hanana

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●牧谿と狩野山楽 畠山記念館「天下人の愛した茶道具」

2016-11-15 | Art

「天下人の愛した茶道具」 畠山記念館 2016.10.112.11

牧谿と狩野山楽を見たくて先日行ってきました。(牧谿は115日から20日まで展示。)

お茶の道具の他にも、天下人たちが所有していた掛け軸や屏風などすばらしいものが展示されていた。画は3点だけだけれど、訪れて大満足。

 

伝牧谿「煙寺晩鐘図」南宋時代(13世紀)

畳スペースに展示されており、座ったり立ったりゆっくり見られました。(写真はちらしから。部分。実際は上下左右周囲にもっと余白が広がっています)

靄につつまれた日没の山間のお寺。先日の東博で迫力の「龍虎図」も観ましたが、こちらは静謐な世界。

これまで画像ではよく見えなかった木の筆致、お寺の線描まで、じっくり見ることができました。

長谷川等伯など多くの画家が牧谿から影響を受け、日本の水墨山水の源流のひとつともいう牧谿だから、私はほとんど神のように思っていた。以前出光美術館で見た「平沙落雁図」なんかは、明確な線ときたら小さい雁数羽だけ。えがわ美術館の羅漢は、線は羅漢を描き出しているものの、だいぶ変色していたので判別しずらく、それがますます神がかり。「叭々鳥図」は明解な線だけれど、その数えられるほど最低限の線で叭々鳥と木を描き出せることに圧倒され。

だからこの煙寺晩鐘図は、まだ線が多い方。ですので今回は画家・牧谿に親しみがわいてくる。細くともピリピリした線ではない。もたつくことなくひかれていながら、どこかほんのりと。

そして墨の濃淡。わずかに濃い屋根や木。

靄のあいまに淡い光が見える。お寺や家々に灯るあかりも想像するけれど、月が照らしているのか、残照でしょうか。靄の中に自分がいて、もやの切れ目から見る残照のような感じ。

「何を描いたか」というより、「何を描かなかったか」。これ以上描くことなく、牧谿はここで筆をおく。どんなに眼をこらしても、これ以上筆で描きだされているものはない。でも、晩鐘が耳の奥にかすかに聞こえる。自分の中にあって、思い出す音。それと絵の情景が混じり合って、靄のように、心と耳の奥に満ちていく感じ。 これは私しか見ることができない世界。たぶん実際の煙寺の鐘の音とは全然違っているんでしょうけれど。

 これは足利義満が入手したもの。瀟湘八景図の絵巻を分割して掛け軸に仕立てたもの。絵巻だったので左のほうに虫食いが等間隔であるというので見てみましたが、よくわからなかった。右のほうにあったシミのことかな?。

激動の時代の持ち主の変遷がすごすぎる。足利義満→松永弾正→織田信長→徳川家康→紀州家→加賀家。

信長はどんな思いで見たんだろう。

 

その隣に、伝夏珪「竹林山水図」 たいへん心楽しい山水画。

山水画の個人的なお楽しみは、動物やひとがちょこっとかわいいこと。この絵には、ロバ♪。高士が重くてお気の毒だけど、文句も言わずエライ。

構成というのか、それも面白い。ロバの歩みの遅さのままに、ジグザグと左右斜め上へと上がるように、目線が誘導される。そしてたっぷりとられた空。天高く、懐広く。

畳に座って下から見ると、このジグザグ線が上がっていく過程で、ロバに乗った自分が竹林へ入っていくよう。

でも立って見ると、竹林から下を見下ろせて、高士とロバはちょこんとかわいく見えてしまう。

笹の葉は細かく一枚一枚リズミカルで、これも見飽きない。詳細部にズームするとこまやかに描き込んである。でも構成は明快。広やかな山水の世界に入り込みながら、細部に遊べる。楽しい時間だった。

これはなんと10年ぶりの公開。もっと公開してほしいと思ったけれど、この状態の良さを見ると、畠山記念館さんに感謝。

牧谿と夏珪、同じ南宋の画家ですが、画風はまったく違う。室町以降の日本の水墨画に大きな影響を与えた両者がここに並んで見られてよかった。

 

このお隣にあったのは、豊臣秀吉が母に送った手紙。

朝鮮出兵の前に、母の大政所さまが肥前名護屋城に帷子などを陣中見舞いに贈ったことに対する、お礼のお手紙。わかりやくひらがなで書かれている。ひときわ大きく「うれしく」(五行目)と。いろいろ非道なことも行う秀吉だけど、母の前ではかたなし。

 

もう一つの目当ては、狩野山楽。現在東博では禅展と常設に大作が展示されていて、畠山記念館はサイド企画展みたいになっています。東博の作は、凄みのある大作に圧倒された。京狩野を背負うものとして、堂々の頭角の顕しっぷりだった。

「梅に山鳥図屏風」伝狩野山楽 17世紀(江戸時代)(部分)

江戸時代にもまだ桃山時代の永徳のような豪華絢爛な世界。もとは襖絵。この襖を開くときは、どんなにドラマティックでしょう。

天の雲から現れた龍のような梅の幹。うねるような枝ぶりは圧巻。むしろその激しい動きに、筆が追いつくのが精いっぱい。描くものが一生懸命追いかけているような、枝の精力感。

梅は、花びらのそりかえりまで線できっちり書いています。雉は、生真面目に写生しているよう。眼もまぶたのすじまで見て書いたよう。

少し離れて見ると、下の岩場の荒々しさに改めてパワーがみなぎる。権力者のための絵。

東博では、激しい絵、細やかに描き込んだ絵が、両方展示されていた。あの絵で認められたと。この絵も、山楽の野心と情熱が細部にも全体にも感じられるような絵。京に残った狩野派。徳川の世とともに江戸に移った江戸狩野のその後よりもよほど、野心に満ちていた。

つわぶきが咲いていました。

門から建物入口までの小径は、いつも静かで、みずみずしい気持ちに。

 

この小さな美術館で見た作品は、いつもとくべつ心に残る絵になります。