、写実的な菊など、たくさん好きなシーンがあった。
「別冊太陽 狩野派決定版 監修山下裕二」を見てみると、永敬は「京狩野の中継ぎ投手」と。二条家など有力公家の庇護を得て、西本願寺、仁和寺などの仕事も獲得している。
気になったのが、西本願寺における尾形光琳・乾山との直接的な接触があったと記載されていること。永敬と光琳の画には共通点があるそう。永敬にどことなく琳派の面影があるように思ったけれど、両者の影響関係は今後の重要な課題であるとのこと。研究が進むのが待たれます。
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◆◆本館8室:書画の展開―安土桃山~江戸◆◆
今回も江戸絵画がたいへん見ものぞろい。強い個性を放つ江戸の絵師たち。
お目当て3 英一蝶「大井川富士図」17世紀 大倉集古館蔵 (写真不可) 雄大な富士山に雲海が下り、大生川の対岸は霞んでいる。馬に乗って川を渡る人、肩車の人、荷を頭の上に乗せてわたる人と様々。
宋紫石「日金山眺望富士山図」18世紀 横ひろ画面に、西洋画のような遠近。左に大瀬崎、駿河湾、宝栄山、愛鷹山、右に二子山。宋紫石の貴重な作だけれど、カヌレのような・・。特にVIRONのカヌレがおいしいのよね・・
若冲の「松梅孤鶴図 」18世紀は、もはや抽象・アバンギャルド・ロックと言いたい。タコ足の吸盤のような幹。デフォルメもさることながら、すべてが振動している。この松の葉はどうでしょう。鶴の体までが、単なる外ぐまではなく、微細に振動している。若冲は、人の目が瞬時の動きをどれだけ捉えることができるかに挑んでいるのだろうか。若冲の墨の絵は、彩色の絵とは全く違うことに挑戦しているようで、見るたびに驚かされ、新しい技を見せられる。
これは京都・大雲院の松上双鶴図(陳伯冲筆・明)という元絵があるそう。
金井烏洲「月ヶ瀬探梅図巻 巻上 」1833年 奈良の添上郡、月ヶ瀬梅渓の景観。群馬生まれの絵師が西国への旅を記した。浦上春琴や頼山陽の賛が寄せられており、文人画家たちとの交流を示す。
この長い絵巻に細密、根気に脱帽(!)。畑に田んぼ、山は険しくなり、そして里に行きついたり。夕暮れたり、また明けたり、長い旅の日々。昔の旅はなかなかハードだ。人は描かれていなかった。
お目当てその4 田中訥言(1767~1823)「十二ヶ月風俗図屏風」19世紀 ずっと見たいと思っていた。病で眼が見えなくなり、自ら命を絶ったといわれる訥言。展示の絵は、なにか言いようのないものを放っていた。
凧あげ、猿回し、面をつけた人たち、輪くぐり?、踊り、お酒の瓢箪を抱える男たち。楽しく享楽的な場面であるはずなのに、ほとんどの人の顔は笑っていない。他の絵師の風俗絵巻なら、どんなに小さく描かれた人物でも、目も口も笑って描かれているのに。
手を挙げ、仰ぎ見る子どもたちの姿に、ふっと久保田早紀「異邦人」がフラッシュバック。
<♪子どもたちは 空を見上げ 両手を広げ 鳥や雲や 夢までもつかもうとしている その姿は 昨日までの なにも知らないわたし ちょっと ふりむいて 見ただけの 異邦人♪ >我ながらよく覚えているもの
なんだかね、悲しい場面じゃないのに、かなしさが漂うのよね…。
背景を描かず、ひとの姿がしらじらとし浮かび上がる。人には薄い墨で影を入れていて、大げさに言えば憑かれたようにも見えてしまう。だから、どこか魔が通り過ぎているようでもあり、交錯しているようでもあり。
不思議な訥言。短く切った線は、全くたるみやゆるみがない。無心でもあり、峻烈な感じすらする。
ちょうど家庭画報の3月号で、染色家の吉岡幸男さんが、訥言による平安王朝の色を編纂した手鑑を繰るところが紹介されていた(こちら)。やまと絵の復興を目指したという訥言。いつか彩色の絵も見てみたいもの。
そのほか気になったのは、大倉集古館所蔵の二作、菅井梅関「寒光雪峰図 」1829年(大倉集古館)と酒井抱一「五節句図」1827年、 板谷桂舟(広隆) 「源氏物語図 初音・胡蝶 」、 佐藤一斎「甲辰元旦試筆」など。
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本館10室 浮世絵
宝船や七福神のおめでたい画題が終結。北斎、渓斎英泉、魚屋北渓、歌川豊国、広重など。
肉筆では、鳥文斎栄之「隅田川図巻」、大黒天、恵比寿さん、福禄寿が、柳橋から舟とかごを乗りついで吉原へ急ぐ。
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1階18室
柴田是真と今尾景年の鷲が並んでいるのが見もの。それぞれ、リスとサルが生命に危機にある。生死を分ける、一瞬の反射。
柴田是真「雪中の鷲」19世紀 墨が澄んでいるのにまず感嘆。明るい光を浴びて、一瞬の緊迫感。羽が二枚、舞い落ちる。鷲は踵をかえすように向きを変え、飛び掛からんばかり。栗鼠や鷲の毛並みの再現もリアル。鷲の羽毛も、外側の固い羽も触感を感じるほど。とてもキレキレのシャープな画だった。
今尾景年「鷲」1893 是真が光なら、こちらは暗闇だろうか。細部まで描きこんで、墨でこれだけ濃密。暗い森の中でも、鋭く光る鷲の目。美しくも黒々とした獰猛さ。猿の必至の形相。息がつまりそうな、凄い画だった。
他に印象深かった画。
橋本雅邦「狙公 」、安田靫彦「五合庵の春」、高橋由一の「大久保甲東像」「上杉鷹山」、平櫛田中の大好きな「森の仙人」「木によりて」、原田直次郎「三条実美」など。
小林万吾「門付」1900
たっぷり時間がある日に行ったけれども、やはり全部見るのはムリでした。へとへとで退散。
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