この日の東博の常設。
三が日のイベントは終わってしまったけれど、まだお正月モード。
ひゅうと不思議な「埴輪猿」に捕まる。古墳時代6世紀 茨城県行方市置洲大日塚古墳
なんて邪気のない顔。両手と背中に?離痕があり、もとは子供を背負っていたらしい。背中を見遣るようなひねりはそのせい。子供、どこに行っちゃったんだろうね。どこかで出土してないんだろうか。
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長谷川等伯「松林図」は、昨年も観たのに同じ絵かと思うほど。揺さぶられる。
右隻の、激しい筆致は叫びのよう。去年もこんなに激しかっただろうか。等伯も亡き妻や息子を思っていたかもしれない。けっきょく絵は、どんな有名作でも、もうこの世のひとではない誰かが描いた痕跡。と無常感にさいなまれ始め、心を立て直したり。
横から強い風にはげしく押される。
そして大きな空白。風がぬけていく、大きな心の空白のよう。
それから上へ巻き上げられる。
意識が上へ飛んでいく。
左隻に移ると、遠くに山が見え、静かに木々が遠くから近くに。満ちていく大気の中で、意識が着陸していく。風が幾分収まったのかもしれない。大気の流れが右隻と少し違っている。
空間にも、木々の重なりが薄く。
足元にも余白の大気のところにも、うすく墨をひいていた。根元の方にも横に薄くひいていた。ここに等伯はどれだけいたんだろう。
左隻の松も筆致は荒いけれど、次第になびくように静かに。また満ちてくる大気、感情。
諦観、諦め、流され。失ったり去ったりしたあとに見える景色のように思えて、少し悲しくなった今年の松林図。
樹の根元に目が行ったのは、今年が初めてかもしれない。根を張るところもしっかり描いていた。等伯もここに足をつけて立っていた。
来年は、また違ったふうに感じるんだろう。と思ったら、来年のお正月は国宝ルームには展示されないらしい。
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二週間ほどの限定公開の、李迪の国宝へ直行。
15室 歴史の記録の部屋
李迪「紅白芙蓉図」南宋時代 慶元3年(1197)
「興福寺東金堂破損仏」1888
「金剛峯寺金堂内部」1888
明治15年に渡米し、ボストンの写真館で住み込みで学んだ技術。明治21年からは、九鬼伯爵らによる古美術文化財調査に加わり、文化財の調査撮影を行った。その写真自体が、いまや文化財になっている。
大政奉還後の廃仏毀釈で荒れた寺社。ひび割れ、摩耗した柱。無造作に立てかけられた仏像。静かに伝えてくる。
夏目漱石の肖像写真も小川一馬だったとは。
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仁清が数点。中学校の教科書で授業中にきれいだなあと見ていた仁清。実物に出会える幸せ。
野々村仁清「色絵月梅図茶壷」17世紀
後ろに回ってみると、月が。
ぐるっと一周歩く。
黒い梅の花。この情景が夜の闇の中であることに気付く。月は夜空と黒く反転し、雲が月光に照らされている。
一方の写真ではみえなかったところに、こんな月夜の世界が広がっていたとは。いまさらの発見、壺って360度の世界なのですね。
「錆絵山水図水差」仁清
逆さ三日月。仁清は水墨画風のさび絵(鉄絵)も腕が立つそう。ひび割れは関東大震災で破損したもの。なんと修復したのは六角紫水。
「色絵梅花文茶碗」仁清 17世紀
なんてかわいい。金と赤と墨色の三色で。制限された中で、こんなに馥郁とした情感。お茶碗のほっくりとしたかたち、梅の花もつぼみもまるくてふっくら。心楽しくなるお茶椀。
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他にこの日の、鎌倉や室町の水墨や書で好きなものを置いておきましょう。
この時代のものは、気迫や内なる精神性のようなものが、筆にそのまま表出。
鎌倉末期では黙庵「白衣観音」 黙庵さんの顔はゆるくていいなあ。ほどける~。
一休さん、すごい。一筆で書き切る気迫
「山水図屏風」「秀峰」印 16世紀 は、名前もしらないけれど、しばらくこの屏風の中に漂う。
(クラーナハ画集を持った方が写りこんでしまった(すみません)。こうして見ると、山水とユディトの素敵な邂逅。)
ふわりとした、モノクロの世界。墨がやわらかい。
右隻
もくもくとした雲と、どことなくかわいい村人にほっこり。
ふわりとした中に、いくつかの濃い焦点。線だけで表現する山や岩の険しさ。微細な線も、ダイナミックで荒々しい線も見惚れてしまう、謎の「秀峰」さん。
右隻の最後は、湿った大気が充ち、スコールのような雨。
左隻は趣が一変。右隻は横の水平ラインなら、左隻は縦の垂直ライン。
薄日が差してきたところから始まる。
そして激しく切り立った山。筆を上から掃き下ろしたような、現実の形を超えた潔さが心地よい。ひとすじ塗り残した滝は、素直に重力に従う。
まるでナイアガラの滝のように、地球の核に収束。
そしてそびえる雪山との合間に満ちてくる大気。
この雄大な情景を見渡す高士に、私が見たものが凝集されるように移入して、収束。すばらしい体験だった。
この画家の中では、山も大気も岩も、形というより、「意」。
縦/横。ふんわりした筆/激しい筆。満ちるやわらかな大気/硬く澄んだ岩山。対比が面白い世界でもありました。
「秀峰」の名は不詳とのこと。"うねりと動きのある構図、猫背の人物は、雪村に近いが、雪村の号として「秀峰」は確認できない”と、思わせぶりな解説。今年は雪村展もあるので、心にとどめておいて確かめてみよう。
江戸絵画は次回に。
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